道の駅・北浦で食事とお散歩が終わってこれから出発です、
これから向かうのは延岡県北川町にある日本神話に出てくるニニギノミコトの埋葬地といわれている可愛山陵(えのやまのみささぎ)と西郷隆盛宿陣跡資料館です、
道の駅・北浦を出発したら再び東九州道に乗って南へ進み北川ICで高速を降ります、無料の高速道路って一般道のような感覚で何度でも乗り降りできるのでとっても便利ですね、
北川ICで高速を降りたらいつもは隣接する道の駅・北川はゆま に寄りますが今回はトイレ休憩をしただけでそのまま国道10号線へ出て延岡市街地方面へ3kmほど走るとこんな標識が見えてきます、
標識に従って右折すると数百mほど狭い道を通っていきなりこんなに広い駐車場に出ました、ここが西郷隆盛宿陣跡資料館の駐車場のようです、
ここには可愛岳(えのだけ)登山道案内地図の大きな看板もあったので登山者の駐車場も兼ねているんでしょうか?
さっそく駐車場のすぐ横にある西郷隆盛宿陣跡資料館へと行きます、
資料館の入口にある説明板です、南洲翁とは西郷隆盛の最も敬意を表した呼び名だそうです、
敷地内の右にある建物が西郷隆盛が西南の役の時に宿陣した児玉熊四郎宅で左の建物は西南の役民俗資料館です、
そして敷地内には軍服焼却の地と書かれた柵に囲まれたところがありました、
説明板にはこのように書かれていました、
西郷隆盛宿陣跡の児玉熊四郎宅に入りました、ここで受付のおじさんが15分ほど可愛岳の戦などについて説明をしてくれましたが最初に何分ほど説明しましょうかと聞かれ何時間でも説明できますよって言われたのでちょっとビックリでした(笑)、でもここには自動音声のナレーションもあるようです、
ここには西南の役の延岡における最後の決戦となった和田越え決戦に敗れて最後の軍義を開いた時の様子を表した等身大の人形などが座敷に置かれていました、
おじさんは説明がとっても上手で西南の役のウラ話なども聞けてあっという間に15分ほどが経ちました、おじさんの説明は土間で椅子に座って聞きましたが話が終わったら別の入口から児玉熊四郎宅へ再び入ります、
ここからは先ほどは少し離れて見えていた最後の軍義の様子を表した人形を間近に見る事ができました、どっしりと座っている西郷隆盛の横で立ち上がって熱弁?を振るっているのは人斬り半次郎の異名で知られる桐野利秋です、
児玉熊四郎宅の見学が終わったら隣にある西南の役民俗資料館を見学します、
ここは2階建ての資料館で1階にも2階にもたくさんの資料が展示されていました、そしてこの資料館も児玉熊四郎宅内部も撮影はすべてOKでした、
ここには可愛岳の戦いで使われた鉄砲や銃弾、錆びた日本刀などもたくさん展示されていました、
ここは国道沿いに小さな標識があるだけで観光地化もされていないので最初は期待していませんでしたが想像していたよりも見応えがあって見学を終えて満足して外へ出るとこんな標識がありました、
そしてここには 『ニニギノミコト御陵墓参考地』 と書かれた看板もありました、ニニギノミコトといえば日本神話に出てくる神様ですが御陵墓参考地というのは宮内庁によって皇族の墳墓とされているけれど被葬者を特定する資料に乏しい墳墓の事だそうです、
ニニギノミコト御陵墓参考地(可愛山陵)へは西郷隆盛宿陣跡資料館の横の道を上って行きます、画像の左に見えている板塀が資料館で道路の舗装が途切れているところが可愛山陵ですから本当にすぐ近くです、
駐車場から1分も歩かずにニニギノミコト御陵墓参考地に到着です、ここは西郷隆盛宿陣跡資料館の真裏にありますが資料館のおじさんの話だと皇族のお墓の直ぐ近くなら官軍も攻めてこないからここを宿陣の地としたそうです、
さっそく石段を上がってニニギノミコト御陵墓参考地を見学です、りゅう君を歩かせたいところですが神聖な場所なのでりゅう君はバッグに入ったままです、
石段を上がるとコンクリートの塀と鉄の柵があってその奥がニニギノミコト御陵墓参考地のようです、
立札には北川陵墓参考地と書かれていますがここはいろんな呼び方があるんですね、そして皇族にゆかりがある事を証明する宮内庁の文字も見えます、
コンクリートの塀の奥にはこのような木製の扉のようなものがあってその奥が土の盛り上がった古墳のようでした、
可愛山陵と西郷隆盛宿陣跡資料館の見学が終わったら国道10号線から国道326号線を経由して大分県へ入りました、正面には唄げんか大橋とその先には道の駅・宇目が見えていますが西郷隆盛宿陣跡資料館からは30分ほどの距離です、
道の駅・宇目に到着したらりゅう君は今日最後のお散歩です、この日は猛暑日でとっても暑い日でしたがりゅう君の後ろにあるトリックアート?を見ていると少しだけ涼しげな気分になりますね、
今年のりゅう君はいつまでも髪を伸ばしていましたがこの猛暑なので先日やっとサマーカットにしました、まだ髪を切る前の記事がひとつありますが次の記事を載せた後はいよいよサマーカットで登場しますよ。
これから向かうのは延岡県北川町にある日本神話に出てくるニニギノミコトの埋葬地といわれている可愛山陵(えのやまのみささぎ)と西郷隆盛宿陣跡資料館です、
道の駅・北浦を出発したら再び東九州道に乗って南へ進み北川ICで高速を降ります、無料の高速道路って一般道のような感覚で何度でも乗り降りできるのでとっても便利ですね、
北川ICで高速を降りたらいつもは隣接する道の駅・北川はゆま に寄りますが今回はトイレ休憩をしただけでそのまま国道10号線へ出て延岡市街地方面へ3kmほど走るとこんな標識が見えてきます、
標識に従って右折すると数百mほど狭い道を通っていきなりこんなに広い駐車場に出ました、ここが西郷隆盛宿陣跡資料館の駐車場のようです、
ここには可愛岳(えのだけ)登山道案内地図の大きな看板もあったので登山者の駐車場も兼ねているんでしょうか?
