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メタセの杜を出発して次に寄ったのは、築城基地のすぐ近くにある戦争遺跡の 『稲童(いなどう)一号掩体壕』 です。
 

築城基地の戦闘機を見物できる松原展望公園の前を通る県道25号線を、工業団地などがある海の方向に向かってしばらく走っていると、こんな看板が見えてきます。




駐車場に車を停めて工業団地のほうへ100mも歩くと、以前訪れた時には無かったこんなものが道路沿いに見えてきました。右側の祠のように見えるのは奉安殿(ほうあんでん)といって、天皇、皇后の写真と教育勅語を保管していたものだそうで、近くの小学校にあったものを移設して戦後に戦没者を祀る英霊廟としていたものを再びここへ移設したそうです。




そして奉安殿の横には道路の拡張工事によって撤去されることになった、機銃掃射の痕が残る民家のレンガ塀の一部が移設されていました。




レンガ塀についての説明板です。これによるとレンガ塀に残る銃弾痕は全て正面から撃たれているので、低空飛行で繰り返し銃撃を受けたらしいと書かれていました。ここには戦争中に築城海軍航空隊があったので、かなり激しい機銃掃射を受けたんでしょうね。




そしてその奥に圧倒的な存在感であるのが 『稲童一号掩体壕』 です。先日訪れた宇佐市の 『城井一号掩体壕』 に比べたらはるかに大きいものですね。




『稲童一号掩体壕』 の説明板です。この掩体壕は夜間戦闘機 『月光』、陸上爆撃機 『銀河』、『一式陸上攻撃機』など双発の大型戦闘機を格納していた大規模な掩体壕です。
 
 
 

近くまで行ってみると掩体壕の入口にはチェーンが張られていて内部は立入禁止のようでしたが、大きさは城井一号掩体壕の2倍はありそうなほど巨大なものでした。内部に入ってみたいですね。




掩体壕の内部を撮影したら上部のコンクリート面は型枠の跡が残ったきれいな面でしたが、下部のほうは盛り土をしただけで直接コンクリートを流したのか?土砂などが混ざっていて、ざらざらな仕上げ面でした。そしてよく見たら型枠に使用された木片も所々にそのまま残っていました。




稲童一号掩体壕の見物をしたら、数百m離れた所に残る 『地下通信司令部壕』 へ歩いて行ってみました。画像ではただのコンクリートの塊のように見えますが、向こう側に回ると開口部がありました。




開口部にはネットが張られていて内部には入れませんでしたが、開口部は地中に向かってかなり下のほうまで伸びていました。
 
 
 

ここにも説明板がありましたが、この断面図によるとコンクリート塊のように見えていた部分は、東側出入口の地表部分のようでした。 内部も見物できるように整備してくれるとありがたいですね。
ここを出発したら、お隣のみやこ町にある豊前国分寺跡へと向かいます。 
 

 
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