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記事が前後しますが、大分農業文化公園に紅葉したコキアの観賞に出かけた時の記事の続きを載せます。


大分農業文化公園でコキアの観賞をしたら宇佐市街地方面へと向かいます。この公園は杵築市山香町と宇佐市安心院町に跨る広大な敷地で、公園の住所は杵築市山香町になっていますが、正面ゲートの辺りは安心院町になるので、安心院町の観光名所の看板がズラリと並んでいました。




大分農業公園からは一旦県道716号へ出て、東九州道の安心院町IC方面に進み、途中から県道658号へと右折します。右折するとすぐに見えてくるのが謎のストーンサークルといわれる「佐田京石」です。




県道658号は佐田京石を過ぎると急勾配の登り坂になって、峠を越えた先は宇佐平野へと続いています。画像は県道658号がちょうど峠のピークに差し掛かるところです。




県道658号が峠を越えて下り坂になると、「泣別れ峠」と書かれた真新しい看板が左側に見えてきました。




長い下り坂をさらに宇佐市街地へ向かって進んで行くと、今度は右側にも真新しい看板が立っていました。




ここには車が停められるスペースがあったので、車を停めて見に行ってみると「泣別れ峠」の案内板(説明板)のようでした。




これによると壇ノ浦の合戦で源氏に敗れて各地へ落ち延びていった平家の落人たちが、山奥と里とに分かれて隠れ住むために、ここで談合をして泣いて別れたと書かれていました。




説明板には壇ノ浦の合戦に敗れた平家の落人が、里と山奥に分かれた時の様子を描いた絵もありました。悲しい言い伝えですね。




この画像はりゅう君とここを訪れた十年ほど前のものですが、この時には峠の頂上付近に「史跡 泣き別れ峠」と書かれた別の看板があって、この時は調べても全く分からず、誰かがいたずらで設置した看板なのかな?と思っていましたが、その後この看板もいつしか無くなっていたので「泣き別れ峠」の事はすっかり忘れていましたが、今回新しく設置された看板を見て「泣別れ峠」の由来がようやく分かりました。



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