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永井博士が晩年を過ごした「如己堂」を出発したらサントス通りを下りました。


サントス通りを350mほど下って道路がT字路になっているところへ出ると、正面に二つの塔がある立派な教会が見えてきました。ここが今回どうしても寄りたかった3番目の目的地の「浦上天主堂」です。




ここにはこの様な標識があって、サントス通りが突き当たった道は「アンジェラス通り」と名付けられていました。原爆によって崩壊した浦上天主堂の瓦礫から掘り出された鐘がアンジェラスの鐘なので、これが通りの名前の由来なんでしょうね。ちなみにアンジェラスの鐘とはお告げの祈りの時刻を知らせるために鳴らす鐘のことだそうです。




画像の上のほうに見えるのが浦上天主堂ですが、その下には瓦礫のような大きな塊が見えました。これは原爆の爆風で崩れ落ちた旧浦上天主堂の鐘楼です。




この鐘楼は鉄筋コンクリート製で直径が5.5m、重さは50tもあるそうです。当時はあまりの大きさ(重さ)で移動することができず、この場にそのまま残されたといわれています。




崩れ落ちた鐘楼の近くには、当時の写真が載った説明板もありました。




そしてこの説明板の基礎部分は原爆の被害を受けた浦上天主堂のレンガで造られていました。




アンジェラス通りから崩れ落ちた鐘楼を見物したら、階段を登って浦上天主堂へと向かいました。




階段の途中にはこの様な案内板があって、崩れ落ちた鐘楼はすぐ近くからも眺められるようでした。




旧浦上天主堂には二つの塔があってそれぞれの塔の上に鐘楼がありましたが、南側のものは天主堂内に落下して、もうひとつのこの鐘楼はがけ下を流れる小川まで滑り落ちたそうです。ここは爆心地から500mほど離れていますが、いかに原爆の威力が凄まじかったかがよく分かりますね。




これが再建された浦上天主堂です。赤レンガ造りのとても美しい教会で、大浦天主堂と並んで長崎市を代表するような教会ですね。この教会はとても大きくて1000人を収容することができるそうです。






教会の入口にはこの様な門柱?がありました。浦上天主堂は旧称で正式名称は「カトリック 浦上教会」というそうですが、一般的には「浦上天主堂」の名称で通っているそうです。




天主堂内は残念ながら撮影禁止だったので画像はありませんが、入口の左右には原爆の被害を免れた2体の像がありました。この像は左側にある無傷で残った「悲しみの聖母像」です。そして右側には「使徒聖ヨハネ像」がありました。




教会の敷地内の一角には黒く焼け焦げたような色をした石像などが置かれた一角がありました。




ここには原爆の熱線で焼かれたり、爆風で頭部が吹き飛ばされた聖人像が数体置かれていました。石像とはいえ見るからに痛々しい姿ですね。




ここにも説明板があって、原爆で一部の外壁を残して倒壊した浦上天主堂の写真もありました。浦上天主堂には2つの鐘(アンジェラスの鐘)があって、そのうちのひとつの鐘が瓦礫の中から掘り出されて、原爆が投下された年のクリスマスイブに鳴らされて「長崎の鐘」と呼ばれるようになったそうです。
被爆した浦上天主堂の外壁の一部は爆心地公園に移設されていますが、今回は時間的に訪れることができなかったのがちょっと残念でした。


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