今回は国道10号線を経由して安心院町へと向かいました。
国道10号線を北上して、日出町の中心部も過ぎて杵築市山香町へ入る手前まで来たら 『赤松橋(めがね橋)』 と書かれた標識が見えてきます。いつもは素通りをしているところですが、今回は初めてここへ寄ってみます。
標識のすぐ手前から左へ入ると、大型トラックが余裕で方向転換できるほどの広い駐車場があって、その先にはこんな見事な石橋が見えます。石橋の下を流れている川は杵築市の守江湾へと注ぐ八坂川です。
この石橋は 『赤松橋』 といって、日出町では唯一の石橋だそうです。大分県は全国の四分の一の石橋があるといわれるほど石橋の多い県ですが、日出町にあるのはこの石橋だけだそうです。しかもこの石橋は大分県で最大の幹線道路の国道10号線(旧道)に架かる石橋です。
河川敷から眺めた 『赤松橋』 です。交通量の多い幹線道路の国道10号線に架かっていた石橋だけに橋脚は太くてとっても頑丈そうですね。石橋の里・院内町にある石橋の貴婦人といわれる橋脚がすらりと伸びた 『 鳥居橋 』 とはその姿が随分違いますね。
駐車場に車を停めたらさっそく赤松橋を渡りますが、橋のたもとには大きな桜の木が通行を妨げるように枝を広げていました。桜が満開の時季にはとってもきれいでしょうね。
親柱の部分には ゛明治〇〇〇 ゛と刻まれていましたがよく解かりませんでした。赤松橋は明治30年に完成したので、おそらく ゛明治30年完成 ゛と旧字体で刻まれているんでしょうね?
この親柱から続く欄干部分はこの様にきれいにカーブしていました。この欄干部分は一見するとコンクリートのようにも見えますが、近づいてよく見たら石材を加工したものでした。
赤松橋がいつまで国道10号線に架かる橋として使われていたのかはよく分かりませんでしたが、かつてはこの橋の上を多くの車両や馬車などが通過して賑わっていたんでしょうね。
赤松橋から眺めた下流側です。手前の車が走っているところが現在の国道10号線で、その向こうにはJR日豊本線の鉄橋が架かっていますが、ちょうど青いソニックが小倉方面へと通過して行くところでした。
赤松橋を出発したら国道10号線をもう少し北上して、県道716号線へと入って安心院町を目指します。
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国道10号線を北上して、日出町の中心部も過ぎて杵築市山香町へ入る手前まで来たら 『赤松橋(めがね橋)』 と書かれた標識が見えてきます。いつもは素通りをしているところですが、今回は初めてここへ寄ってみます。
標識のすぐ手前から左へ入ると、大型トラックが余裕で方向転換できるほどの広い駐車場があって、その先にはこんな見事な石橋が見えます。石橋の下を流れている川は杵築市の守江湾へと注ぐ八坂川です。
この石橋は 『赤松橋』 といって、日出町では唯一の石橋だそうです。大分県は全国の四分の一の石橋があるといわれるほど石橋の多い県ですが、日出町にあるのはこの石橋だけだそうです。しかもこの石橋は大分県で最大の幹線道路の国道10号線(旧道)に架かる石橋です。
河川敷から眺めた 『赤松橋』 です。交通量の多い幹線道路の国道10号線に架かっていた石橋だけに橋脚は太くてとっても頑丈そうですね。石橋の里・院内町にある石橋の貴婦人といわれる橋脚がすらりと伸びた 『 鳥居橋 』 とはその姿が随分違いますね。
駐車場に車を停めたらさっそく赤松橋を渡りますが、橋のたもとには大きな桜の木が通行を妨げるように枝を広げていました。桜が満開の時季にはとってもきれいでしょうね。
親柱の部分には ゛明治〇〇〇 ゛と刻まれていましたがよく解かりませんでした。赤松橋は明治30年に完成したので、おそらく ゛明治30年完成 ゛と旧字体で刻まれているんでしょうね?
この親柱から続く欄干部分はこの様にきれいにカーブしていました。この欄干部分は一見するとコンクリートのようにも見えますが、近づいてよく見たら石材を加工したものでした。
赤松橋がいつまで国道10号線に架かる橋として使われていたのかはよく分かりませんでしたが、かつてはこの橋の上を多くの車両や馬車などが通過して賑わっていたんでしょうね。
赤松橋から眺めた下流側です。手前の車が走っているところが現在の国道10号線で、その向こうにはJR日豊本線の鉄橋が架かっていますが、ちょうど青いソニックが小倉方面へと通過して行くところでした。
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