小国町の町中を散策をしたら、国道387号から再び国道210号へ出て帰途につきました。
小国町の町中を出発して国道387号を5kmほど走ると、道路沿いにお蕎麦屋さんの看板が見えてきます。ここは創作手打ちそば処「宝処三昧(ほうしょざんまい)」といって、ワンコ同伴で美味しいお蕎麦を食べることができるお店なので、りゅう君と一緒に何度か訪れたことがあります。
お蕎麦屋さんの前はとても広い駐車スペースになっていて、ちょっと離れたところには一段高くなった位置に屋根と柱だけの休憩所のような不思議な建物もあります。
ここは旧国鉄・宮原線の北里駅があったところで、不思議な建物は駅のホームを再現したモニュメントです。ここには駅名標も立てられていて、これを見ると玖珠方面からやって来た列車は北里駅を出発すると、今は道の駅「小国」の敷地内に遺構だけが残っている終着駅の肥後小国駅に到着していたんですね。
プラットホームのモニュメントの前には地下道の入口のような地中への階段があったので、これからこの階段を降りてみます。
地下道を潜り抜けて振り返ると、数mほどの高さの擁壁には地下道の出入り口の四角い穴が開いていて、擁壁の上にはコンクリートの柵のようなものがありました。宮原線はこの擁壁の上の一段高くなったところを走っていたので、この地下道は線路の下を潜って駅と集落を結ぶ通路だったんでしょうね?
ここから肥後小国駅があった方向を眺めると、すぐ近くに宮原線の橋梁が見えました。橋梁の上に見えている建物は宿泊研修施設や温泉、レストランなどもある「木魂館(北里バラン)」です。
この橋梁は5連アーチの北里橋梁(きたざときょうりょう)といって、この橋梁の上は遊歩道のようになっているので、お蕎麦屋さんの横から歩いて行って橋を渡ることもできるんですよね。
北里橋梁の下を走る車道を先へ進むと数軒の民家がありますが、ここには新千円札の顔となった細菌学者の北里柴三郎の生家があって、今は記念館として一般公開もされています。
北里柴三郎記念館の前を通る道をさらに2㎞ほど先へ進むと、道路を跨ぐように大きな橋梁が見えてきます。この橋梁は宮原線の幸野川橋梁(こうのがわきょうりょう)です。
幸野川橋梁は6連アーチの橋ですが、どこから見ても4連しか見ないんですよね。右側は山の斜面にかかっていますが、左側は橋梁が樹木に隠れてよく見えないので、ここに残りの2連のアーチがあるんでしょうね?そして下を流れている川は「幸野川」かと思ったら「樅木川」というそうです。左側の橋脚の根元には白い車が停まっていて、この橋梁がいかに大きいのかよく分かりますね。
幸野川橋梁の一番の特徴はそれぞれの橋脚に透かし穴のような3つの穴が開いていることです。目的はよく分かりませんが、デザインなのか?あるいは橋梁が完成したのは日中戦争時の1939年なので資材不足を補うためにこの様なデザインにしたのかも知れませんね?そしてこの穴の上にはテーブルのようにコンクリートが張り出した不思議な部分がありました。
反対側から見た幸野川橋梁です。橋梁の下は駐車帯のようになっていて数台の車が停められます。
ここには案内板もあって、幸野川橋梁へ上がれると書かれているんですが、数年前にここを訪れた時には、どこから橋梁の上へ上がるのか道が分からなかったんですよね。でも今回はすぐ近くで農作業をしているおじさんがいたので、道を聞いて橋梁へも上がってみました。
橋梁の上へは集落内の道路(民家の庭先)を通りますが、案内板などは無いので、間違えて民家の敷地内へ入りそうで前回は断念したんですよね。今回は偶然にもこのおじさんの家が橋梁へ上がる道の入口にあったんですよね。でも集落を抜けた先は踏み跡もはっきりしない獣道のような細い道になっていて、雑草も繁っていたのでニョロニョロした長いものが出てきそうでビクビクでした(笑)
ここが幸野川橋梁の上部です。レールはすでに撤去されてありませんでしたが、手摺などはしっかりしていて、足元も石畳のような感じで安心して渡ることができました。
橋梁の真ん中辺りから眺めた日田市方面の景色です。手前の道路がカーブしている辺りの集落が橋梁の上へと続く道の入口があるところです。
そして下からは不思議な形に見えた張り出し部分を見ると、修復されているのか?比較的新しい感じでしたが、何の目的なのかは全く分かりませんでした。もしかしたら作業中に列車が来た時の緊急避難場所か?あるいは作業用の機材を置く場所なのかもしれませんね?
