国宝 臼杵石仏を出発したら国道217号線を通って帰途につきます。
臼杵石仏からは紅葉の名所として知られる 白馬溪 の前を通って国道217号線へと出ますが、白馬溪を過ぎるとすぐに 『 国指定特別史跡 臼杵磨崖仏(大日石仏) 』 と書かれた小さな標識が見えてきます。
この標識はとても小さくて、画像の右端の点線で囲んだ部分が標識です。ここは道路沿いに駐車場も無いので、事前に調べてなければ見過ごすほどの小さな標識です。
ちょっと離れた道路沿いの空き地に車を停めたら、さっそく大日石仏の拝観です。車道からは舗装された細い道が磨崖仏の覆い屋付近まで続いていますが、車で通るにはちょっと狭い道で、行き止まりには方向転換するスペースも無かったので拝観用の歩道なんでしょうね。
狭い道を歩いて行くと、竹林に囲まれた中に立派な覆い屋がありました。
大日石仏は臼杵市門前地区にあるので門前磨崖仏ともいいます。先ほど拝観した臼杵石仏と合わせて昭和27年には ゛臼杵磨崖仏 ゛として国の特別史跡に指定されましたが、臼杵石仏がその後に国宝指定されたのに対して、こちらは国宝には指定されませんでした。
大日石仏は全部で七体彫られていますが、損傷が激しくて顔の表情が判明しないものや、頭や胴体の一部が崩落しているものもあります。
向かって右側にある3体の磨崖仏です。左から不動明王、コンガラ童子、セイタカ童子ですが、不動明王、コンガラ童子が比較的原型を留めているのに対して、右端のセイタカ童子は頭部が崩落しているので、その表情をうかがい知ることはできません。
こちらは向かって左側に彫られている釈迦三尊像のうちの2体で、右は釈迦如来像ですが、左の菩薩像?は頭部の上半分が崩落していました。この左には多聞天も彫られているそうですが、風化でただの岩肌にしか見えませんでした。
臼杵市は 『 石仏の里 』 といわれるほど磨崖仏が多いところで、大日石仏や国宝の臼杵石仏以外にも 『 払川石仏 』 というのがあるそうですが、ナビを頼りに近くまで行っても標識が見当たらず、道も狭そうだったので断念しました。
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臼杵石仏からは紅葉の名所として知られる 白馬溪 の前を通って国道217号線へと出ますが、白馬溪を過ぎるとすぐに 『 国指定特別史跡 臼杵磨崖仏(大日石仏) 』 と書かれた小さな標識が見えてきます。
この標識はとても小さくて、画像の右端の点線で囲んだ部分が標識です。ここは道路沿いに駐車場も無いので、事前に調べてなければ見過ごすほどの小さな標識です。
ちょっと離れた道路沿いの空き地に車を停めたら、さっそく大日石仏の拝観です。車道からは舗装された細い道が磨崖仏の覆い屋付近まで続いていますが、車で通るにはちょっと狭い道で、行き止まりには方向転換するスペースも無かったので拝観用の歩道なんでしょうね。
狭い道を歩いて行くと、竹林に囲まれた中に立派な覆い屋がありました。
大日石仏は臼杵市門前地区にあるので門前磨崖仏ともいいます。先ほど拝観した臼杵石仏と合わせて昭和27年には ゛臼杵磨崖仏 ゛として国の特別史跡に指定されましたが、臼杵石仏がその後に国宝指定されたのに対して、こちらは国宝には指定されませんでした。
大日石仏は全部で七体彫られていますが、損傷が激しくて顔の表情が判明しないものや、頭や胴体の一部が崩落しているものもあります。
向かって右側にある3体の磨崖仏です。左から不動明王、コンガラ童子、セイタカ童子ですが、不動明王、コンガラ童子が比較的原型を留めているのに対して、右端のセイタカ童子は頭部が崩落しているので、その表情をうかがい知ることはできません。
こちらは向かって左側に彫られている釈迦三尊像のうちの2体で、右は釈迦如来像ですが、左の菩薩像?は頭部の上半分が崩落していました。この左には多聞天も彫られているそうですが、風化でただの岩肌にしか見えませんでした。
臼杵市は 『 石仏の里 』 といわれるほど磨崖仏が多いところで、大日石仏や国宝の臼杵石仏以外にも 『 払川石仏 』 というのがあるそうですが、ナビを頼りに近くまで行っても標識が見当たらず、道も狭そうだったので断念しました。
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