道の駅・萩往還を出発したら萩市街へと向かいます、
お昼ご飯のおイモを食べたりゅう君はとっても満足したようにお口の周りお手入れ中です、
道の駅・萩往還から萩市街まではほんの数kmほどの距離なのですぐにこんな標識が見えてきます、萩城跡にも行ってみたいですがこの猛暑ですから歩いて見物するのはちょっとムリですね、
さらに先へと進み萩市街へ入ると左手には日本海が、そして道路上には道の駅の標識が見えてきました、でも 『萩しーまーと』 ってスーパーマーケットみたいな変な名前ですね(笑)
道の駅のすぐ近くにはこんな立て看板もありました、”ぶち〇〇” って非常にとか大変とかいう意味で強調する時に使う言葉で最近ではテレビなどでも時々聞く様になりましたが元々は山口弁なんですよね、大分県人が喋ったら ” しんけん美味しい、来ちょくれ” ですね(笑)
道の駅・萩しーまーと に到着です、左側の建物が道の駅で右奥に見える建物は魚市場のようでした、でもここは辺り一面がアスファルトで舗装されていて緑も日陰も無いのでりゅう君のお散歩はちょっとムリみたいですね、
りゅう君を車に残して建物に入ってみるとまさにスーパーマーケットって感じで新鮮な魚介類や野菜などが所狭しと売られていました、
水槽の中ではケンサキイカも泳いでいました、魚市場に隣接して道の駅があるので新鮮な魚介類が安く手に入るんでしょうね、
ここには新鮮な魚介類を使ったお食事処やお寿司屋さんもありました、
このたくさんのメニューを見ていると海鮮大好きな私としては見蘭牛よりもこっちのほうがよかったかな?ってちょっと思いました、でも食事をしたばかりなのでここではサザエを今夜のお酒の肴に買っただけです、
道の駅・萩しーまーと を出発したらすぐ近くにある明治日本の産業革命遺産として今年の世界遺産に登録されたばかりの 『萩反射炉』 へ寄りました、
ここは緑が多くて木陰もあるのでりゅう君はお散歩をしながら萩反射炉を見学です、反射炉は小高い丘の上にありますが駐車場からは歩いて1~2分ほどの距離で途中の階段も両端がこの様に石造りになっていて歩き易くてワンコのための階段みたいですね(笑)
ここは木陰ばかりなので階段を駆け上がったりゅう君は振り返ってとっても嬉しそうな顔をしています、
階段を登り切った先にもこの様に大きな桜の木がたくさん植えられていて根元付近は木陰なのでりゅう君は思いっ切りお散歩ができそうです、
でもちょっと日なたへ出ようとするとりゅう君は嫌がってこんなところに避難して止めてくれよぉ~って顔でこちらを見て訴えています、
嫌がるりゅう君を無理やり木陰から出したら反射炉が見えました、これからあそこまでりゅう君を歩かせて行きますがりゅう君は嫌がるでしょうねぇ~(笑)
反射炉とは金属融解炉の一種で長州藩が西洋式の大砲を鋳造するために導入したものですが、この反射炉は試験炉で実際に大砲は造られなかったそうです、でも同じく世界遺産に登録された官営八幡製鉄所より50年以上も前に日本人だけの手で造られているんですよね、
しばらく木陰から反射炉を見学してここを出発しようとしたらりゅう君はまたヤダヤダです、この日の最高気温は37℃ですからねぇ~
階段を下って駐車場へ戻っていると山口県へ入ってから最初のワンちゃんたちに遭遇です、でもりゅう君は抱っこされているほうのワンちゃんばかりをしきりに見ています、羨ましいのかな?(笑)
萩反射炉を出発したら次の目的地の松陰神社へ十数分で到着です、ここにも明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録されている松下村塾があります、
でもここは神聖な神社だしこの暑さですからりゅう君にはまた車でお留守番をしてもらいます、何も知らないりゅう君はりゅうママに抱っこされてこれからお散歩ができるとでも思っているんでしょうか?とっても嬉しそうな顔をしています、
