杵築市での食事が終わったら日出町大神の深江漁港へ向かいます、
日出町大神(ひじまちおおが)にある人間魚雷 『回天』 の訓練基地跡が昨年の5月に記念公園として整備されたので帰り道にちょっとだけ寄り道をして見学をします、
杵築市を出発して国道213号線を20分ほど別府市方面へ走ると日出町大神に到着します、そこから県道へ左折して人間魚雷回天訓練基地跡のある深江漁港を目指しているとこんな標識が見えてきます、
標識に従って進み海へ出ると人間魚雷・回天の実物大模型と回天基地跡の石碑が見えてきます、でも2014年にここを訪れた時は人間魚雷・回天の模型の周囲には廃屋などがありましたが今ではこんなにきれいに整備されていました、その時の記事は ここ をクリックして下さいね、
人間魚雷・回天の記念碑の台座には 『天を回らし戦局の逆転を願って』 と書かれていました、回天ってそういう意味だったんですね、
回天大神訓練基地記念公園は完成してまだ一年も経っていないのでとってもきれいですが以前は全く整備されてなくてこの辺りも荒れ果てたような感じのコンクリートの地面だったんですよね、
記念公園の駐車場に車を停めたらさっそく見学ですがここは完成したばかりのきれいな公園ですからりゅう君は車でお留守番です、りゅう君はいろんなところにマーキングをしますからね(笑)
回天大神訓練基地記念公園は25ヘクタールといわれた広大な基地敷地内の中で人間魚雷・回天を実際に水に沈めて水漏れ等を調べる魚雷調整プール跡のすぐ横に造られていますが何といっても目を引くのが外観を忠実に再現したこの実物大の模型です、
実物大模型が完成した当初には無かった階段も設置されていて回天の搭乗員が出入りするハッチ部分が見られるようになっていました、
踏み台の上から撮影した回天のハッチ部分です、以前は手をいっぱいに伸ばして撮影していましたがこれだとハッチ部分が良く見えますね、右に写っているコンクリートの構造物は魚雷調整プールです、
回天の説明板にはプラスチックのケースが置いてあって中には回天大神訓練基地の変遷や人間魚雷・回天の詳細なメカニズムなどが書かれたパンフレットが入っていました、左右どちらの箱も同じ内容のパンフレットですが左は以前から回天神社に置いてあったパンフレットで右は表紙が変わった新しいパンフレットでした、
これが今回私が頂いて帰った新しい表紙のパンフレットです、
記念公園の敷地を出て道路側から撮影した魚雷調整プールと実物大の回天の模型です、
回天大神訓練基地記念公園の見物が終わったらちょっとだけ移動してりゅう君のお散歩です、りゅう君はさっそく準備体操のブルブルです、
準備体操のブルブルが終わってスッキリした顔になったりゅう君です、
車から降りたらりゅう君は軽快に駆け出して行きました、一時期は膝が悪くてまともに駆ける事もできなかったりゅう君ですが最近はすっかり良くなったようで元気いっぱいです、でもどうして回復したのかは不明なんですよねぇ~、
しばらく歩いて防波堤までやって来ました、左に見えている海は深江漁港で右は野球グランドなどがある住吉ふれあい公園です、
防波堤に上がって海を眺めていたら海中にレールのようなものが護岸の下から伸びていました、これも回天大神訓練基地と関係がある遺構なんでしょうか?
