狭い急坂を車で登って神社の境内へとやって来ました、
ここには2つの神社があって左側の大きいほうの神社は昔からこの地区にある住吉神社です、そして右側の小さな鳥居の神社が回天神社です、回天神社って名前の神社は全国にいくつかあるんだけど、ここは人間魚雷・回天の特攻隊員の霊を祀っている回天神社です、
人間魚雷・回天の基地は全国に4ヶ所あったそうですが、特攻隊員の霊を祀っている神社は全国でもここだけだそうです、そしてこの神社の設計図を書いたのも元回天特攻隊員の方だってボランティア?のおじさんが話してくれました、
すぐ前には回天神社の由来について書かれた説明板もあります、
こんな立て札もありました、この神社には回天作戦に散った1073柱の戦没者の霊を合祀しているそうです、
そして回天神社の中にはもうひとつ小さなお社があります、この小さなお社はもともとは回天大神基地内にあったものを戦後に回天神社を造った時にここへ移したそうです、
ここにはこんな写真も飾られていました、この左の写真の人は終戦の10日後にここで自決をした大神基地の回天搭乗員だった松尾少尉です、
回天神社では回天について書かれたパンフレットをもらえます、 このパンフレットには人間魚雷回天誕生の歴史的背景から大神基地の解隊までや回天の構造などについて詳しく書かれていました、
回天神社の境内には実物の三分の一の大きさの回天の模型と、国東沖で漁師の網にかかって引き上げられた回天へと改造される前の九三式酸素魚雷の本物の機関部分が展示されています、
すぐ横には回天の模型を奉納した大神回天隊の関係者の碑もありました、
これが九三式酸素魚雷の機関部分です、この魚雷は空気ではなく酸素を支燃剤とする魚雷で、世界で日本だけが実用化に成功した当時の世界最高水準の魚雷でした、
これだけの技術を持っていた日本なんだけど戦争の末期には特攻兵器へと改造されるなんて何とも・・・、ですね、
これは九三式酸素魚雷の推進部分です、九三式とは皇紀2593年に正式採用されたから九三式と言うそうです、ちなみに有名なゼロ戦は皇紀2600年に正式採用されたから末尾の0から零式艦上戦闘機、ゼロ戦と呼ばれたそうです、
こちらは実物大レプリカの回天の推進部分です、本物の九三式酸素魚雷の推進部と全く同じ形をしています、
この画像に写っているおじいさんがいろんな説明をしてくれた人です、このおじいさんの話ではこの回天の模型は山に向かって展示してるいので縁起が悪いから海に向うように展示し直す話があるって言ってました、ちなみに実物大のレプリカは海を向いていました、
回天神社の見学が終わったらまた狭い道を車で降りて行きます、でもこの急坂は車がやっと通れるほどの狭さだからもう少し広くすればいいのにね、
回天神社を後にして周囲を走っていると、いたるところに回天大神基地の遺構が残っています、
そのほとんどは何の案内板もない洞窟のようなものですが、こんな説明板のついたものもいくつかあります、
回天基地の遺構を探しながら深江漁港の周囲を走っていたら、ちょっと広い公園がありました、
りゅう君はここでやっとお散歩です、お家を出発してからここまでよく考えたらりゅう君のお散歩をすっかり忘れていました、りゅう君を車から降ろすと大喜びで走り回っています、
公園の周囲をお散歩していたら、漁師さんが何かを干していました、魚には見えないし何だろうね?
