今回は大分県南の臼杵市、津久見市へ出かけました。
いつもは画像に映っている東九州道を通って県南地方へ出かけますが、今回は臼杵市への最短距離の大分県道21号線(大分臼杵線)を久しぶりに通りました。この道路は大分市と臼杵市の境にある九六位山(くろくいさん)を越える険しい山道なので通行する車もまばらですが、東九州道が開通するまではとっても交通量の多い県道でした。
大分市から臼杵市へ行くにはいくつかのルートがありますが、この道が臼杵市への最短コースなので、以前はいつもこのルートを通っていましたが、道路は山越えの道に入るといきなりカーブの連続で中央線も無くて、カーブ付近で対向車に出会うといつもヒヤリとさせられていました。
険しい山越えの道を過ぎて平地に出るとすぐに臼杵市街地へと入ります。そして臼杵城址の横を通り過ぎるとこれからお昼ご飯を食べる 『臼杵 みなと市場』 の看板が見えてきます。
ここへはちょっと早めに着いたのでまだ11時前でしたが駐車場はほぼ満車でした。そして東九州道が宮崎県まで開通した影響なのか?停まっている車には宮崎ナンバーが多く見られました。
店内へ入ろうとしたら、以前は無かったこんな張り紙が入口にありました。ここへはりゅう君と一度来たことがありますが、この時にこの張り紙があったらりゅう君と一緒に食事ができたんですが・・・
ここではたくさんの海鮮料理や炭火焼、自分で好きな食材を選んで丼に盛り付けて食べられる勝手丼などがあります。そして新鮮な魚介類や干物などのお持ち帰りもできます。
テーブルに座ったらさっそくメニュー表を見ました。おおいたB級グルメで第7回グランプリを受賞した 『はも南蛮御膳』 という料理もありましたが、りゅうママは横に載っている期間限定の 『はもカツ御膳』 を注文です。
そして私はこのお店のイチオシ?の 『みなと御膳』 を注文しました。刺身、天ぷら、茶碗蒸しのほかに数の子が入った小鉢などとっても豪華な御膳でした。
『みなと御膳』 は品数が多くて天ぷらはお盆に乗らなかったので別に撮影しましたが、新鮮プリプリなエビが揚げたてサクサクの衣に包まれていてとっても美味でした。
りゅうママの注文した 『はもカツ御膳』 です。白身の淡白なハモをトンカツ風に揚げているのが珍しいですね。
ハモは上品な白身の魚ですが、ソースが洋風?のトンカツソースだったのがちょっと残念でした。りゅうママはこれを私の料理に付いていた天つゆに浸して食べて、淡白な白身にはやっぱりこれだよねと言っていました(笑)
食事が終わったらすぐ近くにある臼杵城址を見物します。
この日はとっても寒い日で、もう太陽が高くなっているのにお堀には薄い氷がまだ残っていました。
お堀の周りの城壁を眺めていたら不思議な穴がいくつも開いていました。何の目的でいつ頃開けられたんでしょうね?
この不思議な穴は城址へと登る途中の道にもいくつかあって、人が近づけるところにある穴は石垣できれいに塞がれていました。
臼杵城址は臼杵の市街地の高台にありますが、キリシタン大名の大友宗麟が築城した当時は丹生島城(にゅうじまじょう)といって三方を海に囲まれて西側のみ干潟が現れる島だったそうです。
ここには江戸時代から明治維新までの歴代藩主の名前が書かれた碑もありました。初代藩主の稲葉貞通は戦国武将の稲葉一鉄の息子ですが、一鉄の孫には3代将軍 家光の乳母で大奥を作った春日局もいるそうです。
臼杵城址は海に囲まれた島で天然の要害でしたが、あまり高くない島だったので1,2分も歩くと二の丸櫓門へ到着します。
城内は臼杵城址公園として整備されていて桜の名所としても知られています。この辺り一帯は二の丸があったところですが、この奥は広いグランドになっていてさらに奥に本丸があったそうです。臼杵城址はひとつの島全体がお城だったのでとっても広いですね。
ここには臼杵城(丹生島城)を築城したキリシタン大名の大友宗麟のレリーフがありました。
そしてその横には大砲のレプリカもありました。
この大砲は佛狼機砲(ふらんきほう)といわれる大砲で、大友宗麟が日本で最初に輸入し実戦で使用した大砲と言われていて、その威力から国崩し(くにくずし)と名付けられたそうです。本物の国崩しは靖国神社の遊就館に展示されているそうです。
、
臼杵城址の見物が終わって臼杵市を出発したらもう少し南へ下り、津久見市の四浦半島で一足早く咲いている河津桜を探しますが、このところの寒波の影響でちょっと厳しいかもしれませんね。
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いつもは画像に映っている東九州道を通って県南地方へ出かけますが、今回は臼杵市への最短距離の大分県道21号線(大分臼杵線)を久しぶりに通りました。この道路は大分市と臼杵市の境にある九六位山(くろくいさん)を越える険しい山道なので通行する車もまばらですが、東九州道が開通するまではとっても交通量の多い県道でした。
大分市から臼杵市へ行くにはいくつかのルートがありますが、この道が臼杵市への最短コースなので、以前はいつもこのルートを通っていましたが、道路は山越えの道に入るといきなりカーブの連続で中央線も無くて、カーブ付近で対向車に出会うといつもヒヤリとさせられていました。
