道の駅・あそ望の郷くぎの を出発したら阿蘇外輪山へと向かいます、
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りゅう君はダックスちゃんから何とか逃れて車に戻りホッとした表情です、ここを出発したら阿蘇盆地から阿蘇外輪山の尾根筋を走っているミルクロードを通ってお家へと向かいます、
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道の駅・あそ望の郷くぎの を出発したらすぐに山の頂上付近に風車が見えてきます、ここはとっても景色のいい俵山展望所です、ここへは先月訪れているので詳細は ここ をクリックして下さいね、
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国道325号線から国道57号線へ出て大分方面へ少しだけ戻りJR豊肥本線の赤水駅を過ぎるとすぐにミルクロード入口と書かれた標識がある交差点に出るのでここを左折しミルクロードへ入ります、
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左折するとすぐ正面には阿蘇外輪山が見えてきますが一面が緑に覆われている外輪山の中でこの辺りだけは山肌が削り取られたように草の生えていない荒々しい姿をした斜面になっています、
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そして山道を上るすぐ手前にこんな看板が見えてきました、これから外輪山の尾根筋を目指すので左へと進みましたが後からちょっと右へも行けばよかったかな?と後悔する事になるんですよね、
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阿蘇外輪山の尾根へと続く曲がりくねった急坂のミルクロードをしばらく登ると展望の開けたところに出ました、ここは二重峠(ふたえのとうげ)というそうです、
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ここはとても見晴らしが良くて阿蘇五岳や阿蘇盆地が間近に一望できるとっても景色のいいところです、
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さらに先へ進み外輪山の尾根付近まで来たらこんな標識がありました、でも外輪山で最も景観のいい大観峰までは尾根筋を走ってまだ20km以上もあるようですね、外輪山ってほんとうに巨大ですね、
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そしてすぐ先にはこんな看板がありました、豊後街道って熊本市内から大分市鶴崎まで続く江戸時代の参勤交代路ですがこんなところを通っていたんですね、
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ここが豊後街道の二重峠石畳です、でも石畳はすぐに下り坂になっていてこの角度から眺めたら先のほうが全く見えなくてそのまま山の斜面を転がり落ちそうな感じですね、
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豊後街道と刻まれた石柱もありました、この石畳は熊本側からは豊後(大分)方面へ向かって行くので豊後街道と呼ばれていますが大分側からは肥後(熊本)方面へ向かって行くので同じ道なのに肥後街道と呼ばれています、
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説明板もありました、この道は現在の国道57号線と比べたらかなり大回りをして大分市へと続いていますが江戸時代には肥後と豊後を結ぶ重要な街道だったんですね、
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さぁ、これからりゅう君と石畳を歩きます、でもすぐ急坂になっていて先が見えないのでちょっと怖い気もします、
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しばらく坂を下って行くと見晴らしのいい場所へ出ました、ここまで200m?以上も下ってきたのでちょっと休憩です、でも石畳はまだまだ下へと続いているんですよねぇ~
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休憩が終わったらさらに石畳を下って行きますがりゅう君は途中で立ち止まってこの石畳はどこまで続いているんだろう?って感じで下を覗き込んでいます、
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りゅう君の見ていた先には曲がりくねった石畳がまだ延々と続いていました、先ほど山道へ入る前に見た看板に参勤交代道って書かれていたのでこの石畳は麓まで続いているんでしょうね、
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石畳はだんだんと草に覆われてくるようになりました、この辺りまではあまり人が来ないんでしょうか?りゅう君も立ち止まってまだ先へ行くの?って顔をしてこちらを振り返っています、
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戻ろうか?それとももうちょっと先まで行こうか?と迷って何気にりゅう君のすぐ横を見たらこんな物がありました、これってヘビの抜け殻ですよね、この先は草も茂っているしここから戻る事にしました、りゅう君がヘビに咬まれたら大変ですからね(笑)
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それにしても江戸時代の人たちってすごいですね、こんな山の中に延々と続く石畳の道を造るなんてその労力だけでも大変なものですね、肥後街道は総延長が124kmだそうですがそのうちの何kmが石畳だったんでしょうね?