住吉ふれあい公園を一回りして山側へ行ってみる岩肌にはいくつものコンクリート製や素掘りの壕があります、これらはすべて回天大神訓練基地の遺構のようです、
でも洞窟の周囲は雑草に覆われていて今は冬ですから雑草は枯れていますが引っ付き虫といわれてズボンや服に引っ付く植物の種がたくさんありました、これはセンダングサですね、
パンフレットに載っていたいくつかの壕を見学しながらのりゅう君のお散歩が終わったら足をきれいに拭きます、
あれだけ気をつけて草むらに入らないようにしましたがりゅう君の足にはこんなにたくさんの引っ付き虫が付いていました、
引っ付き虫を全部取るのに苦労しましたがこれから高台にある回天神社へ向かいます、
回天神社がある高台への入口です、ここは車で登れますが車一台がやっと通れるほどの道幅でしかも急坂になっています、ここにも洞窟があって酸素圧縮ポンプ室跡と書かれていました、
高台に上がると3つのお社があります、左の建物が恵比寿神社、右の手前に見えている建物には別府湾で引き上げられた回天の原型となった九三式酸素魚雷の機関部と回天の1/3模型が展示されていてその奥に回天神社と住吉神社があります、
この高台からは回天大神訓練基地記念公園も見えます、
これは回天の原型となった九三式酸素魚雷の機関部です、酸素魚雷とは燃料の酸化剤に空気の代わりに酸素を用いたもので世界で日本だけが実用化させた高性能の魚雷で全長は9mもある巨大なものです、
ここが回天神社です、回天搭乗員や整備員など1073名の戦没者が祀られている唯一の神社ですが住吉神社の末社として宮司、氏子によって今でも手厚く祀られているそうです、
回天大神訓練基地記念公園と回天神社の見学が終わったらお家へと向かいます、お家までは35kmほどの距離で一時間もかからないのでりゅう君が眠っている間に到着です。
日出町大神(ひじまちおおが)にある人間魚雷 『回天』 の訓練基地跡が昨年の5月に記念公園として整備されたので帰り道にちょっとだけ寄り道をして見学をします、
杵築市を出発して国道213号線を20分ほど別府市方面へ走ると日出町大神に到着します、そこから県道へ左折して人間魚雷回天訓練基地跡のある深江漁港を目指しているとこんな標識が見えてきます、
標識に従って進み海へ出ると人間魚雷・回天の実物大模型と回天基地跡の石碑が見えてきます、でも2014年にここを訪れた時は人間魚雷・回天の模型の周囲には廃屋などがありましたが今ではこんなにきれいに整備されていました、その時の記事は ここ をクリックして下さいね、
人間魚雷・回天の記念碑の台座には 『天を回らし戦局の逆転を願って』 と書かれていました、回天ってそういう意味だったんですね、
回天大神訓練基地記念公園は完成してまだ一年も経っていないのでとってもきれいですが以前は全く整備されてなくてこの辺りも荒れ果てたような感じのコンクリートの地面だったんですよね、
記念公園の駐車場に車を停めたらさっそく見学ですがここは完成したばかりのきれいな公園ですからりゅう君は車でお留守番です、りゅう君はいろんなところにマーキングをしますからね(笑)
回天大神訓練基地記念公園は25ヘクタールといわれた広大な基地敷地内の中で人間魚雷・回天を実際に水に沈めて水漏れ等を調べる魚雷調整プール跡のすぐ横に造られていますが何といっても目を引くのが外観を忠実に再現したこの実物大の模型です、
実物大模型が完成した当初には無かった階段も設置されていて回天の搭乗員が出入りするハッチ部分が見られるようになっていました、
踏み台の上から撮影した回天のハッチ部分です、以前は手をいっぱいに伸ばして撮影していましたがこれだとハッチ部分が良く見えますね、右に写っているコンクリートの構造物は魚雷調整プールです、
回天の説明板にはプラスチックのケースが置いてあって中には回天大神訓練基地の変遷や人間魚雷・回天の詳細なメカニズムなどが書かれたパンフレットが入っていました、左右どちらの箱も同じ内容のパンフレットですが左は以前から回天神社に置いてあったパンフレットで右は表紙が変わった新しいパンフレットでした、
これが今回私が頂いて帰った新しい表紙のパンフレットです、
記念公園の敷地を出て道路側から撮影した魚雷調整プールと実物大の回天の模型です、
回天大神訓練基地記念公園の見物が終わったらちょっとだけ移動してりゅう君のお散歩です、りゅう君はさっそく準備体操のブルブルです、
準備体操のブルブルが終わってスッキリした顔になったりゅう君です、
車から降りたらりゅう君は軽快に駆け出して行きました、一時期は膝が悪くてまともに駆ける事もできなかったりゅう君ですが最近はすっかり良くなったようで元気いっぱいです、でもどうして回復したのかは不明なんですよねぇ~、
しばらく歩いて防波堤までやって来ました、左に見えている海は深江漁港で右は野球グランドなどがある住吉ふれあい公園です、
防波堤に上がって海を眺めていたら海中にレールのようなものが護岸の下から伸びていました、これも回天大神訓練基地と関係がある遺構なんでしょうか?
