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旧国鉄・宮原線の幸野川橋梁を見物したら、再び県道318号線を北里橋梁方面へと戻ります。
 

北里橋梁のすぐ手前まで戻ったら、県道沿いには 『 北里柴三郎記念館 』 の建物などが見えてきます。ここは前記事で載せた 『 学びやの里・木魂館 』 の敷地内にある関連施設の一部なので、木魂館やレストラン・北里バランなどはこのすぐ上にあります。




北里柴三郎記念館の入館案内です。熊本県小国町はりゅう君がいた頃には何度も訪れていますが、ここではいつも記念館の周囲でりゅう君のお散歩をするだけで、館内の見学をするのは今回が初めてです。




駐車場に車を停めたらさっそく記念館へと向かいます。ここには北里柴三郎の資料などを展示した 『 北里文庫 』、北里柴三郎が帰郷した時の住居として建てられた『 貴賓館 』 、そして北里柴三郎が生まれた 『 生家 』などがあります。 
 
 
 

正面に見える建物が北里文庫で、その左奥に見えるのは貴賓館です。北里文庫の館内は撮影禁止でしたが、北里柴三郎に関する資料などを展示していて、ペスト菌の発見や破傷風の治療法の開発など、細菌学では世界に先駆けた数々の功績を上げているのに、何故ノーベル賞を受賞できなかったのかが不思議なほどでした。
 
 
 

北里文庫の見学をしたら、隣に建っている 『 貴賓館 』 の見学です。貴賓館は北里柴三郎が帰郷した時のために建てられた2階建ての住居で、ここに来客を招いたりもしていたそうです。
 
 
 

貴賓館の2階からは九重町と小国町にまたがる、玖珠富士または小国富士と呼ばれる 『 涌蓋山(わいたさん) 』 が望めました。北里柴三郎は帰郷するたびに、2階の縁側に座ってこの懐かしい景色を眺めていたんでしょうね。




貴賓館の見物が終わったら、北里柴三郎の生まれた家の見物です。ここは外から内部の見学をしましたが、8畳と6畳の二間だけの小さな家でした。




ここには当時の写真パネルもありました。北里家は代々庄屋をしていたそうで、元々は2棟の建物が連なってあったそうですが、北里柴三郎が両親を東京に招いて一緒に暮らすようになってから、旧居を縮小して現在保存されている建物だけを残したそうです。




北里柴三郎記念館には数台分の駐車場しかありませんでしたが、最近は来館者が増えたようで、すぐ近くには広い臨時駐車場ができていました。これも北里柴三郎が新千円札の顔になった効果なんでしょうね。 



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