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宮浦石炭記念公園を出発したら、今走って来た道を戻りました。


宮浦石炭記念公園から1.5㎞も戻ると、道路沿いに「宮原坑」と書かれた標識が見えてくるのでここを右折しました。




標識にも書かれているように700mほど進むと、左側に普通車が数十台と大型車が数台は停められそうな広い駐車場が見えてきたのでここに車を停めました。駐車場からは目の前に炭鉱の竪坑の大きな櫓と、その横にはレンガ造りの建物が見えました。




ここが次の目的地で世界遺産に登録されている三井三池炭鉱「宮原坑(みやのはらこう)」です。駐車場には説明板もありましたが、これを読んでみると、ここでは囚人を使った過酷な採炭が行われていて「修羅坑」と呼ばれていたと書かれていました。明治日本の近代化の基礎となった石炭産業ですが、その裏には隠れた負の歴史もあるんですね。




宮原坑跡と駐車場の間は谷のようになっているので、この小さな橋を渡って宮原坑跡へと行きます。




橋の上から谷底のようなところを眺めると線路の枕木が見えました。レールはすでに撤去されていましたが、ここは三池炭鉱専用鉄道敷(三池鉄道)といって、かつては線路があって石炭や従業員の輸送に利用されていたそうで、ここも世界遺産に登録されています。




橋を渡ると宮原坑と書かれた幟がズラリと並んだ歩道を数十mほど進みました。




幟が途切れると小さなプレハブ小屋が見えてきました。ここにはボランティアのガイドさんがいて、希望すれば無料で宮原坑跡の説明をしてくれます。このプレハブ小屋の前を通り過ぎたら宮原坑の竪坑櫓が目の前に見えてきますが、宮原坑跡は無料で施設の見物ができます。




プレハブ小屋を過ぎたところからは第二竪坑の櫓がこんな感じで見えました。今回はこの後も色んなところを廻る予定があったので、ボランティアの人には説明をお願いせずに、適当なところで切り上げようとマイペースで見物をしました。




第二竪坑櫓の周辺にはいくつもの説明板がありましたが、この写真パネルは現在と在りし日の宮原坑の姿です。これを見るとかつては何本もの大きな煙突が立っていたんですね。石炭や人を運ぶ巻上げ機の動力として当初は蒸気が使われていたので、燃料となる石炭を燃やした煙を逃がすために大きな煙突が必要でしたが、動力が徐々にモーターへと代わって、煙突はその役目を終えて取り壊されていったそうです。




これらの遺構は自由に見物ができるので、さっそく敷地内へ入ってみました。正面に見えるレンガ造りの建物は巻上げ機室です。




巻上げ機室から伸びたワイヤーロープは、この第二竪坑の櫓へと延びて、ワイヤーの先にはケージ(ゴンドラ)が繫がっていて、人や石炭などを地底深くから垂直に運搬していたそうです。




巻上げ機室に入ってみました。正面には巻上げ機の太いワイヤーロープを巻いている巨大なドラムが見えました。




巻上げ機の横には手書きで目盛りが書かれた板がありましたが、上には坑口と書かれていて、その下には10から160まで目盛りがあったので、この第二竪坑は深さが160mあったんでしょうか?




巻上げ機室にはその他にも色んな機材などがありましたが、手書きの注意書きなどもあって操業当時のままって感じでした。
世界遺産に登録されている登録名は「明治日本の産業革命遺産 製鉄、製鋼、造船、石炭産業」と言って、全国で8県に点在している様々な遺構が登録されていますが、大牟田市で登録されているのは宮原坑、三池港、三池炭鉱専用鉄道敷跡の3ヶ所だそうです。



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