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下関戦争の長州砲を製造した「郡司鋳造所遺構広場」を出発したら、萩城城下町(武家屋敷群)へと向かいました。


萩城城下町は郡司鋳造所遺構広場から3㎞ほど離れているので、車で移動して「萩中央公園」の駐車場に車を停めました。




萩中央公園は広大な芝生広場の周囲に図書館や萩明倫館などがある萩観光の拠点のようなところで、駐車場には150台ほどの普通車が停められるそうです。




駐車場に車を停めたらさっそく城下町の散策へ向かいますが、ここにはこの様な案内板があって、その左には銅像が建っていました。




この銅像の人物は幕末の長州藩士の久坂玄瑞(くさかげんすい)で、長州藩における尊王攘夷の中心人物だった人です。




萩中央公園を出たところはもう萩城城下町なので、さっそく高杉晋作の誕生地を目指して、昔ながらの土塀が続く武家屋敷通りを散策します。




武家屋敷通りを歩き始めてすぐに見えてきたのは、大久保利通、西郷隆盛と並んで維新の三傑といわれた「木戸孝允(桂小五郎)誕生地」です。




江戸時代の面影が残る白壁の武家屋敷通りはこれまでにも何ヵ所か訪れていますが、萩の武家屋敷通りはこれまでに訪れたところとは違って、ほとんどの屋敷には夏ミカンが植えられています。これは明治維新によって職を失った武士が収入を得るために植えたと言われていて、数本の夏ミカンの木があれば生活ができたといわれるほど当時の夏ミカンは高価な果物だったそうです。




武家屋敷通りの途中には公園のような広場もあって、ここには高杉晋作立志像が建っていました。








武家屋敷通りをさらに進んで行くと「高杉晋作 誕生地」が見えてきました。ここには晋作が産湯に使った井戸などが残っていて拝観料100円で見物もできますが、この時は外国人観光客の団体がいて大声を出して騒がしかったのでスルーしました(笑)ほとんどの観光客はここからは萩中央公園へ引き返していましたが・・・




さらに先へ進むと萩博物館へ出ます。案内板の横には銅像が見えていますが、この人物は維新の英傑の一人で陸軍軍人・政治家の田中儀一です。




萩博物館にも広い駐車場があって、駐車料金は萩中央公園と同じ値段なので、どちらの駐車場に車を停めても武家屋敷通りの見物はできますが、高杉晋作の誕生地だけが目的ならこちらの方が便利かも知れませんね。




武家屋敷通りを見て廻って萩中央公園へ戻っていると「ちょい呑み」と看板が出たお店が見えてきました。ここでは日本酒の立ち飲み?ができるようでしたが、この日はこれから中国山地を縦断して瀬戸内海側まで進む予定なのでお酒を飲むのはムリですね。りゅうママが一緒だったら運転も代われたのにと激しく後悔です(笑)



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