最近運動不足気味なので、近くの山へプチ登山に出かけました。
今回向かったのは、大分市津守のJR豊肥本線の滝尾駅のすぐ裏手にある、大分県で一番低い山といわれて、標高が僅か56mの碇山(いかりやま)です。案内板には碇島と書かれていますが、この辺りは昔は海で碇山も海に浮かぶ小島だったそうです。
碇山の山頂へは左側の真っ直ぐに伸びた道(参道?)を登って行きますが、その前に画像の左端に写っている、道路のちょっと上にある白い案内板の見えるところへ行きます。右側の道の奥は広場になっていて、道路脇には若干の駐車スペースもあります。
登山道の脇を入って行くと真田幸村の愛馬だった真田栗毛の墓があります。大阪夏の陣で真田幸村を討ち取った武将の主君が、徳川家康の孫の松平忠直だったことから、戦功として真田栗毛を拝領し、忠直が府内藩(大分市)へ配流、謹慎となった時に一緒に連れてきたそうです。
これが真田栗毛の墓です。墓石に刻まれた 『真田栗毛埋所』 の文字も何となく読めました。
真田栗毛の墓を見たら、山頂への登り口へ戻って、碇山の山頂を目指して先へ進んで行くと、六角形をした松平一伯公(忠直)の霊廟が見えてきます。
一伯(いっぱく)公霊廟の説明板です。松平忠直は徳川家康の孫で、かつては越前福井藩68万石(75万石?)の藩主でしたが、乱行が度重なったためにこの地へ配流となり、この近くにある津守館で56歳で亡くなったそうです。
一伯公霊廟を過ぎるともう山頂です。山頂には熊野神社の社殿があります。
そして熊野神社の横は展望所のような広場になっていて、碇山(五六m)の標柱がありました。
標柱の前には正確な高さが測定されたことを表す公共基準点も埋められていました。碇山は登り口から山頂までの距離が330mしかなくて、10分もあれば山頂に着くので、運動不足解消にはちょっと物足りないプチ登山でした(笑)
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今回向かったのは、大分市津守のJR豊肥本線の滝尾駅のすぐ裏手にある、大分県で一番低い山といわれて、標高が僅か56mの碇山(いかりやま)です。案内板には碇島と書かれていますが、この辺りは昔は海で碇山も海に浮かぶ小島だったそうです。
碇山の山頂へは左側の真っ直ぐに伸びた道(参道?)を登って行きますが、その前に画像の左端に写っている、道路のちょっと上にある白い案内板の見えるところへ行きます。右側の道の奥は広場になっていて、道路脇には若干の駐車スペースもあります。
登山道の脇を入って行くと真田幸村の愛馬だった真田栗毛の墓があります。大阪夏の陣で真田幸村を討ち取った武将の主君が、徳川家康の孫の松平忠直だったことから、戦功として真田栗毛を拝領し、忠直が府内藩(大分市)へ配流、謹慎となった時に一緒に連れてきたそうです。
これが真田栗毛の墓です。墓石に刻まれた 『真田栗毛埋所』 の文字も何となく読めました。
真田栗毛の墓を見たら、山頂への登り口へ戻って、碇山の山頂を目指して先へ進んで行くと、六角形をした松平一伯公(忠直)の霊廟が見えてきます。
一伯(いっぱく)公霊廟の説明板です。松平忠直は徳川家康の孫で、かつては越前福井藩68万石(75万石?)の藩主でしたが、乱行が度重なったためにこの地へ配流となり、この近くにある津守館で56歳で亡くなったそうです。
一伯公霊廟を過ぎるともう山頂です。山頂には熊野神社の社殿があります。
そして熊野神社の横は展望所のような広場になっていて、碇山(五六m)の標柱がありました。
標柱の前には正確な高さが測定されたことを表す公共基準点も埋められていました。碇山は登り口から山頂までの距離が330mしかなくて、10分もあれば山頂に着くので、運動不足解消にはちょっと物足りないプチ登山でした(笑)
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