住吉ふれあい公園を一回りして山側へ行ってみる岩肌にはいくつものコンクリート製や素掘りの壕があります、これらはすべて回天大神訓練基地の遺構のようです、
でも洞窟の周囲は雑草に覆われていて今は冬ですから雑草は枯れていますが引っ付き虫といわれてズボンや服に引っ付く植物の種がたくさんありました、これはセンダングサですね、
パンフレットに載っていたいくつかの壕を見学しながらのりゅう君のお散歩が終わったら足をきれいに拭きます、
あれだけ気をつけて草むらに入らないようにしましたがりゅう君の足にはこんなにたくさんの引っ付き虫が付いていました、
引っ付き虫を全部取るのに苦労しましたがこれから高台にある回天神社へ向かいます、
回天神社がある高台への入口です、ここは車で登れますが車一台がやっと通れるほどの道幅でしかも急坂になっています、ここにも洞窟があって酸素圧縮ポンプ室跡と書かれていました、
高台に上がると3つのお社があります、左の建物が恵比寿神社、右の手前に見えている建物には別府湾で引き上げられた回天の原型となった九三式酸素魚雷の機関部と回天の1/3模型が展示されていてその奥に回天神社と住吉神社があります、
この高台からは回天大神訓練基地記念公園も見えます、
これは回天の原型となった九三式酸素魚雷の機関部です、酸素魚雷とは燃料の酸化剤に空気の代わりに酸素を用いたもので世界で日本だけが実用化させた高性能の魚雷で全長は9mもある巨大なものです、
ここが回天神社です、回天搭乗員や整備員など1073名の戦没者が祀られている唯一の神社ですが住吉神社の末社として宮司、氏子によって今でも手厚く祀られているそうです、
回天大神訓練基地記念公園と回天神社の見学が終わったらお家へと向かいます、お家までは35kmほどの距離で一時間もかからないのでりゅう君が眠っている間に到着です。
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Comment
1
りゅうくん、いつも楽しいお散歩ですよねぇ~。
準備体操で体も軽くなりますからね。
私も会社の朝の体操は。少しまじめにしていますよ。
時代が時代と言えばそれまでだけど、悲しい時代。
ほんの50年ぐらい生まれるのが早かったら
私たちも向かっていったことでしょうね。
あちこちで紛争、戦争が起こっていますが、
どうにかならないもんですかねぇ~。
祈るばかりじゃあ・・・しかしですねぇ~。
私も会社の朝の体操は。少しまじめにしていますよ。
時代が時代と言えばそれまでだけど、悲しい時代。
ほんの50年ぐらい生まれるのが早かったら
私たちも向かっていったことでしょうね。
あちこちで紛争、戦争が起こっていますが、
どうにかならないもんですかねぇ~。
祈るばかりじゃあ・・・しかしですねぇ~。
RE.1
こんにちは、びびさん
りゅう君はお散歩の前に必ず前後の背伸びをしてからこのブルブルをするのでとっても撮影し易いんですよね、
ここはつい数年前まではほとんど整備されてなくて回天の実物大の模型もありませんでしたがこういった物を後世に残すのは大事なことですよね、
でもパンフレットによるとこの地区の広大な土地に数え切れないほど遺構があるようなので全部を保存するのは無理でしょうね、
終戦時に残っていた回天などは別府湾に投棄されたそうですから近い将来に引き揚げられるかもしれませんね?
鹿屋のゼロ戦のように修復されるといいんですが・・・
ここはつい数年前まではほとんど整備されてなくて回天の実物大の模型もありませんでしたがこういった物を後世に残すのは大事なことですよね、
でもパンフレットによるとこの地区の広大な土地に数え切れないほど遺構があるようなので全部を保存するのは無理でしょうね、
終戦時に残っていた回天などは別府湾に投棄されたそうですから近い将来に引き揚げられるかもしれませんね?
鹿屋のゼロ戦のように修復されるといいんですが・・・
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