安心院町のロータリー交差点を通過したら、国道387号線へと出て院内町までやって来ました。
画像は長い橋脚が特徴的で石橋の貴婦人といわれる 『 鳥居橋 』 ですが、今回の目的地は 『 鳥居橋 』 じゃなくて、ここには車を停めただけです。
鳥居橋のすぐ横には東九州道が通っていますが、今回の目的地はこの高速道の高架の下にある小さな公園です。
高速道の下はポケットパークのような小さな公園になっていて、石橋の里・院内を象徴する石橋のモニュメントがあります。
そしてここにはもうひとつ 『 旧豊州鉄道駅跡 』 と書かれた駅名標のようなものがありました。豊州鉄道(ほうしゅうてつどう)は大分交通豊州線ともいって、現在のJR日豊本線の 『 豊前善光寺 』 と、ここからさらに内陸部へ3駅進んだ 『 豊前二日市 』 までを結んでいた線路です。豊州線は昭和28年には全線廃線となったので、今ではここに線路があったことを記憶しているのは地元のお年寄りだけでしょうね?
公園のすぐ横には駅名にもなった 『 香下神社 』 があります。かつてここにあった香下神社前駅も参拝客で賑わっていた時期があったんでしょうね?
公園の向かい側には廃校となった小学校の記念碑があって、機関車の動輪(車輪)が置かれていますが、裏を見たらC57と刻まれていました。大分交通豊州線にはC57は走っていなかったので、日豊本線を走っていた機関車のものかもしれませんね?
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公園のすぐ横には駅名にもなった 『 香下神社 』 があります。かつてここにあった香下神社前駅も参拝客で賑わっていた時期があったんでしょうね?
公園の向かい側には廃校となった小学校の記念碑があって、機関車の動輪(車輪)が置かれていますが、裏を見たらC57と刻まれていました。大分交通豊州線にはC57は走っていなかったので、日豊本線を走っていた機関車のものかもしれませんね?
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