延岡市へ出かけた時の記事がまだ残っていますが、他のネタがどんどん古くなっていくので、ひとつだけ別の記事を載せます。
数日前のテレビニュースで佐賀関港で潜水作業をしていた人が、海底に不発弾らしきものがあるのを発見したと報道されていました。
その日の夕方には海上自衛隊の船も佐賀関港の沖に錨泊していたので、翌日の朝に佐賀関港へ行ってみました。画像に写っているのは国内最大の精錬所の「パンパシフィックカッパー 佐賀関精錬所」です。不発弾はこのすぐ近くの海底で2つ発見されたそうです。
精錬所の西側には海が広がっていますが、ここは佐賀関港の出口で、このすぐ左側には佐賀関と四国の佐田岬を結ぶ国道九四フェリーの乗り場などもあります。画像の右側に見えているのは精錬所の施設の一部ですが、その沖合には米粒のように小さく船が見えています。
望遠で撮影してみると海上自衛隊の艦船と、その左側にはゴムボートのようなものが浮かんでいました。
この艦船は「水中処分母船1号型」といって、海底にある不発弾などの回収を行う水中処分員の作業支援船です。でもこの船は護衛艦などとは違って船首側面には「YDT 04」と記号が書かれているだけで船名は無いんですよね。そして護衛艦じゃないので兵器も搭載していません。
ゴムボートを見ると4人の水中処分員が乗っていました。このゴムボートは複合型ゴムボートと呼ばれて、船底部分は強化プラスチック製でV字型をしていて、ゴムボートと船を合体させたような構造になっています。
しばらくすると3人の水中処分員が不発弾の回収のために潜水したのか?ボートの上には一人の隊員だけが残っていました。ボートの後部には2本の旗が立てられていますが、この旗は海上自衛隊の旭日旗と、もうひとつは潜水作業中であることを表す国際信号旗でした。
不発弾の回収作業を撮影していた場所は、大分市役所佐賀関支所の前にある金山港(かなやまこう)ですが、ここは沖側に防波堤があって撮影し難かったので、佐賀関町の町中へ入る手前の岬の先端部へ移動することにしました。
岬の先端部から眺めた光景です。ここからは佐賀関港が見下ろせて、水中処分母船「YDT 04」は湾口の真ん中辺りに停泊していました。
そして水中処分員を乗せたボートは精錬所の岸壁からわずか数十mほどのところに停泊していました。ボートの近くには丸いブイが浮かんでいますが、この下の海底に不発弾があるんでしょうね?
しばらく不発弾回収作業の様子を眺めていたら、佐田岬の三崎港を出港した国道九四フェリーの「速なみ」が佐賀関港へと入ってきました。
フェリー「速なみ」はゆっくりと港へ入って行きましたが、そのすぐ前方には不発弾を回収しているボートが小さく見えています。2発の不発弾は10時過ぎには回収されたそうですが、旧陸軍のりゅう弾砲弾だったそうで、信管が抜かれていたので爆発の危険性は無かったそうです。この辺りは海上交通の要衝で戦時中には要塞もあったところなので、その砲弾だったのかもしれませんね?
この画像は数年前に水中処分母艦1号型「YDT 04」が別府へ寄港して、一般公開された時のものですが、ウェットスーツを着て「爆発物処分班」と書かれたTシャツを着た水中処分員もいました。この人たちが命がけで海底に眠る不発弾の回収などの作業を行っているんですね。
太平洋戦争が終わって80年近くになりますが、国内では未だに毎年1000件以上もの不発弾の処分を自衛隊では行っていて、その成功率は100%だそうです。
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数日前のテレビニュースで佐賀関港で潜水作業をしていた人が、海底に不発弾らしきものがあるのを発見したと報道されていました。
その日の夕方には海上自衛隊の船も佐賀関港の沖に錨泊していたので、翌日の朝に佐賀関港へ行ってみました。画像に写っているのは国内最大の精錬所の「パンパシフィックカッパー 佐賀関精錬所」です。不発弾はこのすぐ近くの海底で2つ発見されたそうです。
精錬所の西側には海が広がっていますが、ここは佐賀関港の出口で、このすぐ左側には佐賀関と四国の佐田岬を結ぶ国道九四フェリーの乗り場などもあります。画像の右側に見えているのは精錬所の施設の一部ですが、その沖合には米粒のように小さく船が見えています。
望遠で撮影してみると海上自衛隊の艦船と、その左側にはゴムボートのようなものが浮かんでいました。
この艦船は「水中処分母船1号型」といって、海底にある不発弾などの回収を行う水中処分員の作業支援船です。でもこの船は護衛艦などとは違って船首側面には「YDT 04」と記号が書かれているだけで船名は無いんですよね。そして護衛艦じゃないので兵器も搭載していません。
ゴムボートを見ると4人の水中処分員が乗っていました。このゴムボートは複合型ゴムボートと呼ばれて、船底部分は強化プラスチック製でV字型をしていて、ゴムボートと船を合体させたような構造になっています。
しばらくすると3人の水中処分員が不発弾の回収のために潜水したのか?ボートの上には一人の隊員だけが残っていました。ボートの後部には2本の旗が立てられていますが、この旗は海上自衛隊の旭日旗と、もうひとつは潜水作業中であることを表す国際信号旗でした。
不発弾の回収作業を撮影していた場所は、大分市役所佐賀関支所の前にある金山港(かなやまこう)ですが、ここは沖側に防波堤があって撮影し難かったので、佐賀関町の町中へ入る手前の岬の先端部へ移動することにしました。
岬の先端部から眺めた光景です。ここからは佐賀関港が見下ろせて、水中処分母船「YDT 04」は湾口の真ん中辺りに停泊していました。
そして水中処分員を乗せたボートは精錬所の岸壁からわずか数十mほどのところに停泊していました。ボートの近くには丸いブイが浮かんでいますが、この下の海底に不発弾があるんでしょうね?
しばらく不発弾回収作業の様子を眺めていたら、佐田岬の三崎港を出港した国道九四フェリーの「速なみ」が佐賀関港へと入ってきました。
フェリー「速なみ」はゆっくりと港へ入って行きましたが、そのすぐ前方には不発弾を回収しているボートが小さく見えています。2発の不発弾は10時過ぎには回収されたそうですが、旧陸軍のりゅう弾砲弾だったそうで、信管が抜かれていたので爆発の危険性は無かったそうです。この辺りは海上交通の要衝で戦時中には要塞もあったところなので、その砲弾だったのかもしれませんね?
この画像は数年前に水中処分母艦1号型「YDT 04」が別府へ寄港して、一般公開された時のものですが、ウェットスーツを着て「爆発物処分班」と書かれたTシャツを着た水中処分員もいました。この人たちが命がけで海底に眠る不発弾の回収などの作業を行っているんですね。
太平洋戦争が終わって80年近くになりますが、国内では未だに毎年1000件以上もの不発弾の処分を自衛隊では行っていて、その成功率は100%だそうです。
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