この日は奇岩・秀峰や紅葉の名所として有名な中津市耶馬渓へ出かけました。
耶馬渓といえば青の洞門や8連アーチで日本最長の石橋の 『 耶馬渓橋 』 がある本耶馬渓が有名ですが、今回訪れたのは本耶馬渓から数kmほど山国川を遡ったところに架かる5連アーチの石橋の 『 馬渓橋 』 を渡った先です。
国道212号線から馬渓橋へと右折し、橋を渡って数百mほど先へ進むと、道路沿いには数台の車が停められる駐車場と、立派なトイレが見えてくるのでここに車を停めました。
駐車場の前にはこの様な切り立った岩壁が見えます。ここは 『 立留りの景 』 という国道212号線に面した巨岩の山ですが、200年ほど前にこの岸壁が一夜にして大音響とともに崩落して、道行く人々が立ち止まって眺めるようになったことからこの名前がついたそうです。
でも今回の目的地は 『 立留りの景 』 じゃなくて、駐車場の横にあるこの狭い道を登った先にある戦国時代の城跡の 『 平田城跡 』 です。
坂道の入口にはこの様な説明板もありました。名勝・耶馬渓に戦国時代の城跡があるのにはちょっとビックリしましたが、それよりも平田城の別名が白米城と書いて ゛まつたけじょう ゛ と読むのにはもっとビックリですね(笑)
舗装されたコンクリートの道は途中から未舗装の道になりますが、足場は良くてゆっくり登っても十数分もあれば山頂に到着します。でも山頂にあるこの石垣や石段は平田城とは関係が無い近世に造られた物のようでした。
戦国武将の黒田長政が中津藩主だった時代の平田城の石垣については、この様な看板がありましたが、石垣は生い茂る草に覆われていて見ることができませんでした。草をかき分ければ石垣が見えたかもしれませんが、この季節は草むらからどんな生き物が出てくるか分かりませんからね(笑)
山頂には今では展望台を兼ねた東屋と、戦争犠牲者を祀る忠魂碑があるだけですが、東屋からは耶馬渓の長閑な田園風景と町並みが望めました。そしてよく見ると画像の左の方には先ほど渡って来た5連アーチの石橋の 『 馬渓橋 』 も小さく見えています。
ここは駐車場やトイレは整備されていましたが、国道からの道が分かり難く、城跡の石垣なども草に覆われてほとんど見れなかったのが少し残念でした。
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耶馬渓といえば青の洞門や8連アーチで日本最長の石橋の 『 耶馬渓橋 』 がある本耶馬渓が有名ですが、今回訪れたのは本耶馬渓から数kmほど山国川を遡ったところに架かる5連アーチの石橋の 『 馬渓橋 』 を渡った先です。
国道212号線から馬渓橋へと右折し、橋を渡って数百mほど先へ進むと、道路沿いには数台の車が停められる駐車場と、立派なトイレが見えてくるのでここに車を停めました。
駐車場の前にはこの様な切り立った岩壁が見えます。ここは 『 立留りの景 』 という国道212号線に面した巨岩の山ですが、200年ほど前にこの岸壁が一夜にして大音響とともに崩落して、道行く人々が立ち止まって眺めるようになったことからこの名前がついたそうです。
でも今回の目的地は 『 立留りの景 』 じゃなくて、駐車場の横にあるこの狭い道を登った先にある戦国時代の城跡の 『 平田城跡 』 です。
坂道の入口にはこの様な説明板もありました。名勝・耶馬渓に戦国時代の城跡があるのにはちょっとビックリしましたが、それよりも平田城の別名が白米城と書いて ゛まつたけじょう ゛ と読むのにはもっとビックリですね(笑)
舗装されたコンクリートの道は途中から未舗装の道になりますが、足場は良くてゆっくり登っても十数分もあれば山頂に到着します。でも山頂にあるこの石垣や石段は平田城とは関係が無い近世に造られた物のようでした。
戦国武将の黒田長政が中津藩主だった時代の平田城の石垣については、この様な看板がありましたが、石垣は生い茂る草に覆われていて見ることができませんでした。草をかき分ければ石垣が見えたかもしれませんが、この季節は草むらからどんな生き物が出てくるか分かりませんからね(笑)
山頂には今では展望台を兼ねた東屋と、戦争犠牲者を祀る忠魂碑があるだけですが、東屋からは耶馬渓の長閑な田園風景と町並みが望めました。そしてよく見ると画像の左の方には先ほど渡って来た5連アーチの石橋の 『 馬渓橋 』 も小さく見えています。
ここは駐車場やトイレは整備されていましたが、国道からの道が分かり難く、城跡の石垣なども草に覆われてほとんど見れなかったのが少し残念でした。
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