新田原古墳群を出発したら来た道を戻りながら、もう何ヶ所かの見所を廻ります。
新富町からは県道24号などいくつかの道を走って高鍋町へと戻り、小丸川を渡って県道304号を少しだけ走ると国道10号へと出ますが・・・
そのすぐ手前には「花守山・高鍋大師」と「持田古墳群」と書かれた小さな標識が見えてくるので、画像に写っている軽トラの後に続いて狭い道へと入って行きました。
標識に従って左折すると、車一台がやっと通れるような狭い道が延々と続きましたが、幸いにもすぐ前を軽トラが走っていたので、対向車が手前で待機してくれて、一度もバックをせずに済みました(笑)
狭い登り坂の道を過ぎて高台へ出たら、茶畑の中を走る少しだけ広い道路になりました。茶畑の向こうには円墳がいくつも見えていますが、これらが標識に書かれていた「持田古墳群」なんでしょうか?ちなみに持田古墳群には前方後円墳10基、円墳75基があるそうです。
茶畑を過ぎると再び樹木が繁った車一台がやっと通れるほどの道を500mほど走りましたが、林を抜けると突然視界が開けて正面に大きな円墳が見えてきました。ここが花守山の山頂のようですが、円墳には「持田古墳群 48号墳」と書かれた木柱が立てられていました。新田原古墳群もほとんどの古墳には〇〇号古墳と名付けられていましたが、この辺り一帯には何百基もの古墳があるので、あまりに多すぎてひとつひとつに名前をつけられないんでしょうね?
円墳の周囲は駐車場になっていて、とても広い芝生広場からは高鍋町の町並や日向灘が一望できました。この光景だけを見ていると、どこにでもあるような展望公園って感じがしますが・・・
広場から一段下がったところにはもう一つ古墳があって「持田古墳群 49号墳」と書かれていましたが、古墳を取り囲むように大小の石像がズラリと並んでいました。
そしてここには清掃の行き届いたきれいなトイレと、その横には大師堂もあって、中へ入ってお参りができるようになっていました。
古墳を取り囲むように建っていた巨大な石像は5m以上はありそうで、高鍋市街地を向いていましたが、細長い形のために倒れないように、後ろ側は鉄骨の支柱で支えられていました。
巨大な石像の正面へ廻ってみると何とも不思議な姿、形をした石像で、これら大小の石造群は全部で700体以上もあるそうですが、地元で米穀店を営んでいた岩岡保吉という人が、古墳に眠る人の霊を慰めるために生涯をかけて一人でコツコツと刻んだそうです。
何とも不思議でユーモラスな石像ばかりですが、説明のしようも無いのでここからは画像だけを見て下さいね(笑)
石像群のあまりの見事さ(ユーモラスさ)に見入ってしまい、一時間以上も滞在してしまいましたが、ここは山頂までの道がとても狭くて、車のすれ違いが困難なのが難点ですね。
この画像は花守山を下って県道から高鍋大師を撮影したものです。、高鍋大師は県道のすぐ上にあって、車ではかなり大回りをしますが、真下から直接登れる遊歩道もあったので、もしこの近くに車を停められるのなら歩いて登ったほうが無難ですね。
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標識に従って左折すると、車一台がやっと通れるような狭い道が延々と続きましたが、幸いにもすぐ前を軽トラが走っていたので、対向車が手前で待機してくれて、一度もバックをせずに済みました(笑)
狭い登り坂の道を過ぎて高台へ出たら、茶畑の中を走る少しだけ広い道路になりました。茶畑の向こうには円墳がいくつも見えていますが、これらが標識に書かれていた「持田古墳群」なんでしょうか?ちなみに持田古墳群には前方後円墳10基、円墳75基があるそうです。
茶畑を過ぎると再び樹木が繁った車一台がやっと通れるほどの道を500mほど走りましたが、林を抜けると突然視界が開けて正面に大きな円墳が見えてきました。ここが花守山の山頂のようですが、円墳には「持田古墳群 48号墳」と書かれた木柱が立てられていました。新田原古墳群もほとんどの古墳には〇〇号古墳と名付けられていましたが、この辺り一帯には何百基もの古墳があるので、あまりに多すぎてひとつひとつに名前をつけられないんでしょうね?
円墳の周囲は駐車場になっていて、とても広い芝生広場からは高鍋町の町並や日向灘が一望できました。この光景だけを見ていると、どこにでもあるような展望公園って感じがしますが・・・
広場から一段下がったところにはもう一つ古墳があって「持田古墳群 49号墳」と書かれていましたが、古墳を取り囲むように大小の石像がズラリと並んでいました。
そしてここには清掃の行き届いたきれいなトイレと、その横には大師堂もあって、中へ入ってお参りができるようになっていました。
古墳を取り囲むように建っていた巨大な石像は5m以上はありそうで、高鍋市街地を向いていましたが、細長い形のために倒れないように、後ろ側は鉄骨の支柱で支えられていました。
巨大な石像の正面へ廻ってみると何とも不思議な姿、形をした石像で、これら大小の石造群は全部で700体以上もあるそうですが、地元で米穀店を営んでいた岩岡保吉という人が、古墳に眠る人の霊を慰めるために生涯をかけて一人でコツコツと刻んだそうです。
何とも不思議でユーモラスな石像ばかりですが、説明のしようも無いのでここからは画像だけを見て下さいね(笑)
石像群のあまりの見事さ(ユーモラスさ)に見入ってしまい、一時間以上も滞在してしまいましたが、ここは山頂までの道がとても狭くて、車のすれ違いが困難なのが難点ですね。
この画像は花守山を下って県道から高鍋大師を撮影したものです。、高鍋大師は県道のすぐ上にあって、車ではかなり大回りをしますが、真下から直接登れる遊歩道もあったので、もしこの近くに車を停められるのなら歩いて登ったほうが無難ですね。
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