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久住高原を走る国道442号を竹田市街地方面へ進んで、国道57号との交差点まで来ました。
 

この交差点があるところは 〝 会々(あいあい)〝  というちょっと変わった地名ですが、地名の由来を知りたいものですね。
 
 
 

国道57号へ出たら少しだけ熊本方面へ進み、豊後大野市へと続いている国道502号を走って 「岡城址」 へ到着です。画像は駐車場から土産屋さんなどが並ぶ道を進んだ先ですが、「岡城址」 へは左の坂道を登って行きます。




坂道を登って行くと最初に見えてくるのは大手門跡の石垣です。本当は入口側から撮影したかったんですが、この時は逆光だったので大手門跡を過ぎたところから撮影しました。




大手門跡の崖ギリギリのところに立って撮影した、岡城址の東面の断崖と本丸跡の石垣です。断崖絶壁を防塁代わりに利用して、その上に石垣が積まれているのがよく分かる光景ですね。




岡城址は山城なので下の方はうっそうと樹木が茂っていますが、この位置から真下を見たら、ここだけは樹木が伐採されて大野川までが見渡せました。ここには登城道として使われていた 「滑瀬坂(ぬめりぜざか)」 がありますが、最近樹木の伐採が行われて、50年ぶりに登城道が姿を現したところです。ここについては次の記事で載せますね。




岡城址は山の地形に合わせた細長いお城で、本丸跡へ向かって山頂部を歩いて行くと、西面には三の丸跡の石垣が見えてきますが、石垣の下の方は樹木に覆われていて、どこまで石垣が続いているのか全く分かりません。




本丸跡へ向かってさらに広い城内を進んで行きますが、岡城址の見物は細長い山の尾根を歩いているような感じなので、西の丸から本丸跡まで見物をすると往復で40分ほどかかります。




難攻不落といわれた岡城は石垣にも特徴があって、この石垣は鏡石と呼ばれる巨石を中心にして、左右にちょっと小さめな石垣が積まれています。




本丸跡を過ぎたところは二の丸跡です。ここには明治の音楽家の 「滝廉太郎」 の銅像が建っています。廉太郎は少年期の一時期を竹田市で過ごし、名曲 「荒城の月」 は岡城址をイメージして作曲したともいわれています。




本丸跡には藩主の住まいの本丸御殿や、天守に相当する 「御三階櫓」 が建てられていたそうです。今は取り壊されて跡形もありませんが、ここからは久住山が一望できます。でもこの日は黄砂の影響で、残念ながらぼんやりとしか見えませんでした。




岡城址を訪れるのは数年ぶりですが、前回訪れた時には受付で入城料を払ったら巻き物になった立派なパンフレットをもらいましたが、今回訪れたらこの様なものに変わっていました。経費節減なんでしょうね(笑)   



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