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道の駅「野方あらさの」を出発したら、隣接している野方ICから東九州道に乘りました。


野方ICから鹿屋市街地方面へ向かって東九州道を7kmほど走ったら、大隅縦貫道へ分岐する鹿屋串良JCTがあるので、ここを左折して大隅縦貫道へ入ってすぐに高速道を降りました。




高速道を降りたら県道67号などを鹿屋市街地方面へ向かって5㎞ほど走ると、白い大きな塔の建っている公園が見えてきました。ここはかつて串良(くしら)海軍航空基地があったところで、戦争末期にはここから363名の若者が特攻出撃をしていますが、現在は串良平和公園として整備され慰霊碑なども建てられています。




ここにはこの様な標識もありました。これから向かうのはこの標識に書かれている串良海軍航空基地遺構の「地下壕電信室」です。




串良平和公園の前には総合運動公園もあって、地下壕電信室はこのすぐ先にあります。この運動公園もかつては串良海軍航空基地の敷地の一部だったんでしょうね。




総合運動公園から1㎞も走ると道路沿いに「地下壕第一電信室」と書かれた看板が見えてきたのでここに車を停めました。




駐車場には普通車が数台と大型車は3台停められるようでした。そして駐車場の奥にはコンクリートの構造物が見えていますが、この反対側に「地下壕第一電信室」の入口があります。




ここが「地下壕第一電信室」の入口です。入口は米軍からの爆撃に耐えられるように厚いコンクリートで囲まれていました。




ここから地下にある電信室へと入って行きます。入口には鉄格子があって9時から16時までは見学ができますが、それ以外の時間帯は鉄格子が閉まっていて鍵も掛かっているそうです。




入口から覗いた地下壕への階段です。地下壕は深さが7mもあるそうなのでかなり深いですね。




ここが階段を降りたところにある第一電信室です。この部屋は奥行きが15m、幅は4mあるそうです。室内は鍾乳洞のように冷やりとしていましたが、湿度が高くてジメジメしていて、天井から落ちた水滴が床に溜まっていました。当時もこんな状態だったんでしょうか?




コンクリートの壁を見るとこの様な穴が4つ開いていて、この中に受信機が置かれていたそうです。




地下壕のもう一ヵ所の入口側から内部を見ると通路が二手に分かれていて、左側の通路は電信室へ続いていて、右側の通路は受信機が置かれたコンクリート壁の裏側になっていて、この通路には受信機と繋がった手回し発電機や変圧器が置かれていたそうです。




ここには第一電信室の見取り図などの説明板もありました。ここでは特攻出撃した隊員が発した最後のモールス信号を受信していたそうです。この説明板には音声ガイダンスのようにモールス指号を聞けるボタンもありましたが、残念なことに機械が故障していてモールス信号を聞くことはできませんでした。




ここで受信したモールス信号は、特攻機が突入目標とした艦船の種類によって発信音が異なっていますが、いずれも突入態勢に入って最後に発するのは ゛ツー ゛の連続音で、この音が途切れた時が突入成功あるいは撃墜されたとみなされていたそうです。




地下壕第一電信室の見学をしたらもう一箇所の出入口から地上へ出ました。太平洋戦争末期の鹿児島県にはいくつもの特攻基地があって、薩摩半島にある知覧航空基地や、昨年訪れた万世航空基地などはいずれも陸軍の航空基地でしたが、大隅半島にあった串良航空基地と、これから向かう鹿屋航空基地は海軍の航空基地で、両方の航空基地で1271名もの若き隊員が特攻出撃して命を落としているんですよね。



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