中浦ジュリアン記念公園を出発したら、長崎市を目指して国道202号をさらに南下しました。
中浦ジュリアン記念公園を出発してしばらくすると、国道202号は右側(西側)に東シナ海を眺めながら走る風光明媚な道路となります。この辺りの道路は「ながさきサンセットロード」と名付けられていて、東シナ海に沈む夕陽がとてもきれいなところなんですよね。昨年の6月に平戸市を訪れた時に走った道路も「ながさきサンセットロード」でした。
国道沿いには展望所を兼ねた休憩スペースのような駐車場所があったのでここに車を停めました。
ここは雪浦(ゆきのうら)というところですが、看板には「あなたに響く音がある」と書かれていて、この時は意味が分かりませんでしたが、帰ってから調べたら近くの山中に廃校を利用して15万枚のレコード盤や蓄音機などを展示した「音浴博物館」という施設があるようでした。
ここから足元を見るととてもきれいな海が見えました。
そして少し横を見るとこの様なきれいな砂浜もありました。ここは「雪浦海浜公園」といってウミガメが産卵に来ることもあるとてもきれいな浜辺です。
そして沖を眺めるとこの様な船のようにも見える平らな島が見えました。この島は人口が100人ほどの池島といいますが、かつては炭鉱の島として栄えていて最盛期には7700人が暮らしていて、閉鉱時にも3000人ほどの人が住んでいたそうです。同じ長崎県にある軍艦島として有名な「端島(はしま)」とよく似ていますね。
展望所には地図もありました。池島はこの様な位置にありますが、ここは地理的には五島列島と九州本土の間にある海域で、五島灘や角力灘と呼ばれていますが、角力灘(すもうなだ)って相撲に興味のない人にはなかなか読めない漢字ですね。
池島を望遠で撮影したらこんな感じです。大きな山も無い平らな形をした島で、沖に浮かぶ軍艦(船)のように見えなくも無いですね。
島の右端を目いっぱい望遠にして撮影したら、ちょっと画像がぼけてしまいましたが、高層住宅のような建物や工場の煙突のようなものが見えました。池島炭鉱は2001年に閉鉱した九州では最後の炭鉱の島で、これらは炭鉱関連の施設なんでしょうね?
そしてこちらは島の左端ですが、こちらにもたくさんの建物が見えました。これらは全て炭住と呼ばれて炭鉱マンとその家族が住んでいた鉄筋コンクリートの高層アパートなんでしょうね。当時の炭鉱マンの給料はサラリーマンの2倍ほどあったといわれていて、近代的な高層アパートには共同浴場や給湯設備などもあったそうです。
池島の周辺の海域には直立したこの様な岩がいくつかありました。まるでローソク岩のようですね。
1本の直立した岩に見えていた岩礁も、国道を先へ進んで見る角度が変わてくると、岩の姿も徐々に変わって見えて、この岩もろうそく岩から双子岩のような姿に変わっていました。
この画像はこの後に訪れた道の駅「夕陽ケ丘 そとめ」から眺めた景色です。池島の前には3つ島(岩)が見えていますが、左から大角力(おおずもう)、母子島(はこしま)、小角力(こずもう)と名付けられていて、ローソク岩のように見えていたのは大角力と小角力です。
望遠で撮影してみると、大角力もローソク岩のような1本の直立した岩じゃなくて、大きな空洞がある岩でした。ここは当初の計画では車を停める予定がなくて、素通りするつもりでしたが、東シナ海の景色の素晴らしさと、大角力、子角力の姿が徐々に変わっていくのが興味深くて、道路沿いに何度も車を停めて時間をかけてしまいました。
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中浦ジュリアン記念公園を出発してしばらくすると、国道202号は右側(西側)に東シナ海を眺めながら走る風光明媚な道路となります。この辺りの道路は「ながさきサンセットロード」と名付けられていて、東シナ海に沈む夕陽がとてもきれいなところなんですよね。昨年の6月に平戸市を訪れた時に走った道路も「ながさきサンセットロード」でした。
国道沿いには展望所を兼ねた休憩スペースのような駐車場所があったのでここに車を停めました。
ここは雪浦(ゆきのうら)というところですが、看板には「あなたに響く音がある」と書かれていて、この時は意味が分かりませんでしたが、帰ってから調べたら近くの山中に廃校を利用して15万枚のレコード盤や蓄音機などを展示した「音浴博物館」という施設があるようでした。
ここから足元を見るととてもきれいな海が見えました。
そして少し横を見るとこの様なきれいな砂浜もありました。ここは「雪浦海浜公園」といってウミガメが産卵に来ることもあるとてもきれいな浜辺です。
そして沖を眺めるとこの様な船のようにも見える平らな島が見えました。この島は人口が100人ほどの池島といいますが、かつては炭鉱の島として栄えていて最盛期には7700人が暮らしていて、閉鉱時にも3000人ほどの人が住んでいたそうです。同じ長崎県にある軍艦島として有名な「端島(はしま)」とよく似ていますね。
展望所には地図もありました。池島はこの様な位置にありますが、ここは地理的には五島列島と九州本土の間にある海域で、五島灘や角力灘と呼ばれていますが、角力灘(すもうなだ)って相撲に興味のない人にはなかなか読めない漢字ですね。
池島を望遠で撮影したらこんな感じです。大きな山も無い平らな形をした島で、沖に浮かぶ軍艦(船)のように見えなくも無いですね。
島の右端を目いっぱい望遠にして撮影したら、ちょっと画像がぼけてしまいましたが、高層住宅のような建物や工場の煙突のようなものが見えました。池島炭鉱は2001年に閉鉱した九州では最後の炭鉱の島で、これらは炭鉱関連の施設なんでしょうね?
そしてこちらは島の左端ですが、こちらにもたくさんの建物が見えました。これらは全て炭住と呼ばれて炭鉱マンとその家族が住んでいた鉄筋コンクリートの高層アパートなんでしょうね。当時の炭鉱マンの給料はサラリーマンの2倍ほどあったといわれていて、近代的な高層アパートには共同浴場や給湯設備などもあったそうです。
池島の周辺の海域には直立したこの様な岩がいくつかありました。まるでローソク岩のようですね。
1本の直立した岩に見えていた岩礁も、国道を先へ進んで見る角度が変わてくると、岩の姿も徐々に変わって見えて、この岩もろうそく岩から双子岩のような姿に変わっていました。
この画像はこの後に訪れた道の駅「夕陽ケ丘 そとめ」から眺めた景色です。池島の前には3つ島(岩)が見えていますが、左から大角力(おおずもう)、母子島(はこしま)、小角力(こずもう)と名付けられていて、ローソク岩のように見えていたのは大角力と小角力です。
望遠で撮影してみると、大角力もローソク岩のような1本の直立した岩じゃなくて、大きな空洞がある岩でした。ここは当初の計画では車を停める予定がなくて、素通りするつもりでしたが、東シナ海の景色の素晴らしさと、大角力、子角力の姿が徐々に変わっていくのが興味深くて、道路沿いに何度も車を停めて時間をかけてしまいました。
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