今日は別府市のすぐとなりの日出町へお出かけです、
日出町には戦争中に人間魚雷・回天の基地があり、今月に入って実物大のレプリカが完成したとの新聞報道があったのでさっそく見に行きました、
今回のりゅう君はいつもの指定席では無くて何故かママの膝の上です、
今日の目的地はお家から比較的近い日出町だから国道経由で行きます、別府湾沿いの通称別大国道を走ってると、ちょうど白いソニックが走り去って行きました、
別府市を通り過ぎると国道10号線から日出町の商店街へと右折し、その先は県道を通ります、そしてJR日豊線の日出駅を通り過ぎるとこんな標識が見えてきます、
車もあまり通らない県道を海へ向かってしばらく走ると深江漁港に到着して朝市の看板が見えてきました、
深江漁港を通り過ぎるとすぐにこんな石碑が見えて来ました、ここへは3年ほど前にも来た事があるんだけど、その時もこの石碑はあったのかな?そして奥のほうには人間魚雷・回天の実物大のレプリカも少し見えています、
人間魚雷・回天の実物大のレプリカがあるところは当時の魚雷調整プールの遺構の横です、
手前に見えている水槽が人間魚雷・回天の水漏れなどをチェックする魚雷調整プールです、そのすぐ横に実寸大の人間魚雷・回天のレプリカが置かれていました、
駐車場に車を停めたらりゅう君はさっそく人間魚雷・回天の見学です、
人間魚雷・回天のレプリカの目の前へやって来ました、近くで見ると思ったよりも大きくて全長が14.75mもあるそうです、でも人間が一人乗り込むには随分と小さいような気も・・・、艦内の様子はちょっと前に市川海老蔵主演の映画 『出口のない海』 で詳しく描かれていたよね、
前回ここへ来た時には大神回天基地跡を見学してる人なんて全く居なかったんだけど、この実物大の回天のレプリカが新聞等で話題になったせいか?今回は次から次へと人が訪れていました、
人間魚雷・回天の説明文です、この説明文によると大神回天訓練基地は終戦間際の昭和20年4月に開設されて唯一の出撃があったそうだけど待機中に終戦となって特攻で亡くなった隊員はいないようです、
このレプリカの回天には上部に人間が出入りするハッチがありました、鍵がかかっていて中は見れなかったけど内部も忠実に再現されていて申し込めば中も見せてくれるそうです、
上に真っ直ぐ伸びているのが潜望鏡で、下に描かれているのは特攻のシンボルマークともなった鎌倉時代末期の武将、楠木正成の旗印と言われている「菊水」です、
でもこの人間魚雷・回天のレプリカはこんな雨ざらしの状態で空き地に展示されていました、屋根のあるところで展示すればいいのにね、
そして駐車場?も全く整備されていなくて魚雷調整プール跡地の一部なのか?コンクリートの基礎だけが残ったこんな状態でした、これから少しずつ整備していくんだろうね?
この近くにはこんな看板があって、すぐ近くの小高い丘の上には2つの神社があります、
神社へと上がる坂道の入口まで行ってみるとこんな洞窟がありました、
そして洞窟の入口にはこんな看板がありました、この洞窟は酸素圧縮ポンプ室ってところの跡みたいです、
酸素圧縮ポンプ室跡横の急坂を車で登って回天神社へと行きます、でもこの道は急坂でとっても狭く車1台がやっと通れるほどなので、坂の下に車を停めて歩いて登ってる人もいるようです、
急坂を登ったらすぐにこんな景色が広がっていました、手前に見えているのは車えびの養殖場で、遠くには大分市の工場群がうっすらと見えています、
画像の左側に車が2台停まっているところが、人間魚雷回天の実物大のレプリカが置かれていた魚雷調整プール跡です、
ここでりゅう君を車から降ろしてベンチに座らせたら、りゅう君はなぜかへっぴり腰でこんな格好になってベンチに座っています、このベンチは大きな竹を横に渡した造りだから隙間が広くて座りにくいのかな?
