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道の駅「さいかい」を出発したら、長崎市を目指して県道43号 ⇒ 国道202号と進みました。


国道202号をしばらく走ったら、国道から外れて海側にある集落への狭い道へ右折して少しだけ進むと「中浦ジュリアン記念公園 駐車場」と書かれた標識が見えてきたのでここに車を停めました。




ここは東シナ海に面した斜面にいくつもの家屋が建っている集落で、集落内の道路も車同士がやっとすれ違えるほどの狭さですが、公園の駐車場だけはこの様に広い平地で十台以上の車が停められそうでした。




駐車場に車を停めたらさっそく数十mほど離れたところにある「中浦ジュリアン 記念公園」へと向かいました。公園の周囲は民家や畑になっていて、集落に溶け込んだ小さな公園といった感じのところでした。




ここには中浦ジュリアンと天正遣欧少年使節についての説明板がありました。天正遣欧少年使節は、戦国時代に九州のキリシタン大名の名代としてローマに派遣された4名の少年で、肥前(長崎県)の中浦ジュリアンの他には日向(宮崎県)の伊藤マンショ、肥前の千々和ミゲル、肥前の原マルチノの4名がヨーロッパへ派遣されたそうです。




ここはとても小さな公園で、画像に写っている中浦ジュリアンの銅像が建っている展望台のような建物の他には、その奥に僅かな遊歩道などがあるだけのようでした。まずは中浦ジュリアンの銅像の立っている展望台へ登ってみました。






これが中浦ジュリアンの銅像です。姓の中浦はここの地名でジュリアンは洗礼名ですが、幼名は小佐々甚吾(こざさ じんご)といって、この地の城主の一人息子だったそうです。この銅像の中浦ジュリアンが指さしている先はヨーロッパなんでしょうか?




銅像の周りには天正遣欧少年使節が訪れた東南アジアやヨーロッパなどの寺院の説明パネルもありました。




そしてここは展望台にもなっているので、この様なパネルもありました。これを見ると西側を眺めると五島列島までが望めるようですが・・・




実際に眺めた景色はこんな感じで、すぐ手前に視界を遮る高い木もあって、思ったほど眺望はよくありませんでした(笑)




中浦ジュリアンの銅像が建つ展望台を降りたら、展望台の下にある資料展示室に行きました。ここは扉に鍵が掛かってなくて内部は自由に見学ができました。




資料展示室の内部はこの様になっていて、中浦ジュリアンの生涯が壁画のような感じで描かれていました。




そしてここには中浦ジュリアンの直筆の手紙の複写もありました。




中浦ジュリアンの生涯を描いた壁画の最後にはこの様な説明板がありました。天正遣欧少年使節の4名の中には帰国後に棄教した少年もいましたが、中浦ジュリアンは最後まで棄教せず、江戸幕府のキリシタン禁教令によって、65歳の時に残虐な刑によって殉教しているんですね。



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