近づいてみるとまだ採れたばかりのヒジキでした、ヒジキってこの時季が旬で大潮の干潮時には岩にびっしりと付いていて、乾燥して売られているものは真っ黒なんだけど生はこんな色なんだね、
回天大神基地を後にしたらお家へと向います、りゅう君は途中の別府市上人ヶ浜公園でまたお散歩です、
しばらく芝生の上をお散歩していたりゅう君ですが、途中から堤防の上に一気に駆け上がり・・・
海を眺めながらのお散歩です、でも波打ち際を見たらワンコがいるのにりゅう君は全く気付いていません、
さぁ、お散歩も終わってお家へと向います、今回も楽しいドライブでした、
でも最近は近場のお出かけばかりで、しかも週末になるといつも雨だから一ヶ月ほど遠出をしていません、早く天気が良くなってどこかへ遠出が出来るようになるといいね。
ここには2つの神社があって左側の大きいほうの神社は昔からこの地区にある住吉神社です、そして右側の小さな鳥居の神社が回天神社です、回天神社って名前の神社は全国にいくつかあるんだけど、ここは人間魚雷・回天の特攻隊員の霊を祀っている回天神社です、
人間魚雷・回天の基地は全国に4ヶ所あったそうですが、特攻隊員の霊を祀っている神社は全国でもここだけだそうです、そしてこの神社の設計図を書いたのも元回天特攻隊員の方だってボランティア?のおじさんが話してくれました、
すぐ前には回天神社の由来について書かれた説明板もあります、
こんな立て札もありました、この神社には回天作戦に散った1073柱の戦没者の霊を合祀しているそうです、
そして回天神社の中にはもうひとつ小さなお社があります、この小さなお社はもともとは回天大神基地内にあったものを戦後に回天神社を造った時にここへ移したそうです、
ここにはこんな写真も飾られていました、この左の写真の人は終戦の10日後にここで自決をした大神基地の回天搭乗員だった松尾少尉です、
回天神社では回天について書かれたパンフレットをもらえます、 このパンフレットには人間魚雷回天誕生の歴史的背景から大神基地の解隊までや回天の構造などについて詳しく書かれていました、
回天神社の境内には実物の三分の一の大きさの回天の模型と、国東沖で漁師の網にかかって引き上げられた回天へと改造される前の九三式酸素魚雷の本物の機関部分が展示されています、
すぐ横には回天の模型を奉納した大神回天隊の関係者の碑もありました、
これが九三式酸素魚雷の機関部分です、この魚雷は空気ではなく酸素を支燃剤とする魚雷で、世界で日本だけが実用化に成功した当時の世界最高水準の魚雷でした、
これだけの技術を持っていた日本なんだけど戦争の末期には特攻兵器へと改造されるなんて何とも・・・、ですね、
これは九三式酸素魚雷の推進部分です、九三式とは皇紀2593年に正式採用されたから九三式と言うそうです、ちなみに有名なゼロ戦は皇紀2600年に正式採用されたから末尾の0から零式艦上戦闘機、ゼロ戦と呼ばれたそうです、
こちらは実物大レプリカの回天の推進部分です、本物の九三式酸素魚雷の推進部と全く同じ形をしています、
この画像に写っているおじいさんがいろんな説明をしてくれた人です、このおじいさんの話ではこの回天の模型は山に向かって展示してるいので縁起が悪いから海に向うように展示し直す話があるって言ってました、ちなみに実物大のレプリカは海を向いていました、
回天神社の見学が終わったらまた狭い道を車で降りて行きます、でもこの急坂は車がやっと通れるほどの狭さだからもう少し広くすればいいのにね、
回天神社を後にして周囲を走っていると、いたるところに回天大神基地の遺構が残っています、
そのほとんどは何の案内板もない洞窟のようなものですが、こんな説明板のついたものもいくつかあります、
回天基地の遺構を探しながら深江漁港の周囲を走っていたら、ちょっと広い公園がありました、
りゅう君はここでやっとお散歩です、お家を出発してからここまでよく考えたらりゅう君のお散歩をすっかり忘れていました、りゅう君を車から降ろすと大喜びで走り回っています、
公園の周囲をお散歩していたら、漁師さんが何かを干していました、魚には見えないし何だろうね?
近づいてみるとまだ採れたばかりのヒジキでした、ヒジキってこの時季が旬で大潮の干潮時には岩にびっしりと付いていて、乾燥して売られているものは真っ黒なんだけど生はこんな色なんだね、
回天大神基地を後にしたらお家へと向います、りゅう君は途中の別府市上人ヶ浜公園でまたお散歩です、
しばらく芝生の上をお散歩していたりゅう君ですが、途中から堤防の上に一気に駆け上がり・・・
海を眺めながらのお散歩です、でも波打ち際を見たらワンコがいるのにりゅう君は全く気付いていません、
さぁ、お散歩も終わってお家へと向います、今回も楽しいドライブでした、
でも最近は近場のお出かけばかりで、しかも週末になるといつも雨だから一ヶ月ほど遠出をしていません、早く天気が良くなってどこかへ遠出が出来るようになるといいね。
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