同じような張り出し部分はもう一ヵ所ありました。こちらは修復もされてなくてかなり朽ちた感じでした。幸野川橋梁は戦時中の資材不足で鉄筋の代わりに竹を使った竹筋コンクリート造りといわれていますが、この張り出し部分は鉄が剥き出しになっていました。
旧国鉄・宮原線の遺構は熊本県の小国町だけじゃなくて、大分県の宝泉寺温泉などにもありますが、国道387号を大分方面へ走っているとこの様な光景も見えてきます。この橋も旧国鉄・宮原線の橋梁だと思いますが、この橋梁の名前は未だに分からないんですよね。
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小国町の町中を出発して国道387号を5kmほど走ると、道路沿いにお蕎麦屋さんの看板が見えてきます。ここは創作手打ちそば処「宝処三昧(ほうしょざんまい)」といって、ワンコ同伴で美味しいお蕎麦を食べることができるお店なので、りゅう君と一緒に何度か訪れたことがあります。
お蕎麦屋さんの前はとても広い駐車スペースになっていて、ちょっと離れたところには一段高くなった位置に屋根と柱だけの休憩所のような不思議な建物もあります。
ここは旧国鉄・宮原線の北里駅があったところで、不思議な建物は駅のホームを再現したモニュメントです。ここには駅名標も立てられていて、これを見ると玖珠方面からやって来た列車は北里駅を出発すると、今は道の駅「小国」の敷地内に遺構だけが残っている終着駅の肥後小国駅に到着していたんですね。
プラットホームのモニュメントの前には地下道の入口のような地中への階段があったので、これからこの階段を降りてみます。
地下道を潜り抜けて振り返ると、数mほどの高さの擁壁には地下道の出入り口の四角い穴が開いていて、擁壁の上にはコンクリートの柵のようなものがありました。宮原線はこの擁壁の上の一段高くなったところを走っていたので、この地下道は線路の下を潜って駅と集落を結ぶ通路だったんでしょうね?
ここから肥後小国駅があった方向を眺めると、すぐ近くに宮原線の橋梁が見えました。橋梁の上に見えている建物は宿泊研修施設や温泉、レストランなどもある「木魂館(北里バラン)」です。
この橋梁は5連アーチの北里橋梁(きたざときょうりょう)といって、この橋梁の上は遊歩道のようになっているので、お蕎麦屋さんの横から歩いて行って橋を渡ることもできるんですよね。
北里橋梁の下を走る車道を先へ進むと数軒の民家がありますが、ここには新千円札の顔となった細菌学者の北里柴三郎の生家があって、今は記念館として一般公開もされています。
北里柴三郎記念館の前を通る道をさらに2㎞ほど先へ進むと、道路を跨ぐように大きな橋梁が見えてきます。この橋梁は宮原線の幸野川橋梁(こうのがわきょうりょう)です。
幸野川橋梁は6連アーチの橋ですが、どこから見ても4連しか見ないんですよね。右側は山の斜面にかかっていますが、左側は橋梁が樹木に隠れてよく見えないので、ここに残りの2連のアーチがあるんでしょうね?そして下を流れている川は「幸野川」かと思ったら「樅木川」というそうです。左側の橋脚の根元には白い車が停まっていて、この橋梁がいかに大きいのかよく分かりますね。
幸野川橋梁の一番の特徴はそれぞれの橋脚に透かし穴のような3つの穴が開いていることです。目的はよく分かりませんが、デザインなのか?あるいは橋梁が完成したのは日中戦争時の1939年なので資材不足を補うためにこの様なデザインにしたのかも知れませんね?そしてこの穴の上にはテーブルのようにコンクリートが張り出した不思議な部分がありました。
反対側から見た幸野川橋梁です。橋梁の下は駐車帯のようになっていて数台の車が停められます。
ここには案内板もあって、幸野川橋梁へ上がれると書かれているんですが、数年前にここを訪れた時には、どこから橋梁の上へ上がるのか道が分からなかったんですよね。でも今回はすぐ近くで農作業をしているおじさんがいたので、道を聞いて橋梁へも上がってみました。
橋梁の上へは集落内の道路(民家の庭先)を通りますが、案内板などは無いので、間違えて民家の敷地内へ入りそうで前回は断念したんですよね。今回は偶然にもこのおじさんの家が橋梁へ上がる道の入口にあったんですよね。でも集落を抜けた先は踏み跡もはっきりしない獣道のような細い道になっていて、雑草も繁っていたのでニョロニョロした長いものが出てきそうでビクビクでした(笑)
ここが幸野川橋梁の上部です。レールはすでに撤去されてありませんでしたが、手摺などはしっかりしていて、足元も石畳のような感じで安心して渡ることができました。
橋梁の真ん中辺りから眺めた日田市方面の景色です。手前の道路がカーブしている辺りの集落が橋梁の上へと続く道の入口があるところです。
そして下からは不思議な形に見えた張り出し部分を見ると、修復されているのか?比較的新しい感じでしたが、何の目的なのかは全く分かりませんでした。もしかしたら作業中に列車が来た時の緊急避難場所か?あるいは作業用の機材を置く場所なのかもしれませんね?
同じような張り出し部分はもう一ヵ所ありました。こちらは修復もされてなくてかなり朽ちた感じでした。幸野川橋梁は戦時中の資材不足で鉄筋の代わりに竹を使った竹筋コンクリート造りといわれていますが、この張り出し部分は鉄が剥き出しになっていました。
旧国鉄・宮原線の遺構は熊本県の小国町だけじゃなくて、大分県の宝泉寺温泉などにもありますが、国道387号を大分方面へ走っているとこの様な光景も見えてきます。この橋も旧国鉄・宮原線の橋梁だと思いますが、この橋梁の名前は未だに分からないんですよね。
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