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道の駅「おおすみ弥五郎伝説の里」を出発したら、国道269号を来た方向に少し戻ってから、県道110号へ左折して東へ向かって走りました。


県道110号を1.5㎞ほど走ると道路沿いに「芙蓉之塔」と書かれた案内板が見えてきたので、矢印に従って県道110号から町道のようなちょっと狭い道へと右折しました。




案内板には距離が書かれてなかったので、芙蓉の塔がある場所を探しながらゆっくり走っていると「曽於市埋蔵文化財センター」と書かれた看板が見えてきたのでここに車を停めました。




この建物が「曽於市埋蔵文化財センター」です。「芙蓉之塔」は太平洋戦争時にここにあった航空隊の戦没した隊員を慰霊するためのもので、慰霊塔はこの建物のすぐ横にありますが、この建物もかなり古びた感じで戦争遺構のようにも見えますよね(笑)




ここが「芙蓉之塔」のある場所です。曽於市埋蔵文化財センターは隣接した右側にあって、慰霊塔はこの奥にあります。




これが「芙蓉之塔」です。太平洋戦争時に鹿児島県にあった航空基地といえば、昨日訪れた海軍の鹿屋基地や、昨年訪れた薩摩半島にある陸軍の知覧基地、万世基地のように特攻基地ばかりを連想しますが、ここにあったのは特攻基地じゃなくて、この慰霊塔は航空戦などによって亡くなった搭乗員を慰霊するための塔なんですよね。




ここには「岩川飛行場跡(発着地点)」と書かれた木柱も立てられていました。岩川飛行場は太平洋戦争末期に急造された飛行場で、秘密(秘匿)飛行場ともいわれて、昼間は滑走路に牧草などを敷いて牛の放牧を行い、その存在が知られないようにしていたそうです。そしてここには静岡県から移転してきた「芙蓉部隊」と呼ばれる夜間攻撃専門の三個飛行隊が配属されていました。




ここにはこの様な案内板も立てられていて、隣接する埋蔵文化財センターには芙蓉部隊資料展示コーナーがあるようなので、これから埋蔵文化財センターへと行ってみます。




ここが埋蔵文化財センターにある芙蓉部隊展示コーナーの入口です。この右側に事務所があるので一声かければ鍵を開けてくれます。入館はもちろん無料です。扉には「ようこそ  いらっしゃいました 」を意味する鹿児島弁の「ゆくさ  おさいやした」と書かれていました。以前訪れた指宿市では「ゆくさ  おじゃったもした」と言いましたが、 鹿児島弁はとても難解なので戦争中は暗号代わりに使われていたといわれているんですよね。




館内はこんな感じです。ここは埋蔵文化財センターなので、古墳から出土した土器なども一緒に展示されていて、芙蓉部隊に関するものはあまり多くはないんですよね。




展示物の中には芙蓉部隊と岩川基地についての説明もありました。




芙蓉部隊では名機と言われた「ゼロ戦」と、高性能機の「彗星」を使用していましたが、このパネルに載っている戦闘機は「彗星」です。




残念なことに岩川飛行場の遺構については現在ほとんど残っていませんが、宿舎や貯蔵庫などのあった場所にはこの様な案内板が立てられているので、以下は画像だけを見て下さいね。














かつてはこの斜面の杉林の中に芙蓉部隊搭乗員の宿舎がありましたが、現在は雑草に覆われていてその痕跡も残っていませんでした。
岩川飛行場の遺構としては通信司令部壕と発電所用豪が残っているそうですが、前者は土砂で埋められて内部が見られず、後者は私有地内にあるので自由に立入りができませんが、後世に残すべき貴重な戦争遺構なので整備して一般公開して欲しいものですね。



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