今回は熊本県甲佐町に鮎料理を食べに出かけました。
熊本県へはいつものように中九州横断道路を通りましたが、さすがに9月も下旬になると朝晩は気温がぐっと下がってくるようになりましたね。
無料高速の中九州横断道路を終点の朝地ICで降りたら、国道57号線を熊本方面へ向かって走り、阿蘇盆地を抜けたら国道57号線と並行する県道207号線を通って甲佐町を目指します。右上に見えているのは大津町の市街地を通る国道57号線です。
県道207号線から県道36号線へ入ると、道路は阿蘇くまもと空港の滑走路の下をくぐりますが、トンネルの入口まで来たらちょうど旅客機が滑走路の上を通過して行くところでした。
滑走路の下を走るトンネルを抜けたら益城町ですが、前回義父のお墓参りで俵山トンネル経由で益城町に入った時には地震の影響を全く感じませんでしたが、この辺りではまだ震災復旧の工事看板や、その先にはブルーシートで覆われたところもありました。
益城町からは御船町、甲佐町、美里町を経由して、一旦義父のお墓がある宇城市へ出てお彼岸のお墓参りを済ませたら、来た道を戻って 『甲佐町やな場』 に到着です。ここは義父のお墓からはわずか10kmほどの距離です。
この日は平日で落ち鮎シーズンにはまだ早い季節だったからなのか?広い駐車場はこんなにガラガラでした。
お店の開店時間までまだ少し時間があったので辺りをウロウロしました。これらの建物はすべて鮎料理のお食事棟です。ここは熊本を代表する河川のひとつの緑川の導水路から引き込んだ水が建物の下や鮎やなを通って下流へと流れています。
導水路の上流側に行ってみると 『簗の樋門(やなのひもん)』 と書かれた看板がありました。樋門とは河川からの用水を取り入れるトンネルのようなものですが、この樋門は江戸時代に石で造られたそうです。この辺りは石橋もたくさんあるんですよね。
この画像はお食事処から撮影しましたが、この 『簗の樋門』 を通った水がお食事棟の下や鮎やなへと流れていました。
お店の開店時間の11時になったので、さっそくお食事処へと行きます。ここが 『甲佐町やな場』 の玄関です。
玄関を入るとたくさんのスリッパが並べられていて、その先には鮎やなとお食事棟が見えています。
この日は事前に予約をして行きましたが、予約された席が右側の食事棟だったので鮎やながよく見える正面の藁葺きのお食事棟へ変更してもらいました。
ここには二か所の鮎やながあって、その周りを取り囲むように通路が食事棟と繋がっています。画像の上の方に小さく二人の人が写っていますが、ここへ着いた時に甲佐町やな場の全景を写した画像はちょうどこの位置から撮影したものです。
さっそく料理の注文です。前回は私が竹コースでりゅうママは梅コースを注文しましたが、今回は私もりゅうママも鮎のフルコースの竹コースを注文です。もっと高い松コースもありますが、こちらは竹コースにうなぎが付いているだけですからね。
今回はノンアルコールビールも一人ずつ注文しました。
ノンアルを飲みながら鮎がやなに落ちて来ないかとしばらく眺めていましたが、残念ながらこの日は一匹の鮎も落ちて来ませんでした。落ち鮎のシーズンにはまだ少し早いですからね。上のほうに写っている建物は調理棟でその左側が玄関です。そして調理棟の右側にもお食事処が1棟あります。
前回は料理が一品ずつ運ばれましたが、今回は全ての料理がまとめてお膳で運ばれてきました。これが私とりゅうママの注文した松コースの全料理です。食事の詳細等については 過去の記事 もクリックして下さいね。
今回は私もりゅうママも松コースを注文したのでどちらとも同じ料理です。鮎の塩焼き、味噌焼き、南蛮漬け、刺身、吸い物、うるか、鮎めし、香の物、早川わんこソーメンの全9品です。鮎の刺身がとってもきれいですね。
私は前回と同様に刺身を背ごしに替えてもらいました。刺身は見た目はとってもきれいですが、背ごしは骨が付いたまま細かくぶつ切りにするのでとっても甘味があるんですよね。
食事が終わったら周辺を少しだけお散歩です。ここは熊本の産業発展に大きな影響を与えた明治8年に設立された緑川製糸場の跡なんですよね。石碑の上には女性の像がありますが、この製糸工場で働いていた女性は ゛いとひめさん ゛と呼ばれていたそうです。
やな場の下流には親水公園があって、前回ここを訪れた時にはりゅう君とお散歩もしました。
ここを出発したら美里町の新旧5つの橋が架かっている二俣五橋と、そのすぐ近くの鉄道跡に残る不思議な形をした 『八角トンネル』 へと向かいます。