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ここから後の画像は大分県まで戻って来てからになりますが、二重峠の石畳を紹介したのでそのまま大分県内に残る豊後街道の史跡を載せます、ここは久住ポケットパークです、
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久住ポケットパークは久住方面へ出かけた時には必ず寄るところですが今回は初めて帰り道でりゅう君のお散歩に寄りました、ここは豊後街道の宿場町を現したモニュメントがある小さな公園ですが入口には肥後街道と刻まれています、でも反対側の入口には豊後街道と刻まれています、
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案内板によると熊本城を出発した大名行列は二重峠などの難所を通り124kmの距離を五日間かけて豊後鶴崎宿へ到着するようです、
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画像が小さくて読み難いので熊本県内だけを拡大してみました、大名行列は大津宿で一泊して二重峠は二日目に通るみたいですね、
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さっそくりゅう君は久住ポケットパークでお散歩開始です、
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ここは久住宿があった?ところでこんなモニュメントがあります、ここは三日目に宿泊するところでここまで来たら全行程の三分の二ほど来た事になりますね、
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りゅう君はお散歩を続けて四日目に宿泊する野津原宿(のつはるじゅく)のモニュメントの手前までやって来ました、
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久住ポケットパークでのお散歩が終わったら国道442号線をお家へ向かって走り大分市野津原町まで来たらりゅう君のお散歩をします、ここは豊後街道の今市宿があったところで660mにわたって石畳が残っています、
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ここが今市の石畳です、ここは四日目に宿泊する野津原宿の手前で豊後岡藩の宿場町として栄えたところで肥後藩の脇本陣も置かれていたそうです、今市の石畳の詳細は ここ をクリックして下さいね、
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今市宿と石畳の説明板です、
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さぁ、りゅう君もお散歩開始です、ここは昔の石畳がそのまま保存されていますが一応は車道になっているので時おり車も通るのでちょっとだけ要注意です、
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豊後(肥後)街道の記事を載せたので一気に大分市まで戻ってしまいましたが二重峠石畳を出発して阿蘇外輪山を廻り大分県へ入るまでの記事がまだ残っているのでもうひとつだけお付き合い下さいね。
りゅう君はダックスちゃんから何とか逃れて車に戻りホッとした表情です、ここを出発したら阿蘇盆地から阿蘇外輪山の尾根筋を走っているミルクロードを通ってお家へと向かいます、
道の駅・あそ望の郷くぎの を出発したらすぐに山の頂上付近に風車が見えてきます、ここはとっても景色のいい俵山展望所です、ここへは先月訪れているので詳細は ここ をクリックして下さいね、
国道325号線から国道57号線へ出て大分方面へ少しだけ戻りJR豊肥本線の赤水駅を過ぎるとすぐにミルクロード入口と書かれた標識がある交差点に出るのでここを左折しミルクロードへ入ります、
左折するとすぐ正面には阿蘇外輪山が見えてきますが一面が緑に覆われている外輪山の中でこの辺りだけは山肌が削り取られたように草の生えていない荒々しい姿をした斜面になっています、
そして山道を上るすぐ手前にこんな看板が見えてきました、これから外輪山の尾根筋を目指すので左へと進みましたが後からちょっと右へも行けばよかったかな?と後悔する事になるんですよね、
阿蘇外輪山の尾根へと続く曲がりくねった急坂のミルクロードをしばらく登ると展望の開けたところに出ました、ここは二重峠(ふたえのとうげ)というそうです、
