忍者ブログ
2

今回は国道10号線を経由して安心院町へと向かいました。
 

国道10号線を北上して、日出町の中心部も過ぎて杵築市山香町へ入る手前まで来たら 『赤松橋(めがね橋)』 と書かれた標識が見えてきます。いつもは素通りをしているところですが、今回は初めてここへ寄ってみます。
 
 
 

標識のすぐ手前から左へ入ると、大型トラックが余裕で方向転換できるほどの広い駐車場があって、その先にはこんな見事な石橋が見えます。石橋の下を流れている川は杵築市の守江湾へと注ぐ八坂川です。
 
 
 

この石橋は 『赤松橋』 といって、日出町では唯一の石橋だそうです。大分県は全国の四分の一の石橋があるといわれるほど石橋の多い県ですが、日出町にあるのはこの石橋だけだそうです。しかもこの石橋は大分県で最大の幹線道路の国道10号線(旧道)に架かる石橋です。
 
 
 

河川敷から眺めた 『赤松橋』 です。交通量の多い幹線道路の国道10号線に架かっていた石橋だけに橋脚は太くてとっても頑丈そうですね。石橋の里・院内町にある石橋の貴婦人といわれる橋脚がすらりと伸びた 『 鳥居橋 』 とはその姿が随分違いますね。
 
 
 

駐車場に車を停めたらさっそく赤松橋を渡りますが、橋のたもとには大きな桜の木が通行を妨げるように枝を広げていました。桜が満開の時季にはとってもきれいでしょうね。




親柱の部分には ゛明治〇〇〇 ゛と刻まれていましたがよく解かりませんでした。赤松橋は明治30年に完成したので、おそらく ゛明治30年完成 ゛と旧字体で刻まれているんでしょうね?




この親柱から続く欄干部分はこの様にきれいにカーブしていました。この欄干部分は一見するとコンクリートのようにも見えますが、近づいてよく見たら石材を加工したものでした。




赤松橋がいつまで国道10号線に架かる橋として使われていたのかはよく分かりませんでしたが、かつてはこの橋の上を多くの車両や馬車などが通過して賑わっていたんでしょうね。




赤松橋から眺めた下流側です。手前の車が走っているところが現在の国道10号線で、その向こうにはJR日豊本線の鉄橋が架かっていますが、ちょうど青いソニックが小倉方面へと通過して行くところでした。
赤松橋を出発したら国道10号線をもう少し北上して、県道716号線へと入って安心院町を目指します。



ペット同伴旅行ランキングはこちらへ     車旅(国内)ランキングはこちらへ

        ↓↓↓                        ↓↓↓ 
 
     にほんブログ村 旅行ブログ ペット同伴旅行へ                 にほんブログ村 旅行ブログ 車旅(国内ドライブ)へ
     にほんブログ村                 にほんブログ村
   
     
    




PR
先日載せた豊臣姓を名乗る日出藩・木下氏の記事の続きです。


日出城址を過ぎて日出町の商店街の中を杵築市方面へ進んで行くと、道はクランク状に曲がって正面に大きな鳥居が見えてきます。ここは千年以上の歴史をもつ 『若宮八幡神社』 です。
 
 
 

この神社は日出藩の歴代藩主とつながりの深い神社で、歴代藩主が寄進した鳥居や灯篭などがたくさんあります。この鳥居には11代藩主の 『日出候豊臣俊懋』 の文字が刻まれていました。前記事でもちょっと触れましたが、木下氏は豊臣秀吉と姻戚関係にあったことから、江戸時代には豊臣姓を名乗ることを許されていたそうです。




鳥居をくぐって境内へ入ると、いくつものお社が見えてきます。これらのお社は左から絵馬殿、拝殿そしてその右には神楽殿、楼門などです。




この建物は拝殿ですが、この奥には朱塗りの立派な本殿があります。




拝殿に掲げられていた額に書かれていた 『若宮八幡神社』 の文字は、現在の木下家当主で第19代の木下崇俊氏の書でした。




境内にはこの様な説明板がありました。日出藩の歴代藩主は若宮八幡神社へ鳥居や燈籠を寄進していて、それぞれに 『豊臣』姓の入った藩主の名前が刻まれていますが、初代藩主の木下延俊だけは『 豊 臣 』ではなくて 『 豊 冨 』 の文字を使っていたそうです。




