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先日載せた豊臣姓を名乗る日出藩・木下氏の記事の続きです。


日出城址を過ぎて日出町の商店街の中を杵築市方面へ進んで行くと、道はクランク状に曲がって正面に大きな鳥居が見えてきます。ここは千年以上の歴史をもつ 『若宮八幡神社』 です。
 
 
 

この神社は日出藩の歴代藩主とつながりの深い神社で、歴代藩主が寄進した鳥居や灯篭などがたくさんあります。この鳥居には11代藩主の 『日出候豊臣俊懋』 の文字が刻まれていました。前記事でもちょっと触れましたが、木下氏は豊臣秀吉と姻戚関係にあったことから、江戸時代には豊臣姓を名乗ることを許されていたそうです。




鳥居をくぐって境内へ入ると、いくつものお社が見えてきます。これらのお社は左から絵馬殿、拝殿そしてその右には神楽殿、楼門などです。




この建物は拝殿ですが、この奥には朱塗りの立派な本殿があります。




拝殿に掲げられていた額に書かれていた 『若宮八幡神社』 の文字は、現在の木下家当主で第19代の木下崇俊氏の書でした。




境内にはこの様な説明板がありました。日出藩の歴代藩主は若宮八幡神社へ鳥居や燈籠を寄進していて、それぞれに 『豊臣』姓の入った藩主の名前が刻まれていますが、初代藩主の木下延俊だけは『 豊 臣 』ではなくて 『 豊 冨 』 の文字を使っていたそうです。




これが説明板に書かれていた初代藩主が奉納した鳥居です。ちょっと文字がかすれていますが、『 豊 冨 』 の文字が刻まれています。木下延俊が日出藩の初代藩主となった頃は、徳川家康が豊臣家を滅ぼしてまだ日の浅い時期だったので、徳川幕府に遠慮したのでは?ともいわれています。




今回は一番上の画像に写っている鳥居をくぐって境内へと入りましたが、別府湾に面した側にも鳥居があって、この鳥居の先には重厚で立派な楼門がありました。そしてこの楼門をくぐると正面に拝殿が見えました。




楼門へ続く石段を登って後ろを振り返ったら別府湾が一望できました。今は目の前に住宅や漁港がありますが、江戸時代にはすぐ前に海が広がっていたんでしょうね。



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