正光寺の白い彼岸花を観賞したら県道237号をさらに先へと進みました。
正光寺から県道237号を山に向かって数百mも進むと、道路沿いに日本三大楠(天然記念物)「本庄の大楠」と書かれた標識が見えてくるのでここを右折しました。
右折して200mほど進むと広い駐車場と、その前に枝を大きく広げた大楠が見えてくるのでここに車を停めました。駐車場は線引きされていませんでしたが、かなりの台数の車が停められそうでした。そして駐車場の一角にはよく手入れされたトイレもありました。
この大木が「本庄の大楠」です。高さが25.8m、幹回りは20.6mもあるそうで、全国で3番目?の巨樹巨木だそうです。駐車場に車を停めたら「本庄の大楠」を見物をする前にまずは駐車場の周辺を見て廻りました。
駐車場の一角には「豊前 宇都宮氏ゆかりの地 戦国のムラ城井谷」と書かれた説明板がありました。過去に放送されたNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の中で宇都宮鎮房が登場して地元では話題になりましたが、宇都宮氏の城を攻め落とせなかった中津城主だった黒田官兵衛は、和睦と偽って誘い出した鎮房らを謀殺して宇都宮一族を滅亡させているんですよね。
駐車場の奥には比較的新しい石碑があったので見に行ってみると、楽譜の一部や歌詞の他に、作詞、作曲者の名前などが刻まれていたので、この大楠は唄にもなっているようでした。唄になっている大楠(巨木)って聞いた事が無いですね。
駐車場の周囲を見て廻ったら、これから大楠の見物です。大楠の横には小さな神社があって鳥居が建っていました。
鳥居の扁額を見ると「大楠神社」と刻まれていました。本庄の大楠は樹齢が1900年と言われていますが、この神社が創建されたのはいつ頃なんでしょうね?
大楠神社の境内から眺めた「本庄の大楠」です。大楠の手前には大楠神社の鳥居と拝殿も見えています。
大楠の根元近くまで行ってみると、大きく横に広がった枝の根元は何本もの支柱で支えられていました。
この支柱は設置されてから年数がかなり経っているのか?大枝と接する部分はすでに大楠に取り込まれようとしていました。本庄の大楠は生命力が旺盛な大樹ですね。
大楠の裏側へ廻ってみると、幹根はポッカリと大きな穴が開いていました。明治34年にはこの中で焚火をしていて樹体の大部分が焼失したそうですが、その後第一枝が蘇って現在の大きさにまで成長したそうです。
大楠の根元付近は立入禁止なのであまり近づけませんでしたが、この空洞はかなりの広さがあって、大人が10人以上は入れそうでした。
日本の巨樹ランキングは調査方法などによって順位に違いがありますが、環境庁が行った日本の巨樹ランキングでは、1位が鹿児島県の「蒲生の大楠」、2位が静岡県の「阿豆佐和気神社の大楠」そして佐賀県の「川古の大楠」と「本庄の大楠」がともに3位になっていました。
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正光寺から県道237号を山に向かって数百mも進むと、道路沿いに日本三大楠(天然記念物)「本庄の大楠」と書かれた標識が見えてくるのでここを右折しました。
右折して200mほど進むと広い駐車場と、その前に枝を大きく広げた大楠が見えてくるのでここに車を停めました。駐車場は線引きされていませんでしたが、かなりの台数の車が停められそうでした。そして駐車場の一角にはよく手入れされたトイレもありました。
この大木が「本庄の大楠」です。高さが25.8m、幹回りは20.6mもあるそうで、全国で3番目?の巨樹巨木だそうです。駐車場に車を停めたら「本庄の大楠」を見物をする前にまずは駐車場の周辺を見て廻りました。
駐車場の一角には「豊前 宇都宮氏ゆかりの地 戦国のムラ城井谷」と書かれた説明板がありました。過去に放送されたNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の中で宇都宮鎮房が登場して地元では話題になりましたが、宇都宮氏の城を攻め落とせなかった中津城主だった黒田官兵衛は、和睦と偽って誘い出した鎮房らを謀殺して宇都宮一族を滅亡させているんですよね。
駐車場の奥には比較的新しい石碑があったので見に行ってみると、楽譜の一部や歌詞の他に、作詞、作曲者の名前などが刻まれていたので、この大楠は唄にもなっているようでした。唄になっている大楠(巨木)って聞いた事が無いですね。
駐車場の周囲を見て廻ったら、これから大楠の見物です。大楠の横には小さな神社があって鳥居が建っていました。
鳥居の扁額を見ると「大楠神社」と刻まれていました。本庄の大楠は樹齢が1900年と言われていますが、この神社が創建されたのはいつ頃なんでしょうね?
大楠神社の境内から眺めた「本庄の大楠」です。大楠の手前には大楠神社の鳥居と拝殿も見えています。
大楠の根元近くまで行ってみると、大きく横に広がった枝の根元は何本もの支柱で支えられていました。
この支柱は設置されてから年数がかなり経っているのか?大枝と接する部分はすでに大楠に取り込まれようとしていました。本庄の大楠は生命力が旺盛な大樹ですね。
大楠の裏側へ廻ってみると、幹根はポッカリと大きな穴が開いていました。明治34年にはこの中で焚火をしていて樹体の大部分が焼失したそうですが、その後第一枝が蘇って現在の大きさにまで成長したそうです。
大楠の根元付近は立入禁止なのであまり近づけませんでしたが、この空洞はかなりの広さがあって、大人が10人以上は入れそうでした。
日本の巨樹ランキングは調査方法などによって順位に違いがありますが、環境庁が行った日本の巨樹ランキングでは、1位が鹿児島県の「蒲生の大楠」、2位が静岡県の「阿豆佐和気神社の大楠」そして佐賀県の「川古の大楠」と「本庄の大楠」がともに3位になっていました。
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