これが説明板に書かれていた初代藩主が奉納した鳥居です。ちょっと文字がかすれていますが、『 豊 冨 』 の文字が刻まれています。木下延俊が日出藩の初代藩主となった頃は、徳川家康が豊臣家を滅ぼしてまだ日の浅い時期だったので、徳川幕府に遠慮したのでは?ともいわれています。




今回は一番上の画像に写っている鳥居をくぐって境内へと入りましたが、別府湾に面した側にも鳥居があって、この鳥居の先には重厚で立派な楼門がありました。そしてこの楼門をくぐると正面に拝殿が見えました。




楼門へ続く石段を登って後ろを振り返ったら別府湾が一望できました。今は目の前に住宅や漁港がありますが、江戸時代にはすぐ前に海が広がっていたんでしょうね。



ペット同伴旅行ランキングはこちらへ     車旅(国内)ランキングはこちらへ

        ↓↓↓                        ↓↓↓ 
 
     にほんブログ村 旅行ブログ ペット同伴旅行へ                 にほんブログ村 旅行ブログ 車旅(国内ドライブ)へ
     にほんブログ村                 にほんブログ村
   
  
 
 




今回は画像が多いので日出城址の記事を2回に分けて紹介します。
 

大手門跡を過ぎて次に寄ったのは移転、修復された隅櫓(鬼門櫓)です。ここは内部を無料で見学できて撮影も可能なんですが、この時はすぐ横にある歴史資料館のおじさん?が内部を詳しく説明をしてくれたので、話を聞くのに夢中になって内部を撮影する余裕がなかったんですよね(笑)
 
 
 

隅櫓は明治時代になって城内に学校が造られる時に天守閣などとともに競売にかけられたそうですが、当時の日出藩の上級武士だった人が買い取って自宅の敷地に移設したので現在まで残ることができたそうです。この画像は移設される前の隅櫓の姿です。
 
 
 

隅櫓の説明板です。これによると隅櫓は鬼門櫓ともいわれて、日出城の築城と同時期に築かれたとっても古い建物だそうです。そして災いを招く東北の方位(鬼門)の隅を欠いた櫓は全国でも珍しいとも書かれていました。




隅櫓の内部を見学したら、白壁の土塀が続く道を先へと進みます。余談ですが元アイドル歌手の麻丘めぐさんの先祖は日出藩の家老職だったので、お父さんの実家がこの近くの二の丸辺りにあったそうです。




ここは15代藩主の木下俊程の時に造られた藩校の 『致道館(ちどうかん)』 です。元々は二の丸地区にあったものをここへ移設したそうですが、大分県下では唯一現存する藩校の建物だそうです。ここは内部の見学もできました。




致道館の見学を済ませたら坂を下って海岸へと向かいます。




海岸沿いの遊歩道へ出ると、別府湾に面した城郭の一角には 『人柱祠』 と刻まれた祠がありました。




人柱祠の説明板です。これによると遊歩道の工事中に老武士らしき人骨やカブトなどが発掘されたそうです。人柱って伝承だけのことが多いですが、ここでは本当に人骨が見つかっているんですね。
 
 
 

別府湾に面して築城された日出城址には海岸沿いと一段高くなった位置の二か所に遊歩道がありますが、これから上の遊歩道を歩いて先へと進みます。
 



遊歩道を歩いて行くと 『軍艦 海鷹(かいよう)之碑』 と刻まれた石碑が見えてきます。海鷹は貨客船の 『あるぜんちな丸』 を空母に改造した船ですが、空襲で被害を受けてこのすぐ沖で座礁したそうです。ここにも先の大戦の傷跡が残っているんですね。
 
  
  

遊歩道を先へ進むとこんなに立派な石垣が見えてきます。日出藩の初代藩主の木下延俊は有力大名だった細川忠興と姻戚関係にあったので、細川氏の支援を受けて日出城を築城したので、わずか3万石の小大名ですがこんな立派な石垣をもつお城を築城できたんですね。




ペット同伴旅行ランキングはこちらへ     車旅(国内)ランキングはこちらへ

        ↓↓↓                        ↓↓↓ 
 
     にほんブログ村 旅行ブログ ペット同伴旅行へ                 にほんブログ村 旅行ブログ 車旅(国内ドライブ)へ
     にほんブログ村                 にほんブログ村
   

                 




ブログ内検索
忍者カウンター
最新CM
[04/08 nicoママ]
[03/03 nicoママ]
[02/16 NONAME]
[02/13 ルビたんママ]
[01/02 ルビたんママ]
アーカイブ
P R