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カマエカズラの鑑賞が終わったら、鶴見半島へ向かいました。 
 

鶴見半島の記事はこのブログで何度も載せていますが、丹賀砲台園地を訪れるのは 7年ぶりです。入口の看板に ゛悲劇の巨砲 ゛と書かれているように丹賀砲台は昭和17年の実射訓練中に爆発事故を起こして、16名の死者を出して廃止となった悲劇の砲台です。
 
 
 

受付で入場料を払ってパンフレットを貰ったらさっそく見学開始です。




 丹賀砲台園地は駐車場の周辺にも慰霊碑や、近くの海中から引き揚げられた二式大艇のプロペラなども展示されていますが、まずは高台に設置されていた砲台跡へと向かいます。
 
 
 

砲台跡へは斜坑をリフトで登りますが、リフトは新しいものに更新されていて、 『伊吹(いぶき)』 と名前も付けられていました。今話題の日本映画の 『空母・いぶき』 と同じ名前ですが、こちらの伊吹は丹賀砲台に設置された大砲(主砲)を搭載していた 『巡洋艦・伊吹』 から名付けられています。




リフトで急な斜坑を登った先は、地下通路のようになっていて、弾薬庫や主動力室などに分かれていました。そして通路の壁には当時のいろんなパネルが掛けられていました。




丹賀砲台に設置されていた砲塔は1924年に艦齢わずか17年ほどで、ワシントン軍縮条約によって解体された、巡洋艦・伊吹から取り外された主砲を据え付けたそうです。この主砲は45口径30cm2連装カノン砲で、豊予海峡(豊後水道)の他の要塞に設置されていた15cmカノン砲と比べるとかなり大きなものだったようです。




ここがかつて砲塔のあった場所で、中央には見学用の螺旋階段が設置されていました。そして画像には写っていませんが、周囲は回廊のような構造の弾薬庫になっていて、壁には2ヶ所に30cmほどの穴が開いていたので、ここから砲弾を砲塔へ送っていたんでしょうね?




螺旋階段を登ったところから撮影した砲塔の設置されていた砲塔井です。周囲のコンクリートは当時のままだそうで、爆発事故を起こして損傷したコンクリートの痕跡も生々しく残っています。




高台の頂上は広場のようになっていて、砲台が設置されていた砲塔井の上には、ドーム状の屋根を設置して砲台跡を風雨から守っています。




これは7年前にりゅう君と訪れ時の画像ですが、地面には豊後水道を挟んで四国の愛媛県と大分県の地図を模した小石が敷き詰められています。そしてりゅう君は太平洋から鶴見半島に上陸しようとしています(笑)




ここから鶴見半島の先端側を眺めた景色です。左に見える陸地は大島の立花崎で、右に見えているのは鶴見半島の地蔵埼です。そしてその間を流れているのは激しい潮流の元ノ間海峡です。



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