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熊本県へはいつものように中九州横断道路を通りましたが、さすがに9月も下旬になると朝晩は気温がぐっと下がってくるようになりましたね。
無料高速の中九州横断道路を終点の朝地ICで降りたら、国道57号線を熊本方面へ向かって走り、阿蘇盆地を抜けたら国道57号線と並行する県道207号線を通って甲佐町を目指します。右上に見えているのは大津町の市街地を通る国道57号線です。
県道207号線から県道36号線へ入ると、道路は阿蘇くまもと空港の滑走路の下をくぐりますが、トンネルの入口まで来たらちょうど旅客機が滑走路の上を通過して行くところでした。
滑走路の下を走るトンネルを抜けたら益城町ですが、前回義父のお墓参りで俵山トンネル経由で益城町に入った時には地震の影響を全く感じませんでしたが、この辺りではまだ震災復旧の工事看板や、その先にはブルーシートで覆われたところもありました。
益城町からは御船町、甲佐町、美里町を経由して、一旦義父のお墓がある宇城市へ出てお彼岸のお墓参りを済ませたら、来た道を戻って 『甲佐町やな場』 に到着です。ここは義父のお墓からはわずか10kmほどの距離です。
この日は平日で落ち鮎シーズンにはまだ早い季節だったからなのか?広い駐車場はこんなにガラガラでした。
お店の開店時間までまだ少し時間があったので辺りをウロウロしました。これらの建物はすべて鮎料理のお食事棟です。ここは熊本を代表する河川のひとつの緑川の導水路から引き込んだ水が建物の下や鮎やなを通って下流へと流れています。
導水路の上流側に行ってみると 『簗の樋門(やなのひもん)』 と書かれた看板がありました。樋門とは河川からの用水を取り入れるトンネルのようなものですが、この樋門は江戸時代に石で造られたそうです。この辺りは石橋もたくさんあるんですよね。
この画像はお食事処から撮影しましたが、この 『簗の樋門』 を通った水がお食事棟の下や鮎やなへと流れていました。
お店の開店時間の11時になったので、さっそくお食事処へと行きます。ここが 『甲佐町やな場』 の玄関です。
玄関を入るとたくさんのスリッパが並べられていて、その先には鮎やなとお食事棟が見えています。
この日は事前に予約をして行きましたが、予約された席が右側の食事棟だったので鮎やながよく見える正面の藁葺きのお食事棟へ変更してもらいました。
ここには二か所の鮎やながあって、その周りを取り囲むように通路が食事棟と繋がっています。画像の上の方に小さく二人の人が写っていますが、ここへ着いた時に甲佐町やな場の全景を写した画像はちょうどこの位置から撮影したものです。
さっそく料理の注文です。前回は私が竹コースでりゅうママは梅コースを注文しましたが、今回は私もりゅうママも鮎のフルコースの竹コースを注文です。もっと高い松コースもありますが、こちらは竹コースにうなぎが付いているだけですからね。
今回はノンアルコールビールも一人ずつ注文しました。
ノンアルを飲みながら鮎がやなに落ちて来ないかとしばらく眺めていましたが、残念ながらこの日は一匹の鮎も落ちて来ませんでした。落ち鮎のシーズンにはまだ少し早いですからね。上のほうに写っている建物は調理棟でその左側が玄関です。そして調理棟の右側にもお食事処が1棟あります。
前回は料理が一品ずつ運ばれましたが、今回は全ての料理がまとめてお膳で運ばれてきました。これが私とりゅうママの注文した松コースの全料理です。食事の詳細等については 過去の記事 もクリックして下さいね。
今回は私もりゅうママも松コースを注文したのでどちらとも同じ料理です。鮎の塩焼き、味噌焼き、南蛮漬け、刺身、吸い物、うるか、鮎めし、香の物、早川わんこソーメンの全9品です。鮎の刺身がとってもきれいですね。
私は前回と同様に刺身を背ごしに替えてもらいました。刺身は見た目はとってもきれいですが、背ごしは骨が付いたまま細かくぶつ切りにするのでとっても甘味があるんですよね。
食事が終わったら周辺を少しだけお散歩です。ここは熊本の産業発展に大きな影響を与えた明治8年に設立された緑川製糸場の跡なんですよね。石碑の上には女性の像がありますが、この製糸工場で働いていた女性は ゛いとひめさん ゛と呼ばれていたそうです。
やな場の下流には親水公園があって、前回ここを訪れた時にはりゅう君とお散歩もしました。
ここを出発したら美里町の新旧5つの橋が架かっている二俣五橋と、そのすぐ近くの鉄道跡に残る不思議な形をした 『八角トンネル』 へと向かいます。
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