居酒屋で熊本名物を食べてお宿でぐっすり眠って疲れを癒した翌朝です。
りゅう君がいなくなって一年以上になりますが、10年ほど続けていた早朝のお散歩の習慣が抜けなくて今でも夜が明ける頃には目が覚めてしまうのでこれから八代市街を散歩します。左に見える建物がお宿でその前の道は 『こいこい通』 と名付けられていました。
そして 『こいこい通』 と交差する前日に居酒屋へと向かった道は 『お城通』 と名付けられていました。泊まったホテルはこの左側でお城通を真っ直ぐに進むと八代城址があります。
お散歩を始めて最初に向かったのは八代城址です。前回は城内へと入りましたが、今回はお城の周囲を一回りします。
ここは城内の八代宮へと続く北参道神橋です。画像には写っていませんが、ここからは松浜軒がすぐ近くに見えます。
八代城址には無料の駐車場があって、りゅう君とここを訪れた時にはこの駐車場に車を停めましたが、今回訪れてみると半分が市役所の公用車専用駐車場になっていました。
お堀の周りの歩道にはこんなものがありました。八代草はキキョウ科の多年草で九州山地の草原に生えますが、八代市に自生することからこの名が付けられたそうです。
お堀の周りの歩道を散歩しながら半分ほど来ました。お宿はこの石垣の反対側になります。りゅう君とここを訪れた時にはお城の周りを一周してから城内の見物もしたんですよね。
城址をほぼ一周したところには八代宮の表参道があります。ここにはこんな立札が立てられていました。゛神様は見てござる ゛の文言が面白いですね。
八代宮の表参道入口です。鳥居をくぐって真っ直ぐに進んだら八代城址の中にある八代宮へと参道は続いています。
八代城のある熊本県(肥後藩)は江戸時代には全国でも珍しい一国二城の町でした。理由については南の薩摩への備えなど諸説ありますが、城主(城代)は肥後藩の筆頭家老の松井氏が城を預かっていたそうです。
八代宮の参道を八代城址とは反対側へ進んで大きな川までやって来ました。この川は球磨川が河口付近で二つに分流した前川です。そして画像の右側はもう八代海になります。
ここには巨大な河童のモニュメントがありましたが、高さが3m以上はありそうなとっても大きな像でした。
そして河童のモニュメントの前の前川の土手には中国から九千匹の河童が渡って来たといわれる 『河童渡来の碑』 がありました。ちなみに九千匹の河童の頭領を九千坊(くせんぼう)というそうです。
河童渡来の碑の横には 『オレオレデーライタ川祭り』 と刻まれた碑もありましたが、どんな意味なんでしょうね?
近くにあった周辺の案内図です。ホテルのある場所は八代市役所の前ですから、ここまでの距離は1kmほどでしょうか?
土手の上を散歩していると河童九千坊音頭と刻まれたこんなものもありました。ホテル一階の居食屋の店名も九千坊でしたが、八代市民の間では親しまれた名前なんでしょうね?
戻り道ではアーケード街も通りました。ここは熊本県内で2番目に長い全長730mの本町アーケードです。ここはもうホテルのすぐ近くですが、画像の右側にはこれから朝ごはんを食べるホテル一階の 『居食屋・九千坊』 の姉妹店の 『居酒屋・がらっぱ』 が見えています。
ホテルに戻ったら和洋バイキングの朝食です。この日もこれから色々なところを廻るのでがっつりと食べました(笑)
テーブルの上には昨日りゅうママが居酒屋で飲んだビワミンのメニュー表がありました。熊本県内ではメジャーな飲み物のようですね。
ホテルを出発したら球磨川沿いの国道219号線を人吉市方面へ進み、日本で初めてコンクリートダムの撤去が行われた荒瀬ダムの跡地を見物します。
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りゅう君がいなくなって一年以上になりますが、10年ほど続けていた早朝のお散歩の習慣が抜けなくて今でも夜が明ける頃には目が覚めてしまうのでこれから八代市街を散歩します。左に見える建物がお宿でその前の道は 『こいこい通』 と名付けられていました。
そして 『こいこい通』 と交差する前日に居酒屋へと向かった道は 『お城通』 と名付けられていました。泊まったホテルはこの左側でお城通を真っ直ぐに進むと八代城址があります。
お散歩を始めて最初に向かったのは八代城址です。前回は城内へと入りましたが、今回はお城の周囲を一回りします。
ここは城内の八代宮へと続く北参道神橋です。画像には写っていませんが、ここからは松浜軒がすぐ近くに見えます。
八代城址には無料の駐車場があって、りゅう君とここを訪れた時にはこの駐車場に車を停めましたが、今回訪れてみると半分が市役所の公用車専用駐車場になっていました。
お堀の周りの歩道にはこんなものがありました。八代草はキキョウ科の多年草で九州山地の草原に生えますが、八代市に自生することからこの名が付けられたそうです。
お堀の周りの歩道を散歩しながら半分ほど来ました。お宿はこの石垣の反対側になります。りゅう君とここを訪れた時にはお城の周りを一周してから城内の見物もしたんですよね。
城址をほぼ一周したところには八代宮の表参道があります。ここにはこんな立札が立てられていました。゛神様は見てござる ゛の文言が面白いですね。
八代宮の表参道入口です。鳥居をくぐって真っ直ぐに進んだら八代城址の中にある八代宮へと参道は続いています。
八代城のある熊本県(肥後藩)は江戸時代には全国でも珍しい一国二城の町でした。理由については南の薩摩への備えなど諸説ありますが、城主(城代)は肥後藩の筆頭家老の松井氏が城を預かっていたそうです。
八代宮の参道を八代城址とは反対側へ進んで大きな川までやって来ました。この川は球磨川が河口付近で二つに分流した前川です。そして画像の右側はもう八代海になります。
ここには巨大な河童のモニュメントがありましたが、高さが3m以上はありそうなとっても大きな像でした。
そして河童のモニュメントの前の前川の土手には中国から九千匹の河童が渡って来たといわれる 『河童渡来の碑』 がありました。ちなみに九千匹の河童の頭領を九千坊(くせんぼう)というそうです。
河童渡来の碑の横には 『オレオレデーライタ川祭り』 と刻まれた碑もありましたが、どんな意味なんでしょうね?
近くにあった周辺の案内図です。ホテルのある場所は八代市役所の前ですから、ここまでの距離は1kmほどでしょうか?
土手の上を散歩していると河童九千坊音頭と刻まれたこんなものもありました。ホテル一階の居食屋の店名も九千坊でしたが、八代市民の間では親しまれた名前なんでしょうね?
戻り道ではアーケード街も通りました。ここは熊本県内で2番目に長い全長730mの本町アーケードです。ここはもうホテルのすぐ近くですが、画像の右側にはこれから朝ごはんを食べるホテル一階の 『居食屋・九千坊』 の姉妹店の 『居酒屋・がらっぱ』 が見えています。
ホテルに戻ったら和洋バイキングの朝食です。この日もこれから色々なところを廻るのでがっつりと食べました(笑)
テーブルの上には昨日りゅうママが居酒屋で飲んだビワミンのメニュー表がありました。熊本県内ではメジャーな飲み物のようですね。
ホテルを出発したら球磨川沿いの国道219号線を人吉市方面へ進み、日本で初めてコンクリートダムの撤去が行われた荒瀬ダムの跡地を見物します。
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