本県上益城郡益城町の直売所「ふるさと市場」を出発したら、県道206号をさらに先へと進みました。
県道206号を2kmほど進むと熊本空港方面への交差点に出るので、ここを県道36号へと右折して熊本空港の滑走路の下を潜りましたが、このトンネルの途中からは熊本県阿蘇郡菊陽町になります。
熊本空港を通り過ぎてしばらくすると、次の目的地の「鼻ぐり井手公園」の標識が見えてきたのでここを左折して公園の駐車場に車を停めました。
左折した先にはこの様な案内表示があって、色んな施設があるようで、かなり広い公園のようですね。
案内表示のすぐ先にはベンチなどが置かれた芝生広場が広がっていて、奥のほうには子供遊具もありました。
車を停めたのはこの芝生広場の駐車場じゃなくて、県道を挟ん向かいにある加藤清正が造った400年以上前の灌漑設備を見物することができる「鼻ぐり井手公園」の駐車場です。ちなみに「井手」とは田んぼに水を引く用水路のことです。
鼻ぐり井手公園は横に細長い公園で、前を走る道路の向かい側に子供遊具などが置かれた芝生広場などがありました。公園の向こう側には樹木がうっそうと繁った林が見ますが、加藤清正が造らせた灌漑設備の「鼻ぐり井手」は公園とこの林の間にあります。
これは公園内に置かれていた持ち帰り用のパンフですが、鼻ぐり井手は水流によって土砂の堆積を防ぐ用水路のことで、用水路内に仕切り板のような障害物を造って、その下部に穴を開けて流れる水が仕切りごとに渦を巻いて土砂を巻き上げ下流へと流れるようにしたものです。ちなみに鼻ぐりとは牛の鼻に通す環のことで、形が似ていることから名付けられたそうです。そしてパンフには「馬場楠井手の鼻ぐり」と書かれていますが、馬場楠はここの地名だそうです。
ここが公園から眺めた灌漑設備の「鼻ぐり井手」ですが、この時は周辺を含めて全体が夏草に覆われていて、その全貌はほとんど見ることができませんでした。
鼻ぐり井手公園の端っこには白川に架かる「鼻ぐり大橋」があるので、この橋の下まで行ってみました。
橋の下は陽が差さないので雑草も繁ってなくて、わずか6基だけでしたが、鼻ぐり井手の姿を見ることができました。加藤清正が鼻ぐり井手を完成させた時には80基ほどあったそうですが、江戸時代に大部分が破壊されて今では24基だけが残っているそうです。
公園内には鼻ぐりの原寸大の模型もありましたが、穴は人が立って通れるほどの大きさがありました。
真上から眺めた鼻ぐり井手です。各仕切りごとに渦を巻いて水が流れているのがよく分かりますね。
公園内から鼻ぐり井手を見物したら、鼻ぐり大橋の上へ行ってみました。鼻ぐり大橋は一級河川の白川と鼻ぐり井手に架かる橋なので、橋にたもとには白川と刻まれたモニュメントのようなものがありました。
橋の上からは鼻ぐり井手全体が見れますが、この画像を見ると雑草が生い茂った谷底って感じで、鼻ぐりも水の流れも全く見ませんでした。雑草を刈り取ってもらいたいところですが、鼻ぐりの上は足場がよくないので難しいのかも知れませんね?
この川が鼻ぐり井手のすぐ横を流れている一級河川の白川です。阿蘇・根子岳を源として、立野辺りでは深い峡谷の底を濁流となって流れていた白川も、この辺りまで下ってくると川幅も広くなって緩やかな流れとなっていますね。
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左折した先にはこの様な案内表示があって、色んな施設があるようで、かなり広い公園のようですね。
案内表示のすぐ先にはベンチなどが置かれた芝生広場が広がっていて、奥のほうには子供遊具もありました。
車を停めたのはこの芝生広場の駐車場じゃなくて、県道を挟ん向かいにある加藤清正が造った400年以上前の灌漑設備を見物することができる「鼻ぐり井手公園」の駐車場です。ちなみに「井手」とは田んぼに水を引く用水路のことです。
鼻ぐり井手公園は横に細長い公園で、前を走る道路の向かい側に子供遊具などが置かれた芝生広場などがありました。公園の向こう側には樹木がうっそうと繁った林が見ますが、加藤清正が造らせた灌漑設備の「鼻ぐり井手」は公園とこの林の間にあります。
これは公園内に置かれていた持ち帰り用のパンフですが、鼻ぐり井手は水流によって土砂の堆積を防ぐ用水路のことで、用水路内に仕切り板のような障害物を造って、その下部に穴を開けて流れる水が仕切りごとに渦を巻いて土砂を巻き上げ下流へと流れるようにしたものです。ちなみに鼻ぐりとは牛の鼻に通す環のことで、形が似ていることから名付けられたそうです。そしてパンフには「馬場楠井手の鼻ぐり」と書かれていますが、馬場楠はここの地名だそうです。
ここが公園から眺めた灌漑設備の「鼻ぐり井手」ですが、この時は周辺を含めて全体が夏草に覆われていて、その全貌はほとんど見ることができませんでした。
鼻ぐり井手公園の端っこには白川に架かる「鼻ぐり大橋」があるので、この橋の下まで行ってみました。
橋の下は陽が差さないので雑草も繁ってなくて、わずか6基だけでしたが、鼻ぐり井手の姿を見ることができました。加藤清正が鼻ぐり井手を完成させた時には80基ほどあったそうですが、江戸時代に大部分が破壊されて今では24基だけが残っているそうです。
公園内には鼻ぐりの原寸大の模型もありましたが、穴は人が立って通れるほどの大きさがありました。
真上から眺めた鼻ぐり井手です。各仕切りごとに渦を巻いて水が流れているのがよく分かりますね。
公園内から鼻ぐり井手を見物したら、鼻ぐり大橋の上へ行ってみました。鼻ぐり大橋は一級河川の白川と鼻ぐり井手に架かる橋なので、橋にたもとには白川と刻まれたモニュメントのようなものがありました。
橋の上からは鼻ぐり井手全体が見れますが、この画像を見ると雑草が生い茂った谷底って感じで、鼻ぐりも水の流れも全く見ませんでした。雑草を刈り取ってもらいたいところですが、鼻ぐりの上は足場がよくないので難しいのかも知れませんね?
この川が鼻ぐり井手のすぐ横を流れている一級河川の白川です。阿蘇・根子岳を源として、立野辺りでは深い峡谷の底を濁流となって流れていた白川も、この辺りまで下ってくると川幅も広くなって緩やかな流れとなっていますね。
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