さぁ、これからりゅう君を車内に残してりゅうママと二人で松陰神社の見学です、
鳥居をくぐったらすぐに吉田松陰が明治維新の原動力となる若き志士たちに講義を行った松下村塾がありました、この建物は現存している本物の建物だそうです、
説明板もありました、これによると吉田松陰が松下村塾で講義を行ったのはわずか一年足らずなのに初代総理大臣となった伊藤博文をはじめ多くの英傑がここの塾生だったんですね、
道の駅・萩往還の松陰記念館で見た再現された松下村塾と同じアングルで撮影してみました、当然ですが全く同じですねぇ~(笑)、それにしても江戸時代の木造家屋がよく残っていたものですね、
こんな狭い8畳?足らずの部屋で明治維新の原動力となった身分も低い若き志士たちが日本の将来について語り合ったんですね、
床の間には吉田松陰の肖像画もありました、この肖像画を描いたのは松下村塾に入塾していた松浦亀太郎という魚屋の息子として育った人物で松陰が安政の大獄で亡くなった後に塾生として最初に自害で命を落とした人だそうです、松下村塾の塾生には明治維新後に活躍した人もいますがそれ以前に命を落とした人も多いんですよね、
松下村塾のすぐ横には杉百合之介(すぎゆりのすけ)旧宅があります、百合之介は吉田松陰の父で夭逝した三女を除いて6人の子供がいたそうです、松陰は二男で幼名は虎之介あるいは虎次郎と言ったそうです、ちなみに長男の杉梅太郎は明治13年に松下村塾を再興したそうです、
こちらの家は松下村塾と違っていくつもの部屋があるとっても広い屋敷でした、松陰はこんな屋敷で育ったんですね、
ここにも説明板がありました、松陰は松下村塾で講義を行う以前はこの広い屋敷のなかのわずか三畳半の一室に幽閉されて講義を行っていたんですね、
広い屋敷を一回りしながら見学していると母屋からちょっと離れて小屋のような建物がありました、何だろうかと思って中を覗いてみると厠(トイレ)でした(笑)
萩市内にはまだまだ見所がたくさんありますがこの猛暑ですからりゅう君を連れて歩いての観光はちょっと厳しいのでここを出発したら涼を求めて日本屈指の鍾乳洞の秋芳洞へと向かいます。
お昼ご飯のおイモを食べたりゅう君はとっても満足したようにお口の周りお手入れ中です、
道の駅・萩往還から萩市街まではほんの数kmほどの距離なのですぐにこんな標識が見えてきます、萩城跡にも行ってみたいですがこの猛暑ですから歩いて見物するのはちょっとムリですね、
さらに先へと進み萩市街へ入ると左手には日本海が、そして道路上には道の駅の標識が見えてきました、でも 『萩しーまーと』 ってスーパーマーケットみたいな変な名前ですね(笑)
道の駅のすぐ近くにはこんな立て看板もありました、”ぶち〇〇” って非常にとか大変とかいう意味で強調する時に使う言葉で最近ではテレビなどでも時々聞く様になりましたが元々は山口弁なんですよね、大分県人が喋ったら ” しんけん美味しい、来ちょくれ” ですね(笑)
道の駅・萩しーまーと に到着です、左側の建物が道の駅で右奥に見える建物は魚市場のようでした、でもここは辺り一面がアスファルトで舗装されていて緑も日陰も無いのでりゅう君のお散歩はちょっとムリみたいですね、
りゅう君を車に残して建物に入ってみるとまさにスーパーマーケットって感じで新鮮な魚介類や野菜などが所狭しと売られていました、
水槽の中ではケンサキイカも泳いでいました、魚市場に隣接して道の駅があるので新鮮な魚介類が安く手に入るんでしょうね、
ここには新鮮な魚介類を使ったお食事処やお寿司屋さんもありました、
このたくさんのメニューを見ていると海鮮大好きな私としては見蘭牛よりもこっちのほうがよかったかな?ってちょっと思いました、でも食事をしたばかりなのでここではサザエを今夜のお酒の肴に買っただけです、
