にほんブログ村ランキングに参加しています、ワンクリックにご協力をお願いします。
※ これまでに泊まったお宿はワンコ同伴宿ダイジェストにまとめてるから見てね
今日は美味しいものを食べようと宮崎県へお出かけしました、
今日の出発は太陽が昇り始めた朝の6時過ぎだよ、でも東の空はうっすら曇ってて太陽が直視できるほどでした、今日の天気は大丈夫なのかなぁ~?
今日の目的地はママが以前テレビで見て食べたいって言ってた、みやざき金ふぐを使った 『都農ふぐ丼』 が食べられる宮崎県都農(つの)町だよ、
大分市から宮崎県方面へ行くにはいくつかのルートがあるんだけど、今回は海岸沿いの東九州道を通るルートで行く事にしました、
東九州道は全線開通してなくて至る所で分断されているから、宮崎県に入るとすぐに北浦ICで一般道へと降ります、高速を降りるとすぐに道の駅・北浦があるので、りゅう君はここでお散歩です、今日のりゅう君は絶好調のようでワンコもいないのに一人で吠えまくっています、
でも吠えすぎてちょっと疲れたのかな?ベンチで休憩です、
道の駅・北浦を出発したら、またすぐに高速へ乗ります、ここから日向市の日向ICまでは高速を降りずに行けます、途中の延岡市までは無料だから利用者にとってはありがたい事だけど交通量がとっても少ないから、ムダ使いの象徴のように言われてた北海道の高速道路みたいだよ、しかも無料だから一般道の感覚で入ってくる車も多くて60km/h以下の速度で走る車も多いんだよ、
終点の日向ICで高速を降りたら、ここからは国道10号線を走ります、しばらく走ってるとこんな標識が見えてきます、いつもは通り過ぎる事が多いんだけど今日は時間もあるからじっくりと散策だよ、
国道10号線を曲がるとすぐにこんな昔ながらの古い街並みが見えてきます、ここが美々津だよ、
美々津は耳川の河口にある町なので河口まで行くと、こんな大きな石碑があります、石碑には ”日本海軍発祥之地” って刻まれています、
さっそく近くまで行ってみます、
美々津は神武天皇が東征のためにここから船出をしたって伝説があるから、石碑の基部にはこんな古代の軍船の形をしたモニュメント?もありました、
そして ”日本海軍発祥之地” って刻まれた石碑についての説明文もありました、神武天皇の水軍が日本で最初の海軍だったからこの碑があるんだね、
そしてここには船の錨もありました、
錨の説明文です、
こんな碑もありました、ここは江戸時代には高鍋藩の港町として栄えていて、参勤交代にも利用されてたそうだよ、
立磐(たていわ)神社です、右にほんの少しだけ見えてる水面は耳川だよ、
このシメ縄をかけられた石は神武天皇が船出の時にこの石に腰掛けて指揮をしたって伝説があるそうだよ、
説明板にも”神武天皇 御腰掛之岩”って書かれてました、福岡県豊前市に道の駅・おこしかけってのがあるけど、これは神功皇后が腰掛けた石から ”おこしかけ” って呼ばれるようになったんだよ、でも神武天皇(初代天皇)も神功皇后も伝説上の人物で実在したかどうかも定かじゃないんだって、
この御腰掛之岩は周囲を塀で囲まれて入口には鳥居もありました、でもりゅう君と比べたらとっても小さな鳥居です、
立磐神社の境内には御腰掛之岩の他にもいくつかの岩にシメ縄がかけられていました、立磐(岩?)神社って名前がついてるように岩が神様なのかな?
これから美々津の古い街並みをちょっとだけお散歩だよ、ここには江戸時代から明治、大正時代にかけての回船問屋などの古い家屋が残っていて、”国の重要伝統的建造物群保存地区” に指定されてるんだよ、でも国の重要・・・・って漢字が多くて覚えきれないよね(笑)
このお家の前には ”おいでなんせ” って書かれた看板がありました、山口県では ”おいでませ” だよね、4月に鹿児島県枕崎市に行った時には ”ゆくさ、おじゃったもした” って紙がお部屋にあったけど、どれも同じような意味なんだろうね?方言って面白いね、枕崎へ行った時の記事は ここ をクリックしてみてね、
このお家も古そうだね、でも1階の扉の隙間からは何かが見えています、
よく見たら中には車が・・・、車のためのお家なのかな?(笑)
ちょっと暑くなってきたから休憩所で休もうとしたら地元のおじさんが涼んでいました、地元の人だから涼しい場所をよく知ってるんだね、
ここは日陰で海からの風が吹き抜けるからとっても気持ちがいいよ、ひと休みしたらここを出発して、みやざき金ふぐを使った都濃ふぐ丼が食べられる日向市都濃(つの)町を目指します。
ランキングに参加しています
ブログ更新の励みになるのでワンクリックにご協力をお願いします。
↓ ↓ ↓
にほんブログ村