今回もちょっと前の記事の続きです。
県道412号線(奥産スカイライン)を久住高原を目指して走っていると、正面に久住山が見えてきますが、ここには道路の右側に小さな公園があります。ここはりゅう君がいた頃にはくじゅう方面へ出かけた時に必ず立ち寄ってお散歩をしていた 『久住ポケットパーク』 です。
久住ポケットパークは小さな公園ですが、参勤交代路の豊後(肥後)街道を再現した公園で、 ゛歴史の道 豊後(肥後)街道 ゛ と書かれた看板も立てられています。この街道は肥後藩の参勤交代路として利用されましたが、幕末には坂本龍馬や勝海舟が長崎へ向かうために通った道でもあるんですね。
駐車場に車を停めたら、さっそく肥後街道を再現した公園を歩いてみます。石柱には肥後街道と刻まれていますが、参勤交代で江戸へ向かう時にはこの街道は豊後街道と呼ばれていました。詳しいことは後で説明しますね。
肥後街道は加藤清正によって拓かれ、肥後熊本藩の参勤交代路として豊後(大分)の鶴崎宿までの全長124kmの九州を横断する街道です。そして江戸へ向かう時の出発点は熊本城のある熊本です。
熊本を出発したら大津宿、内牧宿でそれぞれ一泊して、久住宿は三日目に宿泊する宿場町です。
久住宿を出発したら今でも石畳が残る今市宿での休憩を挟んで、野津原宿で四日目の宿泊をして、最終日は肥後街道終点の鶴崎宿で五日目の宿泊です。そしてここからは船に乗って海路で大阪へと向かい、東海道を再び陸路で江戸へと向かっていたそうです。
街道の名前は目的地の名前をつけるそうですから、熊本側からは豊後街道、大分側からは肥後街道と呼ばれていたそうです。
この画像は今市の石畳を見物した時に立てられていた看板ですが、これを見ると参勤交代の行程がよく分かりますね。
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県道412号線(奥産スカイライン)を久住高原を目指して走っていると、正面に久住山が見えてきますが、ここには道路の右側に小さな公園があります。ここはりゅう君がいた頃にはくじゅう方面へ出かけた時に必ず立ち寄ってお散歩をしていた 『久住ポケットパーク』 です。
久住ポケットパークは小さな公園ですが、参勤交代路の豊後(肥後)街道を再現した公園で、 ゛歴史の道 豊後(肥後)街道 ゛ と書かれた看板も立てられています。この街道は肥後藩の参勤交代路として利用されましたが、幕末には坂本龍馬や勝海舟が長崎へ向かうために通った道でもあるんですね。
駐車場に車を停めたら、さっそく肥後街道を再現した公園を歩いてみます。石柱には肥後街道と刻まれていますが、参勤交代で江戸へ向かう時にはこの街道は豊後街道と呼ばれていました。詳しいことは後で説明しますね。
肥後街道は加藤清正によって拓かれ、肥後熊本藩の参勤交代路として豊後(大分)の鶴崎宿までの全長124kmの九州を横断する街道です。そして江戸へ向かう時の出発点は熊本城のある熊本です。
熊本を出発したら大津宿、内牧宿でそれぞれ一泊して、久住宿は三日目に宿泊する宿場町です。
久住宿を出発したら今でも石畳が残る今市宿での休憩を挟んで、野津原宿で四日目の宿泊をして、最終日は肥後街道終点の鶴崎宿で五日目の宿泊です。そしてここからは船に乗って海路で大阪へと向かい、東海道を再び陸路で江戸へと向かっていたそうです。
街道の名前は目的地の名前をつけるそうですから、熊本側からは豊後街道、大分側からは肥後街道と呼ばれていたそうです。
この画像は今市の石畳を見物した時に立てられていた看板ですが、これを見ると参勤交代の行程がよく分かりますね。
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