道の駅・萩しーまーと を出発したらすぐ近くにある明治日本の産業革命遺産として今年の世界遺産に登録されたばかりの 『萩反射炉』 へ寄りました、
ここは緑が多くて木陰もあるのでりゅう君はお散歩をしながら萩反射炉を見学です、反射炉は小高い丘の上にありますが駐車場からは歩いて1~2分ほどの距離で途中の階段も両端がこの様に石造りになっていて歩き易くてワンコのための階段みたいですね(笑)
ここは木陰ばかりなので階段を駆け上がったりゅう君は振り返ってとっても嬉しそうな顔をしています、
階段を登り切った先にもこの様に大きな桜の木がたくさん植えられていて根元付近は木陰なのでりゅう君は思いっ切りお散歩ができそうです、
でもちょっと日なたへ出ようとするとりゅう君は嫌がってこんなところに避難して止めてくれよぉ~って顔でこちらを見て訴えています、
嫌がるりゅう君を無理やり木陰から出したら反射炉が見えました、これからあそこまでりゅう君を歩かせて行きますがりゅう君は嫌がるでしょうねぇ~(笑)
反射炉とは金属融解炉の一種で長州藩が西洋式の大砲を鋳造するために導入したものですが、この反射炉は試験炉で実際に大砲は造られなかったそうです、でも同じく世界遺産に登録された官営八幡製鉄所より50年以上も前に日本人だけの手で造られているんですよね、
しばらく木陰から反射炉を見学してここを出発しようとしたらりゅう君はまたヤダヤダです、この日の最高気温は37℃ですからねぇ~
階段を下って駐車場へ戻っていると山口県へ入ってから最初のワンちゃんたちに遭遇です、でもりゅう君は抱っこされているほうのワンちゃんばかりをしきりに見ています、羨ましいのかな?(笑)
萩反射炉を出発したら次の目的地の松陰神社へ十数分で到着です、ここにも明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録されている松下村塾があります、
でもここは神聖な神社だしこの暑さですからりゅう君にはまた車でお留守番をしてもらいます、何も知らないりゅう君はりゅうママに抱っこされてこれからお散歩ができるとでも思っているんでしょうか?とっても嬉しそうな顔をしています、
さぁ、これからりゅう君を車内に残してりゅうママと二人で松陰神社の見学です、
鳥居をくぐったらすぐに吉田松陰が明治維新の原動力となる若き志士たちに講義を行った松下村塾がありました、この建物は現存している本物の建物だそうです、
説明板もありました、これによると吉田松陰が松下村塾で講義を行ったのはわずか一年足らずなのに初代総理大臣となった伊藤博文をはじめ多くの英傑がここの塾生だったんですね、
道の駅・萩往還の松陰記念館で見た再現された松下村塾と同じアングルで撮影してみました、当然ですが全く同じですねぇ~(笑)、それにしても江戸時代の木造家屋がよく残っていたものですね、
こんな狭い8畳?足らずの部屋で明治維新の原動力となった身分も低い若き志士たちが日本の将来について語り合ったんですね、
床の間には吉田松陰の肖像画もありました、この肖像画を描いたのは松下村塾に入塾していた松浦亀太郎という魚屋の息子として育った人物で松陰が安政の大獄で亡くなった後に塾生として最初に自害で命を落とした人だそうです、松下村塾の塾生には明治維新後に活躍した人もいますがそれ以前に命を落とした人も多いんですよね、
松下村塾のすぐ横には杉百合之介(すぎゆりのすけ)旧宅があります、百合之介は吉田松陰の父で夭逝した三女を除いて6人の子供がいたそうです、松陰は二男で幼名は虎之介あるいは虎次郎と言ったそうです、ちなみに長男の杉梅太郎は明治13年に松下村塾を再興したそうです、
