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岡城址の見物をしたら、大手門跡へと続く登城口の入口まで戻りました。
 

これから向かうのは50年ぶりに姿を現した岡城への登城道の 「滑瀬坂(ぬめりぜざか)」 ですが、ここへは右側の車道を下って行きます。
  
 
 

樹木がうっそうと茂った車道を数分も下って行くと、いきなり視界が開けて 「滑瀬坂(ぬめりぜざか)」 が見えてきます。画像には 「滑瀬坂」 の見物して登って来た人も写っていますが、その上部に見える断崖の上が岡城址です。
 
 
 

ここにはこの様な古い看板もありました。「滑瀬坂」 は1980年頃より年に一度程度は草刈りを行っていたそうですが、周囲の樹木を伐採して全体が見えるようになったのは今年になってからの事だそうです。




車道から眺めた 「滑瀬坂」 です。坂を下った先には大野川の川底に広がる岩盤(滑瀬)  と国道502号が見えています。




さっそく 「滑瀬坂」 を大野川の川岸へ向かって下りましたが、最初に見えてきたのは看板にも書かれていた 「滑瀬坂 彫文字」 です。文字は風化?によってはっきりしませんが、いつ頃彫られたものなんでしょうね?




「滑瀬坂」 は急斜面なので道がジグザグになっていて、次のカーブを曲がったところには 「カマボコ石の坂」 がありました。カマボコ石とはカマボコの形をした縁石で、岡城址の大手門跡へと続く坂道などにもありました。




「滑瀬坂」 を下り切ったところには 「滑瀬橋跡」 と、「滑瀬番所 武家屋敷跡」 と書かれた大きな文字の古い看板がありました。滑瀬坂はつい最近まで歩いて下ることができなかったので、これらの看板は国道502号から見えるように立てられたものでしょうね。




ここから大野川の対岸を眺めたら、川岸から川底にかけての岩盤には人工的に開けられたいくつもの穴が見えました。かつてはこの穴に柱を立てて、対岸から滑瀬坂へ渡る橋を架けていたんでしょうね。




そして今下って来た 「滑瀬坂」 を振り返って眺めると、この様な石垣の積まれた景色が見えました。岡藩の殿様(中川公)も、駕籠に乗って大野川に架かる滑瀬橋を渡って、このジグザグの滑瀬坂を通って登城していたんでしょうね。




滑瀬坂を再び登って岡城址を後にして、国道502号を豊後大野市方面へ向かって走っていると、大野川を挟んだ対岸に 「滑瀬坂」 と、その右側に「岡城本丸跡」 の石垣が見えてきました。




ここは豊後大野市方面からやって来ると、路面に刻んだ凹凸によって滝廉太郎の代表曲のひとつの 「荒城の月」 のメロディーが聞こえてくる メロディーラインになっているところです。
 



道路沿いの駐車スペースに車を停めて 「滑瀬坂」 を見に行きましたが、 ここから川底の岩盤を見たら、3つずつ均等に開けられた穴が見えました。これらの穴も 「滑瀬橋」 を支えていた支柱の跡なんでしょうね。ここからは水際まで降りられませんが、岩盤の濡れた部分には苔が生えていて、いかにも滑りそうだったので 「滑瀬(ぬめりぜ)」 と呼ばれるようになったんでしょうね?  

   
  
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