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道の駅「きんぽう 木花館」を出発したら、今回の鹿児島旅行で最も訪れたかった「万世(ばんせい)特攻平和祈念館」へと向かいました。


道の駅を出発したら前を通っている国道270号は走らずに、道の駅の前に広がる田んぼの中の道を海に向かって走り、吹上浜の砂防林の中へと入って行きました。




しばらく砂防林の中の道を進んでいると、戦闘機が描かれた「万世特攻平和祈念館」の大きな看板が見えてきました。右端には門柱のようなものも見えていますが、これは当時の万世陸軍飛行場の営門跡です。




営門跡は道路の両側にあって、この間の道路を入って行くと、道路沿いには石灯籠がズラリと並んでいました。「知覧特攻平和会館」も道中には石灯籠がズラリと並んでいますがよく似た光景ですね。




石灯籠の並んだ道を海へ向かって300mも進むと十字路に出て、正面には「万世特攻平和祈念館」の建物が見えてきました。この十字路を直進した先には広大な敷地の「吹上浜海浜公園」があって、十字路を右折すれば万之瀬川に架かる歩道橋の「サンセット ブリッジ」がありますが、これらは次の記事で載せますね。




万世特攻平和祈念館の駐車場は建物の裏手にあるので、車を停めたらさっそく祈念館へと向かいました。ここは「知覧特攻平和会館」ほど有名じゃないので、この時は駐車場には全く車が停まっていませんでした。




この建物が「万世特攻平和祈念館」です。建物の外観はパイロットが最初に乘る練習機で「赤とんぼ」と呼ばれた複葉機を模しているそうです。そして右側には石碑も見えていますが・・・




この石碑は万世特攻慰霊碑です。慰霊碑の下部にはかつてこの地にあった万世陸軍飛行場の名前で、旧町名でもあった「万世」を意味する「よろずよに」と書かれていました。




敷地内には慰霊碑の他にもいくつかの展示物などがあったので、一通り見て廻ったら祈念館の見学をします。




万世特攻平和祈念館の館内案内図です。館内は1階と2階とに分かれていて、2階は遺書などを展示しているので撮影禁止ですが、1階は自由に撮影することができました。




受付で入館料を払って館内へ入るとまず目を引くのが、1階の中央に展示されている吹上浜沖600mの水深5mの海底から引き上げられた「零式三座水上偵察機」です。でもこの偵察機は海軍機なので、陸軍の万世飛行場とは全く関係が無いんですよね。




この偵察機は福岡を離水して沖縄方面の偵察を行って、帰投途中に燃料切れで吹上浜沖に不時着して、機体の大部分が砂に埋もれていたのでこの様に保存状態が良好に保たれていたそうです。




「三座」とは座席が3つある3人乗りの飛行機のことですが、前席から操縦員、爆撃手を兼ねた偵察員、電信員が搭乗します。この角度から見るとその位置関係がよく分かりますね。




ここには「零式三座水上偵察機」のミニチュアも展示されていましたが、この飛行機は1423機も生産されて、太平洋戦争の全期間を通じて活躍した優れた水上機だそうです。










昭和19年末頃からは特攻機が多く飛び立つようになってきたので、知覧飛行場だけでは間に合わなくなり、急きょ突貫工事で造られたのが万世飛行場で、僅かな期間しか使用されなかったので「幻の特攻基地」といわれていますが、ここからの特攻出撃によって201名が命を落としています。




この写真は ゛子犬を抱いた少年兵 ゛として、知覧特攻平和会館にも展示されている有名な写真で、一緒に撮影された隊員たちと共に知覧基地から特攻出撃したと思われがちですが、ここに写っているのは第72振武隊の隊員で、中央の子犬を抱いた少年兵は僅か17歳の荒木幸雄陸軍伍長です。この写真が撮られたのは出撃予定の2時間前だそうですが、この日は出撃が中止になって翌日に他の隊員と共に万世基地から特攻出撃をしています。ちなみに万世基地では20歳に満たない少年兵が54名も特攻出撃しているそうです。




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