朝食を済ませてお部屋で少しだけ寛いだら、そろそろお宿をチェックアウトします。
この画像はお宿を出発する前に防波堤から撮影した「豊洋荘」です。昨夜は雲が広がっていて星空を眺められませんでしたが、この日は朝から青空が広がっていました。半日早く天気が回復していれば満天の星空と天体観測ができたと思うとちょっと残念ですね。
お宿を出発して国道207号を鹿島市方面に進んでいると、この様な光景が見えてきます。ここを訪れるたびに毎回思うんですが「もぐり発祥の地」って意味は分かるんですが、何とも言えない変なフレーズですね(笑)
しばらくして太良町の中心部へ入ると「海中鳥居入口」と書かれた看板が見えてくるのでここを右折しますが、看板には「中津からあげ もり山」の文字も見えています。もり山は唐揚げの聖地の大分県中津市では有名な唐揚げ屋さんですが、こんな遠くにまで進出していたんですね。
からあげ もり山の横を右折すると、また「海中鳥居出入口」と書かれた案内板が立っていました。そして看板の横は小さな漁港でしたが、今は潮が引いて漁港の中は干上がっていました。有明海は干満の差が日本一大きなところなので、沿岸の漁師さんは出漁する時も、帰港の時にも干満の時間を考慮しないといけないので大変ですね。
右折するとすぐに広い場所へ出てこの様光景が見えてきます。ここがこの日最初の目的地の大魚神社(おおうおじんじゃ)の「海中鳥居」です。
この時は干潮で鳥居が建っているところは陸地になっていましたが、駐車場には観光バスが停まっていて、観光客がゾロゾロと干上がった参道を沖に向かって歩いていました。
ここにはこの様な案内板もあって、この海中鳥居の陸地側には「大魚神社」があって、大魚神社の社殿と海中鳥居を真っすぐに結んだ沖には「沖ノ島」があるようです。
はるか沖に見える小さな島が「沖ノ島」です。伝説では悪代官に手を焼いた村人が、沖ノ島に代官を誘い出して酒盛りをし、酔いつぶれて島に置き去りにされた代官は、満潮で島が沈み始めたので竜神様に助けを求めて、大魚に乗って陸に戻ったことから大魚神社を創建したと言われています。
この画像は数年前に太良町を訪れた時に撮影したものですが、この時は満潮で鳥居は海の中に建っていました。干潮で陸に建つ鳥居よりもこちらの光景のほうが神秘的ですね。
海中鳥居の陸地側にはもうひとつ大きな鳥居が建っていますが、この時は大型バスがこの鳥居の目の前に停まっていたので、この鳥居と海中鳥居を一直線にして撮影することができませんでした。観光バスの運転手さんなら、この位置から撮影するのがベストポジションなのは分かっていると思うんですが・・・(笑)
海中鳥居のすぐ横には沖へと伸びるコンクリート舗装の細い道があって、今は数台の軽トラが停まっていますが・・・
潮が満ちてくるとこの道は海中に沈んで見えなくなってしまいます。以前このブログに載せた宇土半島の付け根付近にある干潮時だけ姿を現す「長部田海床路(ながべたかいしょうろ)」とよく似ていますが、有明海の干満差がいかに大きいかよく分かる光景ですね。
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この画像はお宿を出発する前に防波堤から撮影した「豊洋荘」です。昨夜は雲が広がっていて星空を眺められませんでしたが、この日は朝から青空が広がっていました。半日早く天気が回復していれば満天の星空と天体観測ができたと思うとちょっと残念ですね。
お宿を出発して国道207号を鹿島市方面に進んでいると、この様な光景が見えてきます。ここを訪れるたびに毎回思うんですが「もぐり発祥の地」って意味は分かるんですが、何とも言えない変なフレーズですね(笑)
しばらくして太良町の中心部へ入ると「海中鳥居入口」と書かれた看板が見えてくるのでここを右折しますが、看板には「中津からあげ もり山」の文字も見えています。もり山は唐揚げの聖地の大分県中津市では有名な唐揚げ屋さんですが、こんな遠くにまで進出していたんですね。
からあげ もり山の横を右折すると、また「海中鳥居出入口」と書かれた案内板が立っていました。そして看板の横は小さな漁港でしたが、今は潮が引いて漁港の中は干上がっていました。有明海は干満の差が日本一大きなところなので、沿岸の漁師さんは出漁する時も、帰港の時にも干満の時間を考慮しないといけないので大変ですね。
右折するとすぐに広い場所へ出てこの様光景が見えてきます。ここがこの日最初の目的地の大魚神社(おおうおじんじゃ)の「海中鳥居」です。
この時は干潮で鳥居が建っているところは陸地になっていましたが、駐車場には観光バスが停まっていて、観光客がゾロゾロと干上がった参道を沖に向かって歩いていました。
ここにはこの様な案内板もあって、この海中鳥居の陸地側には「大魚神社」があって、大魚神社の社殿と海中鳥居を真っすぐに結んだ沖には「沖ノ島」があるようです。
はるか沖に見える小さな島が「沖ノ島」です。伝説では悪代官に手を焼いた村人が、沖ノ島に代官を誘い出して酒盛りをし、酔いつぶれて島に置き去りにされた代官は、満潮で島が沈み始めたので竜神様に助けを求めて、大魚に乗って陸に戻ったことから大魚神社を創建したと言われています。
この画像は数年前に太良町を訪れた時に撮影したものですが、この時は満潮で鳥居は海の中に建っていました。干潮で陸に建つ鳥居よりもこちらの光景のほうが神秘的ですね。
海中鳥居の陸地側にはもうひとつ大きな鳥居が建っていますが、この時は大型バスがこの鳥居の目の前に停まっていたので、この鳥居と海中鳥居を一直線にして撮影することができませんでした。観光バスの運転手さんなら、この位置から撮影するのがベストポジションなのは分かっていると思うんですが・・・(笑)
海中鳥居のすぐ横には沖へと伸びるコンクリート舗装の細い道があって、今は数台の軽トラが停まっていますが・・・
潮が満ちてくるとこの道は海中に沈んで見えなくなってしまいます。以前このブログに載せた宇土半島の付け根付近にある干潮時だけ姿を現す「長部田海床路(ながべたかいしょうろ)」とよく似ていますが、有明海の干満差がいかに大きいかよく分かる光景ですね。
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