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双葉の里を出発したら来た道を少し戻って田園地帯を走ります。
 

県道23号線から田園の広がる道へと右折したら、道路はどこまでも果てしなく続くような真っ直ぐの一本道になります。
 
 
 

ここには戦争中に宇佐海軍航空隊がありましたが、この道路は滑走路の跡地に造られているのでこんなに長くて真っ直ぐなんですね。
 
 
 

田園の広がる中には宇佐海軍航空隊の戦争遺跡がたくさんありますが、ここは 『城井(じょうい)一号掩体壕』 です。掩体壕とは航空機を空襲から守るために造られたコンクリート製の格納庫のことです。




宇佐海軍航空隊には戦時中にはたくさんの掩体壕があったそうで、車を停めた駐車場のすぐ近くにも倉庫代わりに使われている掩体壕が残っていました。この掩体壕は城井一号掩体壕よりもちょっと小さかったので、小型の戦闘機を格納する掩体壕だったんでしょうね。
 
 
 

宇佐海軍航空隊の主な軍用機と記されたパネルもありました。この中には次に訪れる宇佐市平和資料館に模型が展示されている 『ゼロ戦』 や 特攻兵器で固体燃料ロケットを使用した『人間爆弾 桜花』もありました。




そしてこんなパネルもありました。余談ですがりゅうママの亡くなった父は乙種飛行予科練習生(乙飛)だったんですよね。 りゅうママの父については 過去の記事  をクリックして下さいね。
 
 
 

これが軍用機を格納していた城井一号掩体壕です。正面から見たらいかにも格納庫って感じがしますが・・・
 
 
 

後ろに廻ったら、ただの小山のように見えます。上空から襲ってくる敵機にもこんな感じに見えたんでしょうね?
 
 
 

城井一号掩体壕の中には別府湾から引き揚げられたゼロ戦のプロペラとエンジンの一部が展示されていました。
 
 
 

そして掩体壕の天井部分を見たら、入口のほうはしっかりしたコンクリート造りになっていましたが・・・
 
 
 

奥のほうのコンクリートには大きな石や木材も混じっていて、よく見たら靴の跡のようなものもありました。戦況が悪化した大戦末期には物資や人手不足などもあって急ごしらえで掩体壕を造ったんでしょうね。
 
 
 

城井一号掩体壕の見学をしたら、宇佐市街地にある宇佐市平和資料館へと向かいますが、宇佐平野にはたくさんの戦争遺跡が残っています。この掩体壕も農機具の倉庫として利用されていますが、その他にも銃弾の痕が残る当時のレンガ造りの建物などもあるので 過去の記事  もクリックして下さいね。
 
 

 
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