新西海橋を出発したら来た道を少しだけ戻ります。
西海橋駐車場から国道202号を来た方向に1kmも戻ると、重要文化財「針尾送信所(無線塔)」と書かれた標識が見えてくるので、矢印に従ってでここを左折しました。
道路を左折するとミカン畑が広がっていて、その先には3本の巨大な無線塔が見えてきます。途中には無線塔の方角に向かって伸びている狭い道路もありますが、狭い道へは入らずに道なりに進みます。
国道を左折してから1.5kmほど道なりに進むと、十字路に出て正面には佐世保湾が見えてきます。そして十字路の角には「針尾送信所」と書かれた案内板が立っているのでこの十字路を左折します。
十字路を左折して500mほど進むと、正面に無線塔とその手前には駐車場が見えてくるのでここに車を停めました。正面に見える塔は3本ある送信塔のうちの高さが135mの「旧佐世保無線電信所 ニ号電信塔」です。
そして駐車場のすぐ左側には、同じく高さが135mの「旧佐世保無線電信所 一号電信塔」が建っています。二号電信塔へは道が無くて行けないようでしたが、一号電信塔へは駐車場から塔の真下まで遊歩道が続いていました。でも塔の内部は見物できないんですよね。
そして駐車場の右側には高さが137mある「旧佐世保無線電信所 三号電信塔」が見えました。これら3本の電信塔から太平洋戦争開戦の暗号文「ニイタカヤマノボレ 一二〇八」を発信したとよく勘違いされていますが、実際に発信したのは千葉県の船橋送信所で、ここではそれらの電波を受信して中国大陸などに再発信したそうです。
三号電信塔だけは内部が見れるようになっているので、駐車場に車を停めたら歩いて行ってみました。三号電信塔の前には建物が見えていますが、ここが電信塔などの見学受付になっていて、建物内にはボランティアの人が常駐しています。手前に見えている古い建物は電信塔と同時に建てられた油倉庫だそうで、重要文化財に指定されています。
ボランティアの人に声掛けをしたら、さっそく三号電信塔の見学をしますが、受付とフェンスの前には募金箱が置かれています。針尾送信塔及周辺設備は見学無料ですが、これだけ大規模な戦争遺構を無料で見れるんですから、維持管理のために募金をするのは当然ですよね。ボランティアの方々にも頭が下がる思いですね。
第三電信塔へ向かう途中で降り返った景色です。画像の手前に見えるコンクリートの基礎部分は当時の事務所及び兵舎跡で、その奥には第二電信塔と送信機電源室なども見えていますが、右下の白い建物と中央の櫓状の塔は、現在も使用されている自衛隊の施設です。
第三電信塔の真下まで来ました。ここから塔を見上げると、先端部はよく見えないほど遥か上にありました。ここからの眺めは137mの高さを実感しますね。そしてコンクリートの表面はとてもきれいで、これが100年以上も前に造られたものとはとても思えませんね。
ここが第三電信塔の入口です。扉は見学時間内は常時解放されているようで、誰でもが自由に出入りできるようです。
入口から内部を覗いてみると、塔底部には当時使われていた資材巻上け用のウインチが置かれていました。
そして塔の上部を眺めると、中央には鉄製の櫓のようなものが組まれて上部へと伸びていましたが、その横のコンクリート壁にはサル梯子が設置されていました。櫓状のものもサル梯子も先端部は見えませんでしたが、恐らく塔の先端部まで伸びているんでしょうね?そして点検などで人が塔に登る時にはこのサル梯子を使っていたんでしょうね?
三号電信塔の横には、展望台などでよく見かける休憩所らしきものがありましたが、これも旧佐世保無線電信所の設備の一部で「附・見張所」と説明板に書かれていました。「附」ってことは国の重要文化財に指定されている旧佐世保無線電信所の付属設備なんですね。
ここから針尾瀬戸の方角を眺めると、先ほど訪れたばかりの「新西海橋」もすぐ目の前に見えました。
第三電信塔の見学をしたら、来た道を戻って「送信機電源室」の見学です。ここも見学時間内は開放されていて自由に見学ができるようだったので、まずは右の階段があるところを登って建物の外観を見学です。
ここが「送信機電源室」の建物ですが、3本の電信塔は正三角形に配置されていて、この建物はその中心に建っているので、ここが佐世保無線電信所の中枢部ともいえるところだったんでしょうね?
建物の入口には「送信機電源室」と木製の看板も掲げられていましたが、これも建設当時からある100年以上前のものなんでしょうか?
