日出町の人間魚雷『回天』大神(おおが)訓練基地跡へ出かけました。
お家を出発したら国道10号線を北上し、別府市街地を過ぎたら国道213号線へと右折して杵築市方面へと進み、途中から海岸へ出る道へ分かれると 『人間魚雷回天基地跡』 の標識が見えきます。
標識に従って海岸を目指して進むと、大神(おおが)回天基地記念碑と刻まれた石碑と人間魚雷『回天』の実物大の模型が見えてきます。石碑の台座には回天の意味について 『天を回らし戦局の逆転を願って』 と刻まれています。
回天の実物大模型が展示されているところは 『回天大神訓練基地記念公園』 として数年前に整備されて立派な公園になっています。
人間魚雷『回天』の実物大模型とその前に立つのは回天の搭乗員とそれを見送る母と妹の銅像です。
回天の横には魚雷調整プールが当時のままの状態で残っていました。プールは回天一基がちょうど入る大きさで、クレーンで吊った回天をこのプールの中に入れて水漏れなどの検査をしたそうです。
ここへはりゅう君と何度も訪れていますが、今回訪れてみると以前は無かった献花台のようなものと、たくさんの写真パネルが展示されていました。
献花台の後ろにはいろんな写真パネルがありましたが、これは回天搭乗員の遺書でしょうか?
回天大神訓練基地の全体図です。この辺り一帯にはかなりの広範囲に亘って兵舎や格納庫などがあったようですね。
多くの施設はすでに取り壊されて残っていませんが、それでも現存する施設がこれだけあります。
回天大神訓練基地記念公園の前には高台があって、この高台の上には回天神社があります。
高台の下にもいくつかの遺構が残っていて、ここは回天を格納していた豪です。
入口にあった説明板によると、大神基地からの唯一の出撃はこの壕に格納されていた8基の回天だったと記されています。でも幸いなことにこの8基は宿毛湾麦ケ浦で待機中に終戦となって犠牲者は出ていません。
豪の中を覗いてみると入口付近はコンクリートで頑丈に固められていましたが、奥のほうは手掘りのままのようでした。そして高台を突き抜けて反対側まで開口していました。この壕に一列に回天を格納していたんでしょうね。
すぐ近くには回天一基が格納できる小さな豪も残っていましたが、入口付近は半分ほど土砂に埋まっていました。
これから高台に登って回天神社へと向かいます。高台へと続く車道の入口付近には回天神社についての説明板がありました。
高台の上にはもともと住吉神社があって、回天神社はその横に遷座されています。画像の右側の小さなお社と鳥居が回天神社です。
ここには三分の一スケールの回天の模型と別府湾で引き揚げられた回天の機関部分が展示されています。
そしてすぐ横にある説明板によると回天神社には回天の部品が3種の神器として祀られていると書かれていました。
この辺り一帯には多くの遺構がありますが、多くの遺構はこの様に雑草に覆われてほとんど見ることができません。
これは生い茂った雑草の間からかろうじて開口部のみが見えている各科倉庫豪の入口です。
ここへはりゅう君と何度も訪れていますが、初めてここを訪れた時には記念公園も回天の実物大模型もありませんでしたが、年々整備が進んでいるようなので、現存している多くの遺構についても整備保存をしてもらいたいですね。
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回天の実物大模型が展示されているところは 『回天大神訓練基地記念公園』 として数年前に整備されて立派な公園になっています。
人間魚雷『回天』の実物大模型とその前に立つのは回天の搭乗員とそれを見送る母と妹の銅像です。
回天の横には魚雷調整プールが当時のままの状態で残っていました。プールは回天一基がちょうど入る大きさで、クレーンで吊った回天をこのプールの中に入れて水漏れなどの検査をしたそうです。
ここへはりゅう君と何度も訪れていますが、今回訪れてみると以前は無かった献花台のようなものと、たくさんの写真パネルが展示されていました。
献花台の後ろにはいろんな写真パネルがありましたが、これは回天搭乗員の遺書でしょうか?
回天大神訓練基地の全体図です。この辺り一帯にはかなりの広範囲に亘って兵舎や格納庫などがあったようですね。
多くの施設はすでに取り壊されて残っていませんが、それでも現存する施設がこれだけあります。
回天大神訓練基地記念公園の前には高台があって、この高台の上には回天神社があります。
高台の下にもいくつかの遺構が残っていて、ここは回天を格納していた豪です。
入口にあった説明板によると、大神基地からの唯一の出撃はこの壕に格納されていた8基の回天だったと記されています。でも幸いなことにこの8基は宿毛湾麦ケ浦で待機中に終戦となって犠牲者は出ていません。
豪の中を覗いてみると入口付近はコンクリートで頑丈に固められていましたが、奥のほうは手掘りのままのようでした。そして高台を突き抜けて反対側まで開口していました。この壕に一列に回天を格納していたんでしょうね。
すぐ近くには回天一基が格納できる小さな豪も残っていましたが、入口付近は半分ほど土砂に埋まっていました。
これから高台に登って回天神社へと向かいます。高台へと続く車道の入口付近には回天神社についての説明板がありました。
高台の上にはもともと住吉神社があって、回天神社はその横に遷座されています。画像の右側の小さなお社と鳥居が回天神社です。
ここには三分の一スケールの回天の模型と別府湾で引き揚げられた回天の機関部分が展示されています。
そしてすぐ横にある説明板によると回天神社には回天の部品が3種の神器として祀られていると書かれていました。
この辺り一帯には多くの遺構がありますが、多くの遺構はこの様に雑草に覆われてほとんど見ることができません。
これは生い茂った雑草の間からかろうじて開口部のみが見えている各科倉庫豪の入口です。
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