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国見温泉あかねの郷を出発したら、国東半島の海岸線を走る国道213号をぐるりと廻って中津市へと向かいました。


しばらく海岸沿いの道を走ったら、前日に寄った豊後高田市の「昭和の町」を通り過ぎて、宇佐市も抜けて中津市へと入りました。中津市で最初に寄ったのは「福沢諭吉旧居」と「福沢諭吉記念館」です。




福沢諭吉旧居の駐車場入口には福沢諭吉の著した「学問のすゝめ」の冒頭に書かれている〝 天は人の上に・・・〝 の一句が記されていますが、これは人間は常に平等であるという意味じゃなくて、生まれた時は皆同じでも学問などの努力をするかしないかで、貧富の差が出ると学問のすゝめには書かれているんですよね。




無料の駐車場に車を停めたらさっそく「福沢諭吉旧居」と「福沢諭吉記念館」の見学です。




ここは「福沢諭吉旧居」と「福沢諭吉記念館」がセットになって大人一人400円で、最初に見学したのは「福沢諭吉記念館」です。ここは館内の撮影が禁止なので画像はありませんが、特に目を引いたのが晩年の諭吉が教え子らしき人物と散歩をしている写真です。この写真を見ると小さな子供を連れて歩いているように見えるほど諭吉は大男でした。ちなみに諭吉は当時としてはかなり高身長の173cmもあったそうです。




諭吉は中津藩の大阪屋敷で生まれましたが、中津藩士だった父が亡くなり幼くして中津へ戻り、もともとの屋敷に住んでいたそうですが、その後母の実家だったこの屋敷に移り住み、長崎へ遊学する19歳までをここで過ごしたそうです。もとの屋敷はこの屋敷のすぐ前にあったと案内板に書かれていたので、諭吉の父と母は幼馴染みだったんでしょうね?




諭吉が移り住んだ母の実家は意外と広くて、いくつもの部屋に分かれていましたが、一旦は嫁いで家を出た娘が子供を連れて戻って来たので、母も諭吉も肩身が狭かったことでしょうね?




この建物は諭吉が長崎へ遊学する19歳頃まで二階の窓辺で学問を続けたといわれる土蔵です。居候の身なので母屋には居場所が無くて、ここで学問に励んでいたんでしょうか?




この土蔵は文化財保護のために内部は立入禁止になっていますが、近くにあった写真パネルでは2階部分はこの様になっています。
現在の一万円札の肖像画は2024年度上半期には、福沢諭吉から近代日本経済の父と呼ばれる「渋沢栄一」へと変わりますが、福沢諭吉の肖像が描かれて中津銘菓ともなっている「壱万円お札せんべい」が、今後どうなるのかとても気になりますね(笑)



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