送信機電源室を外部から見学したら、次は建物内部の見学です。この建物も電信塔と同じ時に建てられましたが、内部は比較的保存状態も良くてとても築100年を超えているとは思えませんね。
でも蓄電池に使用される硫酸を保管していた倉庫だけは、コンクリートの腐食を避けるためにレンガ貼りなっていましたが、それでも腐食が激しくてこの様な状態でした。
さらに建物の奥へ進むと広い部屋へ出ました。説明板には「機械室」と書かれていて、天井部分には1921年製の天井走行クレーンが残っていて、床には発電機の基礎も残っていましたが、ここには世界で5台しか製造されなかったという高周波発電機が設置されていたそうです。
今回は久々に見応えのある戦争遺構を見学したって感じでした。ボランティアの人の話では、築100年を超えた送信塔は今後100年は大丈夫だろうと言っていましたが、貴重な戦争遺構なので料金を徴収してでも本格的に保存してもらいたいですね。
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西海橋駐車場から国道202号を来た方向に1kmも戻ると、重要文化財「針尾送信所(無線塔)」と書かれた標識が見えてくるので、矢印に従ってでここを左折しました。
道路を左折するとミカン畑が広がっていて、その先には3本の巨大な無線塔が見えてきます。途中には無線塔の方角に向かって伸びている狭い道路もありますが、狭い道へは入らずに道なりに進みます。
国道を左折してから1.5kmほど道なりに進むと、十字路に出て正面には佐世保湾が見えてきます。そして十字路の角には「針尾送信所」と書かれた案内板が立っているのでこの十字路を左折します。
十字路を左折して500mほど進むと、正面に無線塔とその手前には駐車場が見えてくるのでここに車を停めました。正面に見える塔は3本ある送信塔のうちの高さが135mの「旧佐世保無線電信所 ニ号電信塔」です。
そして駐車場のすぐ左側には、同じく高さが135mの「旧佐世保無線電信所 一号電信塔」が建っています。二号電信塔へは道が無くて行けないようでしたが、一号電信塔へは駐車場から塔の真下まで遊歩道が続いていました。でも塔の内部は見物できないんですよね。
そして駐車場の右側には高さが137mある「旧佐世保無線電信所 三号電信塔」が見えました。これら3本の電信塔から太平洋戦争開戦の暗号文「ニイタカヤマノボレ 一二〇八」を発信したとよく勘違いされていますが、実際に発信したのは千葉県の船橋送信所で、ここではそれらの電波を受信して中国大陸などに再発信したそうです。
三号電信塔だけは内部が見れるようになっているので、駐車場に車を停めたら歩いて行ってみました。三号電信塔の前には建物が見えていますが、ここが電信塔などの見学受付になっていて、建物内にはボランティアの人が常駐しています。手前に見えている古い建物は電信塔と同時に建てられた油倉庫だそうで、重要文化財に指定されています。
ボランティアの人に声掛けをしたら、さっそく三号電信塔の見学をしますが、受付とフェンスの前には募金箱が置かれています。針尾送信塔及周辺設備は見学無料ですが、これだけ大規模な戦争遺構を無料で見れるんですから、維持管理のために募金をするのは当然ですよね。ボランティアの方々にも頭が下がる思いですね。
第三電信塔へ向かう途中で降り返った景色です。画像の手前に見えるコンクリートの基礎部分は当時の事務所及び兵舎跡で、その奥には第二電信塔と送信機電源室なども見えていますが、右下の白い建物と中央の櫓状の塔は、現在も使用されている自衛隊の施設です。
第三電信塔の真下まで来ました。ここから塔を見上げると、先端部はよく見えないほど遥か上にありました。ここからの眺めは137mの高さを実感しますね。そしてコンクリートの表面はとてもきれいで、これが100年以上も前に造られたものとはとても思えませんね。
ここが第三電信塔の入口です。扉は見学時間内は常時解放されているようで、誰でもが自由に出入りできるようです。
入口から内部を覗いてみると、塔底部には当時使われていた資材巻上け用のウインチが置かれていました。
そして塔の上部を眺めると、中央には鉄製の櫓のようなものが組まれて上部へと伸びていましたが、その横のコンクリート壁にはサル梯子が設置されていました。櫓状のものもサル梯子も先端部は見えませんでしたが、恐らく塔の先端部まで伸びているんでしょうね?そして点検などで人が塔に登る時にはこのサル梯子を使っていたんでしょうね?
三号電信塔の横には、展望台などでよく見かける休憩所らしきものがありましたが、これも旧佐世保無線電信所の設備の一部で「附・見張所」と説明板に書かれていました。「附」ってことは国の重要文化財に指定されている旧佐世保無線電信所の付属設備なんですね。
ここから針尾瀬戸の方角を眺めると、先ほど訪れたばかりの「新西海橋」もすぐ目の前に見えました。
第三電信塔の見学をしたら、来た道を戻って「送信機電源室」の見学です。ここも見学時間内は開放されていて自由に見学ができるようだったので、まずは右の階段があるところを登って建物の外観を見学です。
ここが「送信機電源室」の建物ですが、3本の電信塔は正三角形に配置されていて、この建物はその中心に建っているので、ここが佐世保無線電信所の中枢部ともいえるところだったんでしょうね?
建物の入口には「送信機電源室」と木製の看板も掲げられていましたが、これも建設当時からある100年以上前のものなんでしょうか?
送信機電源室を外部から見学したら、次は建物内部の見学です。この建物も電信塔と同じ時に建てられましたが、内部は比較的保存状態も良くてとても築100年を超えているとは思えませんね。
でも蓄電池に使用される硫酸を保管していた倉庫だけは、コンクリートの腐食を避けるためにレンガ貼りなっていましたが、それでも腐食が激しくてこの様な状態でした。
さらに建物の奥へ進むと広い部屋へ出ました。説明板には「機械室」と書かれていて、天井部分には1921年製の天井走行クレーンが残っていて、床には発電機の基礎も残っていましたが、ここには世界で5台しか製造されなかったという高周波発電機が設置されていたそうです。
今回は久々に見応えのある戦争遺構を見学したって感じでした。ボランティアの人の話では、築100年を超えた送信塔は今後100年は大丈夫だろうと言っていましたが、貴重な戦争遺構なので料金を徴収してでも本格的に保存してもらいたいですね。
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