この日は一人でぶらりと福岡県大牟田市方面へと出かけました。
この日は早朝の4時前にお家を出発して、途中休憩をしながら国道をゆっくりと走って、100㎞以上離れた熊本県菊池市の道の駅「七城メロンドーム」に到着した頃に、ようやく空が白み始めてきました。りゅうママが一緒だと4時前にお家を出発なんて絶対にありえませんからね(笑)
今回の一番の目的は世界文産に登録されている三井三池炭鉱の「宮原坑」と「万田坑」の見物ですが、大牟田市へ入って最初に寄ったのは、三井三池炭鉱「宮浦坑」の遺構が残っている「宮浦石炭記念公園」です。公園へはゲートようなところを潜って入りますが、すぐ横には数台の車が停められる駐車場もありました。
このゲートを潜ると三井三池炭鉱「宮浦坑」の遺構があります。九州各県の主な観光地などはこれまでにほとんど訪れていますが、何故か大牟田市を訪れるのは今回が初めてなんですよね。
公園の入口にはこの様な看板もありました。この後に訪れる「宮原坑」と「万田坑」は世界遺産に登録されていますが、ここは文化庁の近代化遺産には登録されていますが、残念なことに世界遺産には登録されていないんですよね。
公園に入る前から見えていたのが、この大きな煙突です。この煙突は国の登録有形文化財に指定されています。
煙突の説明板です。これによると煙突の高さは31.2mもあるそうです。明治時代の中期には三井炭鉱の坑口はこの辺りにいくつもあって、それぞれの坑口には高い煙突が立っていてモクモクと煙が上がっていたので、炭坑節にも歌われるほどでしたが、現在ではこの煙突が1本残っているだけなんですよね。
ここには地底の採炭場へ採掘する人を運ぶ車両(人車)が、当時のプラットホーム跡に展示されていました。
ここにはこの様な説明板もありました。ここに展示されていた車両は、坑内で働く人たちの移動用の車両で、地上から石炭の層がある地下180mまで斜めに掘られた斜坑といわれるトンネルを、ワイヤーロープで引っ張られて行き来していたそうです。
この車両は「普通車」と書かれていて、ベンチのようなイスがスラリと並んでいました。石炭の採掘をする人たちは、この車両に乗って地下の石炭層へと降りていたんですね。
こちらの車両には「救急車」と書かれていましたが、ベンチのようなイスなどは無くてフラットになっていたので、採炭作業で負傷した人をここに寝かせて地上へ運んだんでしょうね。
車両は当時敷かれていた?レールの上に置かれていて、このレールは先頭車両の先にあるコンクリート壁の前まで続いていましたが、このコンクリート壁は坑口を塞いだ跡で、ここは当時の斜坑(坑口)の入口だったところです。
塞がれたコンクリートの壁には「宮浦鉱坑口」と刻まれたプレートもありました。
画像の右側に見えるコンクリート壁の向こうに「人車」が展示されていますが、すぐ横には資機材の運搬用のちょっと小さめの斜坑も掘られていて、運搬車両が展示されていました。
そしてその横には当時使われていた掘削機械なども置かれていました。ここは柱や屋根はコンクリート製でしたが、左側の壁はレンガ造りだったので、炭坑の構造物の一部なんでしょうね。
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この日は早朝の4時前にお家を出発して、途中休憩をしながら国道をゆっくりと走って、100㎞以上離れた熊本県菊池市の道の駅「七城メロンドーム」に到着した頃に、ようやく空が白み始めてきました。りゅうママが一緒だと4時前にお家を出発なんて絶対にありえませんからね(笑)
今回の一番の目的は世界文産に登録されている三井三池炭鉱の「宮原坑」と「万田坑」の見物ですが、大牟田市へ入って最初に寄ったのは、三井三池炭鉱「宮浦坑」の遺構が残っている「宮浦石炭記念公園」です。公園へはゲートようなところを潜って入りますが、すぐ横には数台の車が停められる駐車場もありました。
このゲートを潜ると三井三池炭鉱「宮浦坑」の遺構があります。九州各県の主な観光地などはこれまでにほとんど訪れていますが、何故か大牟田市を訪れるのは今回が初めてなんですよね。
公園の入口にはこの様な看板もありました。この後に訪れる「宮原坑」と「万田坑」は世界遺産に登録されていますが、ここは文化庁の近代化遺産には登録されていますが、残念なことに世界遺産には登録されていないんですよね。
公園に入る前から見えていたのが、この大きな煙突です。この煙突は国の登録有形文化財に指定されています。
煙突の説明板です。これによると煙突の高さは31.2mもあるそうです。明治時代の中期には三井炭鉱の坑口はこの辺りにいくつもあって、それぞれの坑口には高い煙突が立っていてモクモクと煙が上がっていたので、炭坑節にも歌われるほどでしたが、現在ではこの煙突が1本残っているだけなんですよね。
ここには地底の採炭場へ採掘する人を運ぶ車両(人車)が、当時のプラットホーム跡に展示されていました。
ここにはこの様な説明板もありました。ここに展示されていた車両は、坑内で働く人たちの移動用の車両で、地上から石炭の層がある地下180mまで斜めに掘られた斜坑といわれるトンネルを、ワイヤーロープで引っ張られて行き来していたそうです。
この車両は「普通車」と書かれていて、ベンチのようなイスがスラリと並んでいました。石炭の採掘をする人たちは、この車両に乗って地下の石炭層へと降りていたんですね。
こちらの車両には「救急車」と書かれていましたが、ベンチのようなイスなどは無くてフラットになっていたので、採炭作業で負傷した人をここに寝かせて地上へ運んだんでしょうね。
車両は当時敷かれていた?レールの上に置かれていて、このレールは先頭車両の先にあるコンクリート壁の前まで続いていましたが、このコンクリート壁は坑口を塞いだ跡で、ここは当時の斜坑(坑口)の入口だったところです。
塞がれたコンクリートの壁には「宮浦鉱坑口」と刻まれたプレートもありました。
画像の右側に見えるコンクリート壁の向こうに「人車」が展示されていますが、すぐ横には資機材の運搬用のちょっと小さめの斜坑も掘られていて、運搬車両が展示されていました。
そしてその横には当時使われていた掘削機械なども置かれていました。ここは柱や屋根はコンクリート製でしたが、左側の壁はレンガ造りだったので、炭坑の構造物の一部なんでしょうね。
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