宇佐風土記の丘を出発したら、駅館川(やっかんがわ)を渡って宇佐平野へと向かいます。
次に寄ったのは宇佐平野の田園地帯にある、戦争遺構の拠点施設となっている 「宇佐空の郷」 です。宇佐平野には太平洋戦争中に宇佐海軍航空隊がありましたが、当時はここが航空隊の正門だったそうです。
「宇佐空の郷」 は入館無料ですが、館内には太平洋戦争当時の宇佐海軍航空隊の様子や、現在も残っている遺構の説明をしたパネルなどがあって、館内の中央部には宇佐海軍航空隊の正門の門柱が展示されています。門柱の左側には当時の正門を写した大きな写真パネルもあって、兵隊さんの横に写っている門柱が館内に展示されている門柱です。
「宇佐空の郷」 の周囲は戦争中には宇佐海軍航空隊の広い敷地だったので、たくさんの戦争遺構が残っていますが、まずは車をここに置いて徒歩で行ける 「落下傘整備所」 と、「耐弾式コンクリート造建物」 へと行ってみます。
最初に行ったのは「宇佐空の郷」 から徒歩で5分ほどのところにある 「落下傘整備所」 です。ここは住宅街の中にありますが、以前訪れた時には空き地の中にポツンと建物が建っている様な感じでしたが、今回訪れてみると建物の周囲はコンクリート舗装されていて駐車場もありました。
そして立派な看板も立てられていました。
落下傘整備所の外壁のレンガには米軍機による無数の機銃掃射の痕が残っていて、当時の空襲の激しさを物語っています。
建物の内部も以前はトタン板のようなもので塞がれていて、内部を見ることができませんでしたが、今は金網フェンス越しに内部も見れるようになっていました。
次に寄ったのは 「耐弾コンクリート造建物」 です。ここも 「宇佐空の郷」 から徒歩で5分ほどのところですが、この辺りは住宅街と田園地帯の境目になるので、遺構の周辺も広く舗装されていて、数台ほどの車が停められる駐車場もありました。
「耐弾コンクリート造建物」 は受信所か配水所と考えられる建物で、外壁は45cmの鉄筋コンクリートで補強されていて、上部には土が盛られて上空から見えにくく、窓もない構造になっています。かなり重要な施設だったんでしょうね。
建物の東側には水槽のような設備があって、西側には貯水(燃料?)タンクを設置した土台の跡も残っていました。
この建物も内部は金網フェンス越しに見れるようになっていますが、内部や上部は立入禁止になっています。以前訪れた時には立入禁止の表示も無くて、建物の上部へ上がることもできたんですよね。
宇佐平野に残る戦争遺構の記事を含めて、今回のお出かけ記事はまだいくつか残っていますが、早く載せたい旬の話題もあるので、続きはそれらの記事の後から載せることにします。
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次に寄ったのは宇佐平野の田園地帯にある、戦争遺構の拠点施設となっている 「宇佐空の郷」 です。宇佐平野には太平洋戦争中に宇佐海軍航空隊がありましたが、当時はここが航空隊の正門だったそうです。
「宇佐空の郷」 は入館無料ですが、館内には太平洋戦争当時の宇佐海軍航空隊の様子や、現在も残っている遺構の説明をしたパネルなどがあって、館内の中央部には宇佐海軍航空隊の正門の門柱が展示されています。門柱の左側には当時の正門を写した大きな写真パネルもあって、兵隊さんの横に写っている門柱が館内に展示されている門柱です。
「宇佐空の郷」 の周囲は戦争中には宇佐海軍航空隊の広い敷地だったので、たくさんの戦争遺構が残っていますが、まずは車をここに置いて徒歩で行ける 「落下傘整備所」 と、「耐弾式コンクリート造建物」 へと行ってみます。
最初に行ったのは「宇佐空の郷」 から徒歩で5分ほどのところにある 「落下傘整備所」 です。ここは住宅街の中にありますが、以前訪れた時には空き地の中にポツンと建物が建っている様な感じでしたが、今回訪れてみると建物の周囲はコンクリート舗装されていて駐車場もありました。
そして立派な看板も立てられていました。
落下傘整備所の外壁のレンガには米軍機による無数の機銃掃射の痕が残っていて、当時の空襲の激しさを物語っています。
建物の内部も以前はトタン板のようなもので塞がれていて、内部を見ることができませんでしたが、今は金網フェンス越しに内部も見れるようになっていました。
次に寄ったのは 「耐弾コンクリート造建物」 です。ここも 「宇佐空の郷」 から徒歩で5分ほどのところですが、この辺りは住宅街と田園地帯の境目になるので、遺構の周辺も広く舗装されていて、数台ほどの車が停められる駐車場もありました。
「耐弾コンクリート造建物」 は受信所か配水所と考えられる建物で、外壁は45cmの鉄筋コンクリートで補強されていて、上部には土が盛られて上空から見えにくく、窓もない構造になっています。かなり重要な施設だったんでしょうね。
建物の東側には水槽のような設備があって、西側には貯水(燃料?)タンクを設置した土台の跡も残っていました。
この建物も内部は金網フェンス越しに見れるようになっていますが、内部や上部は立入禁止になっています。以前訪れた時には立入禁止の表示も無くて、建物の上部へ上がることもできたんですよね。
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