さっそく駐車場のすぐ横にある西郷隆盛宿陣跡資料館へと行きます、
資料館の入口にある説明板です、南洲翁とは西郷隆盛の最も敬意を表した呼び名だそうです、
敷地内の右にある建物が西郷隆盛が西南の役の時に宿陣した児玉熊四郎宅で左の建物は西南の役民俗資料館です、
そして敷地内には軍服焼却の地と書かれた柵に囲まれたところがありました、
説明板にはこのように書かれていました、
西郷隆盛宿陣跡の児玉熊四郎宅に入りました、ここで受付のおじさんが15分ほど可愛岳の戦などについて説明をしてくれましたが最初に何分ほど説明しましょうかと聞かれ何時間でも説明できますよって言われたのでちょっとビックリでした(笑)、でもここには自動音声のナレーションもあるようです、
ここには西南の役の延岡における最後の決戦となった和田越え決戦に敗れて最後の軍義を開いた時の様子を表した等身大の人形などが座敷に置かれていました、
おじさんは説明がとっても上手で西南の役のウラ話なども聞けてあっという間に15分ほどが経ちました、おじさんの説明は土間で椅子に座って聞きましたが話が終わったら別の入口から児玉熊四郎宅へ再び入ります、
ここからは先ほどは少し離れて見えていた最後の軍義の様子を表した人形を間近に見る事ができました、どっしりと座っている西郷隆盛の横で立ち上がって熱弁?を振るっているのは人斬り半次郎の異名で知られる桐野利秋です、
児玉熊四郎宅の見学が終わったら隣にある西南の役民俗資料館を見学します、
ここは2階建ての資料館で1階にも2階にもたくさんの資料が展示されていました、そしてこの資料館も児玉熊四郎宅内部も撮影はすべてOKでした、
ここには可愛岳の戦いで使われた鉄砲や銃弾、錆びた日本刀などもたくさん展示されていました、
ここは国道沿いに小さな標識があるだけで観光地化もされていないので最初は期待していませんでしたが想像していたよりも見応えがあって見学を終えて満足して外へ出るとこんな標識がありました、
そしてここには 『ニニギノミコト御陵墓参考地』 と書かれた看板もありました、ニニギノミコトといえば日本神話に出てくる神様ですが御陵墓参考地というのは宮内庁によって皇族の墳墓とされているけれど被葬者を特定する資料に乏しい墳墓の事だそうです、
ニニギノミコト御陵墓参考地(可愛山陵)へは西郷隆盛宿陣跡資料館の横の道を上って行きます、画像の左に見えている板塀が資料館で道路の舗装が途切れているところが可愛山陵ですから本当にすぐ近くです、
駐車場から1分も歩かずにニニギノミコト御陵墓参考地に到着です、ここは西郷隆盛宿陣跡資料館の真裏にありますが資料館のおじさんの話だと皇族のお墓の直ぐ近くなら官軍も攻めてこないからここを宿陣の地としたそうです、
さっそく石段を上がってニニギノミコト御陵墓参考地を見学です、りゅう君を歩かせたいところですが神聖な場所なのでりゅう君はバッグに入ったままです、
石段を上がるとコンクリートの塀と鉄の柵があってその奥がニニギノミコト御陵墓参考地のようです、
立札には北川陵墓参考地と書かれていますがここはいろんな呼び方があるんですね、そして皇族にゆかりがある事を証明する宮内庁の文字も見えます、
コンクリートの塀の奥にはこのような木製の扉のようなものがあってその奥が土の盛り上がった古墳のようでした、
可愛山陵と西郷隆盛宿陣跡資料館の見学が終わったら国道10号線から国道326号線を経由して大分県へ入りました、正面には唄げんか大橋とその先には道の駅・宇目が見えていますが西郷隆盛宿陣跡資料館からは30分ほどの距離です、
道の駅・宇目に到着したらりゅう君は今日最後のお散歩です、この日は猛暑日でとっても暑い日でしたがりゅう君の後ろにあるトリックアート?を見ていると少しだけ涼しげな気分になりますね、
今年のりゅう君はいつまでも髪を伸ばしていましたがこの猛暑なので先日やっとサマーカットにしました、まだ髪を切る前の記事がひとつありますが次の記事を載せた後はいよいよサマーカットで登場しますよ。
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