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最近はコロナウィルスの影響でどこへ出かけても閑散としていますが、今回は近場の臼杵市へ出かけました。
 

お家を出発して一時間ほどで臼杵市へ着いたら、臼杵市観光交流プラザに車を停めて、これから目の前に見える臼杵城跡へと向かいます。ここは観光目的なら無料で車を停められるので、臼杵市内観光をするにはとっても便利です。
 
 
 

臼杵城跡の前は広場になっていて銅像が建っています。この人物は臼杵市出身で唱歌 早春賦を作詞をした吉丸一昌氏です。
 
 
 

これからお堀に架けられた石橋を渡って城内へと入ります。臼杵城はキリシタン大名の大友宗麟が16世紀に築いたお城ですが、当時は三方を海に囲まれて、登城口も干潮時のみ干潟で陸続きとなる丹生島(にゅうじま)という島だったので、臼杵城は丹生島城とも呼ばれていました。
 
 
 

二の丸へと続く登城口は、天然の岩石を切り開いて石垣と組み合わせたような狭い通路になっています。地形をうまく利用して島全体を要塞のような造りにしているんですね。画像の右側に見えている建物は 『 畳櫓(たたみやぐら) 』 といって、現存する2つの櫓のうちのひとつです。そして左に見える建物は復元された大手門です。




城内へ入り振り返って眺めた復元された大手門です。立派な大手門ですね。




城内には護国神社もありましたが、神社の前には日本庭園のような池、石橋などがあったので、この庭園も臼杵城の遺構なんでしょうか?




さらに先へ進むと大砲のレプリカがありました。




この大砲は佛狼機砲(ふらんきほう)といって、当時の臼杵城主だった大友宗麟が日本で初めて手に入れた大砲です。大砲は当時の最新兵器で、その強力な威力から 『 国崩(くにくずし) 』 と呼ばれていたそうです。




臼杵城跡(丹生島)は海に向かって細長い地形になっているので、城跡内にある広いグランドを抜けて、さらに先へ進むとようやく本丸跡の案内板が見えてきます。天守櫓は明治になって取り壊されたので今は何も残っていませんが、ここは桜の名所として臼杵市民に親しまれている場所なんですよね。




天守櫓跡を過ぎてさらに進んだ行き止まりは展望所になっていて豊後水道が見えます。今は埋め立てられて建物がたくさん建っているので、海は遠くになっていますが、かつてはこの足元から海が広がっていたそうです。



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