険しい山越えの道を過ぎて平地に出るとすぐに臼杵市街地へと入ります。そして臼杵城址の横を通り過ぎるとこれからお昼ご飯を食べる 『臼杵 みなと市場』 の看板が見えてきます。
ここへはちょっと早めに着いたのでまだ11時前でしたが駐車場はほぼ満車でした。そして東九州道が宮崎県まで開通した影響なのか?停まっている車には宮崎ナンバーが多く見られました。
店内へ入ろうとしたら、以前は無かったこんな張り紙が入口にありました。ここへはりゅう君と一度来たことがありますが、この時にこの張り紙があったらりゅう君と一緒に食事ができたんですが・・・
ここではたくさんの海鮮料理や炭火焼、自分で好きな食材を選んで丼に盛り付けて食べられる勝手丼などがあります。そして新鮮な魚介類や干物などのお持ち帰りもできます。
テーブルに座ったらさっそくメニュー表を見ました。おおいたB級グルメで第7回グランプリを受賞した 『はも南蛮御膳』 という料理もありましたが、りゅうママは横に載っている期間限定の 『はもカツ御膳』 を注文です。
そして私はこのお店のイチオシ?の 『みなと御膳』 を注文しました。刺身、天ぷら、茶碗蒸しのほかに数の子が入った小鉢などとっても豪華な御膳でした。
『みなと御膳』 は品数が多くて天ぷらはお盆に乗らなかったので別に撮影しましたが、新鮮プリプリなエビが揚げたてサクサクの衣に包まれていてとっても美味でした。
りゅうママの注文した 『はもカツ御膳』 です。白身の淡白なハモをトンカツ風に揚げているのが珍しいですね。
ハモは上品な白身の魚ですが、ソースが洋風?のトンカツソースだったのがちょっと残念でした。りゅうママはこれを私の料理に付いていた天つゆに浸して食べて、淡白な白身にはやっぱりこれだよねと言っていました(笑)
食事が終わったらすぐ近くにある臼杵城址を見物します。
この日はとっても寒い日で、もう太陽が高くなっているのにお堀には薄い氷がまだ残っていました。
お堀の周りの城壁を眺めていたら不思議な穴がいくつも開いていました。何の目的でいつ頃開けられたんでしょうね?
この不思議な穴は城址へと登る途中の道にもいくつかあって、人が近づけるところにある穴は石垣できれいに塞がれていました。
臼杵城址は臼杵の市街地の高台にありますが、キリシタン大名の大友宗麟が築城した当時は丹生島城(にゅうじまじょう)といって三方を海に囲まれて西側のみ干潟が現れる島だったそうです。
ここには江戸時代から明治維新までの歴代藩主の名前が書かれた碑もありました。初代藩主の稲葉貞通は戦国武将の稲葉一鉄の息子ですが、一鉄の孫には3代将軍 家光の乳母で大奥を作った春日局もいるそうです。
臼杵城址は海に囲まれた島で天然の要害でしたが、あまり高くない島だったので1,2分も歩くと二の丸櫓門へ到着します。
城内は臼杵城址公園として整備されていて桜の名所としても知られています。この辺り一帯は二の丸があったところですが、この奥は広いグランドになっていてさらに奥に本丸があったそうです。臼杵城址はひとつの島全体がお城だったのでとっても広いですね。
ここには臼杵城(丹生島城)を築城したキリシタン大名の大友宗麟のレリーフがありました。
そしてその横には大砲のレプリカもありました。
この大砲は佛狼機砲(ふらんきほう)といわれる大砲で、大友宗麟が日本で最初に輸入し実戦で使用した大砲と言われていて、その威力から国崩し(くにくずし)と名付けられたそうです。本物の国崩しは靖国神社の遊就館に展示されているそうです。
、
臼杵城址の見物が終わって臼杵市を出発したらもう少し南へ下り、津久見市の四浦半島で一足早く咲いている河津桜を探しますが、このところの寒波の影響でちょっと厳しいかもしれませんね。
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Comment
1
無題
nicoママです、こんばんは~^^
みなと市場はnicoを連れたときの私の定番の食事処です^^
もう何年も通っています^^
お水のサービスもしれくれますよ^^
もっとこういうお店ができると嬉しいのですが、
なかなか増えてくれないんですよねー。
みなと市場はnicoを連れたときの私の定番の食事処です^^
もう何年も通っています^^
お水のサービスもしれくれますよ^^
もっとこういうお店ができると嬉しいのですが、
なかなか増えてくれないんですよねー。
RE.1
こんにちは、nicoママさん
ここへはオープンして間もない頃に一度行ったきりだったのでワンコOKなんて全く知りませんでした。
臼杵市へはりゅう君と何度も訪れているし、このお店はメニューも豊富なのでワンコOKと知っていれば私たちも定番のお食事処にしていたでしょうね。
りゅう君が亡くなって間もなく一年になりますが、以前はワンコOKのお店や観光施設を探すのに苦労していたんだなぁ~ってつくづく感じます。
臼杵市へはりゅう君と何度も訪れているし、このお店はメニューも豊富なのでワンコOKと知っていれば私たちも定番のお食事処にしていたでしょうね。
りゅう君が亡くなって間もなく一年になりますが、以前はワンコOKのお店や観光施設を探すのに苦労していたんだなぁ~ってつくづく感じます。
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