画像が多くなりそうだから続きは次に載せます。
日出町には戦争中に人間魚雷・回天の基地があり、今月に入って実物大のレプリカが完成したとの新聞報道があったのでさっそく見に行きました、
今回のりゅう君はいつもの指定席では無くて何故かママの膝の上です、
今日の目的地はお家から比較的近い日出町だから国道経由で行きます、別府湾沿いの通称別大国道を走ってると、ちょうど白いソニックが走り去って行きました、
別府市を通り過ぎると国道10号線から日出町の商店街へと右折し、その先は県道を通ります、そしてJR日豊線の日出駅を通り過ぎるとこんな標識が見えてきます、
車もあまり通らない県道を海へ向かってしばらく走ると深江漁港に到着して朝市の看板が見えてきました、
深江漁港を通り過ぎるとすぐにこんな石碑が見えて来ました、ここへは3年ほど前にも来た事があるんだけど、その時もこの石碑はあったのかな?そして奥のほうには人間魚雷・回天の実物大のレプリカも少し見えています、
人間魚雷・回天の実物大のレプリカがあるところは当時の魚雷調整プールの遺構の横です、
手前に見えている水槽が人間魚雷・回天の水漏れなどをチェックする魚雷調整プールです、そのすぐ横に実寸大の人間魚雷・回天のレプリカが置かれていました、
駐車場に車を停めたらりゅう君はさっそく人間魚雷・回天の見学です、
人間魚雷・回天のレプリカの目の前へやって来ました、近くで見ると思ったよりも大きくて全長が14.75mもあるそうです、でも人間が一人乗り込むには随分と小さいような気も・・・、艦内の様子はちょっと前に市川海老蔵主演の映画 『出口のない海』 で詳しく描かれていたよね、
前回ここへ来た時には大神回天基地跡を見学してる人なんて全く居なかったんだけど、この実物大の回天のレプリカが新聞等で話題になったせいか?今回は次から次へと人が訪れていました、
人間魚雷・回天の説明文です、この説明文によると大神回天訓練基地は終戦間際の昭和20年4月に開設されて唯一の出撃があったそうだけど待機中に終戦となって特攻で亡くなった隊員はいないようです、
このレプリカの回天には上部に人間が出入りするハッチがありました、鍵がかかっていて中は見れなかったけど内部も忠実に再現されていて申し込めば中も見せてくれるそうです、
上に真っ直ぐ伸びているのが潜望鏡で、下に描かれているのは特攻のシンボルマークともなった鎌倉時代末期の武将、楠木正成の旗印と言われている「菊水」です、
でもこの人間魚雷・回天のレプリカはこんな雨ざらしの状態で空き地に展示されていました、屋根のあるところで展示すればいいのにね、
そして駐車場?も全く整備されていなくて魚雷調整プール跡地の一部なのか?コンクリートの基礎だけが残ったこんな状態でした、これから少しずつ整備していくんだろうね?
この近くにはこんな看板があって、すぐ近くの小高い丘の上には2つの神社があります、
神社へと上がる坂道の入口まで行ってみるとこんな洞窟がありました、
そして洞窟の入口にはこんな看板がありました、この洞窟は酸素圧縮ポンプ室ってところの跡みたいです、
酸素圧縮ポンプ室跡横の急坂を車で登って回天神社へと行きます、でもこの道は急坂でとっても狭く車1台がやっと通れるほどなので、坂の下に車を停めて歩いて登ってる人もいるようです、
急坂を登ったらすぐにこんな景色が広がっていました、手前に見えているのは車えびの養殖場で、遠くには大分市の工場群がうっすらと見えています、
画像の左側に車が2台停まっているところが、人間魚雷回天の実物大のレプリカが置かれていた魚雷調整プール跡です、
ここでりゅう君を車から降ろしてベンチに座らせたら、りゅう君はなぜかへっぴり腰でこんな格好になってベンチに座っています、このベンチは大きな竹を横に渡した造りだから隙間が広くて座りにくいのかな?
画像が多くなりそうだから続きは次に載せます。
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