ここはとても見晴らしが良くて阿蘇五岳や阿蘇盆地が間近に一望できるとっても景色のいいところです、
さらに先へ進み外輪山の尾根付近まで来たらこんな標識がありました、でも外輪山で最も景観のいい大観峰までは尾根筋を走ってまだ20km以上もあるようですね、外輪山ってほんとうに巨大ですね、
そしてすぐ先にはこんな看板がありました、豊後街道って熊本市内から大分市鶴崎まで続く江戸時代の参勤交代路ですがこんなところを通っていたんですね、
ここが豊後街道の二重峠石畳です、でも石畳はすぐに下り坂になっていてこの角度から眺めたら先のほうが全く見えなくてそのまま山の斜面を転がり落ちそうな感じですね、
豊後街道と刻まれた石柱もありました、この石畳は熊本側からは豊後(大分)方面へ向かって行くので豊後街道と呼ばれていますが大分側からは肥後(熊本)方面へ向かって行くので同じ道なのに肥後街道と呼ばれています、
説明板もありました、この道は現在の国道57号線と比べたらかなり大回りをして大分市へと続いていますが江戸時代には肥後と豊後を結ぶ重要な街道だったんですね、
さぁ、これからりゅう君と石畳を歩きます、でもすぐ急坂になっていて先が見えないのでちょっと怖い気もします、
しばらく坂を下って行くと見晴らしのいい場所へ出ました、ここまで200m?以上も下ってきたのでちょっと休憩です、でも石畳はまだまだ下へと続いているんですよねぇ~
休憩が終わったらさらに石畳を下って行きますがりゅう君は途中で立ち止まってこの石畳はどこまで続いているんだろう?って感じで下を覗き込んでいます、
りゅう君の見ていた先には曲がりくねった石畳がまだ延々と続いていました、先ほど山道へ入る前に見た看板に参勤交代道って書かれていたのでこの石畳は麓まで続いているんでしょうね、
石畳はだんだんと草に覆われてくるようになりました、この辺りまではあまり人が来ないんでしょうか?りゅう君も立ち止まってまだ先へ行くの?って顔をしてこちらを振り返っています、
戻ろうか?それとももうちょっと先まで行こうか?と迷って何気にりゅう君のすぐ横を見たらこんな物がありました、これってヘビの抜け殻ですよね、この先は草も茂っているしここから戻る事にしました、りゅう君がヘビに咬まれたら大変ですからね(笑)
それにしても江戸時代の人たちってすごいですね、こんな山の中に延々と続く石畳の道を造るなんてその労力だけでも大変なものですね、肥後街道は総延長が124kmだそうですがそのうちの何kmが石畳だったんでしょうね?
ここから後の画像は大分県まで戻って来てからになりますが、二重峠の石畳を紹介したのでそのまま大分県内に残る豊後街道の史跡を載せます、ここは久住ポケットパークです、
久住ポケットパークは久住方面へ出かけた時には必ず寄るところですが今回は初めて帰り道でりゅう君のお散歩に寄りました、ここは豊後街道の宿場町を現したモニュメントがある小さな公園ですが入口には肥後街道と刻まれています、でも反対側の入口には豊後街道と刻まれています、
案内板によると熊本城を出発した大名行列は二重峠などの難所を通り124kmの距離を五日間かけて豊後鶴崎宿へ到着するようです、
画像が小さくて読み難いので熊本県内だけを拡大してみました、大名行列は大津宿で一泊して二重峠は二日目に通るみたいですね、
さっそくりゅう君は久住ポケットパークでお散歩開始です、
ここは久住宿があった?ところでこんなモニュメントがあります、ここは三日目に宿泊するところでここまで来たら全行程の三分の二ほど来た事になりますね、
りゅう君はお散歩を続けて四日目に宿泊する野津原宿(のつはるじゅく)のモニュメントの手前までやって来ました、
久住ポケットパークでのお散歩が終わったら国道442号線をお家へ向かって走り大分市野津原町まで来たらりゅう君のお散歩をします、ここは豊後街道の今市宿があったところで660mにわたって石畳が残っています、
ここが今市の石畳です、ここは四日目に宿泊する野津原宿の手前で豊後岡藩の宿場町として栄えたところで肥後藩の脇本陣も置かれていたそうです、今市の石畳の詳細は ここ をクリックして下さいね、
今市宿と石畳の説明板です、
さぁ、りゅう君もお散歩開始です、ここは昔の石畳がそのまま保存されていますが一応は車道になっているので時おり車も通るのでちょっとだけ要注意です、
豊後(肥後)街道の記事を載せたので一気に大分市まで戻ってしまいましたが二重峠石畳を出発して阿蘇外輪山を廻り大分県へ入るまでの記事がまだ残っているのでもうひとつだけお付き合い下さいね。
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