こちらの家は松下村塾と違っていくつもの部屋があるとっても広い屋敷でした、松陰はこんな屋敷で育ったんですね、
ここにも説明板がありました、松陰は松下村塾で講義を行う以前はこの広い屋敷のなかのわずか三畳半の一室に幽閉されて講義を行っていたんですね、
広い屋敷を一回りしながら見学していると母屋からちょっと離れて小屋のような建物がありました、何だろうかと思って中を覗いてみると厠(トイレ)でした(笑)
萩市内にはまだまだ見所がたくさんありますがこの猛暑ですからりゅう君を連れて歩いての観光はちょっと厳しいのでここを出発したら涼を求めて日本屈指の鍾乳洞の秋芳洞へと向かいます。
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Comment
1
運動量が、半端ないよね、りゅうくん。
暑いですねぇ~、毎日(大汗)
最近テレビで、夏ミカン、洋館入れが、紹介されていました。
昔は、甘くておいしかったでしょうねぇ~。
最近は、甘いものは・・・ちょっとねぇ~、焼酎が
飲めなくなりますよ。
義理の父は、生前、どちらもOKでしたが・・・(笑)
あと2週間もすれば、朝晩少しは、よくなるかもだね、りゅうくん。
最近テレビで、夏ミカン、洋館入れが、紹介されていました。
昔は、甘くておいしかったでしょうねぇ~。
最近は、甘いものは・・・ちょっとねぇ~、焼酎が
飲めなくなりますよ。
義理の父は、生前、どちらもOKでしたが・・・(笑)
あと2週間もすれば、朝晩少しは、よくなるかもだね、りゅうくん。
RE.1
こんにちは、びびさん
私もテレビ見ましたよ、
道の駅・萩往還の物産館に ”夏蜜柑丸漬” 売っていましたがひとつが1200円もしたので美味しそうでしたが買えませんでした(笑)
私も甘いもので焼酎は好きですが、しょっぱい、ピリ辛はちょっと苦手ですね、
明日はちょっと早めに熊本へお墓参りです、でもこの猛暑ですから草刈りが辛いですねぇ~、お盆が冬だったらよかったのに・・・(笑)
この猛暑ももうしばらくの辛抱ですね。
道の駅・萩往還の物産館に ”夏蜜柑丸漬” 売っていましたがひとつが1200円もしたので美味しそうでしたが買えませんでした(笑)
私も甘いもので焼酎は好きですが、しょっぱい、ピリ辛はちょっと苦手ですね、
明日はちょっと早めに熊本へお墓参りです、でもこの猛暑ですから草刈りが辛いですねぇ~、お盆が冬だったらよかったのに・・・(笑)
この猛暑ももうしばらくの辛抱ですね。
2
無題
先日は質問にお答えいただいてありがとうございました。
松陰塾懐かしい~、
随分前に行ったのを懐かしいな~って見てました^^
暑いのでワンズも人も外出は大変ですが、
やはりお出掛けは楽しいですね☆
松陰塾懐かしい~、
随分前に行ったのを懐かしいな~って見てました^^
暑いのでワンズも人も外出は大変ですが、
やはりお出掛けは楽しいですね☆
RE.2
こんにちは、nicoママさん
私たちも萩はりゅう君が我が家にやって来てからは初めてでとっても懐かしかったです、
気候が良ければいろんなところを廻りたかったんですが猛暑でしたから超高齢のりゅう君の体調を考えて早々と帰りました、
秋になって気候が良くなったらまた訪れたいですね、
以前に比べて東九州道もほとんど開通して萩市も余裕で日帰りが出来るようになって便利になりましたね。
気候が良ければいろんなところを廻りたかったんですが猛暑でしたから超高齢のりゅう君の体調を考えて早々と帰りました、
秋になって気候が良くなったらまた訪れたいですね、
以前に比べて東九州道もほとんど開通して萩市も余裕で日帰りが出来るようになって便利になりましたね。
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