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道の駅・香春から田川市方面へ進んでいると、道路沿いに建っている鳥居から一本の道が樹木の茂った小山まで続いているところがあります。


国道201号線を田川市方面へと走るたびに、奥には何があるのか気になっていましたが、今回初めて訪れてみました。この鳥居はとっても大きくて銅製の立派な鳥居なんですよね。




田んぼの中を走る細い道を進んで行くと、車1台分ほどの駐車スペース?があって、小山の頂上へと続く長い石段と鳥居がありました。どうやらこの小山の上には神社があるようです。




そして鳥居の横には 『 河内王(かわちのおおきみ)の墓 』 と書かれた看板がありました。河内王については史料が乏しいために詳細は定かではないそうですが、飛鳥時代の天皇直系の皇族で、この地で亡くなったといわれています。


 

河内王の墓へは田んぼの横に整備された細い道があって、歩いてもすぐ行けるようなので、まずはこちらを先に見物します。細い道の先の階段を上がったところが河内王の墓です。
 
 
 

河内王の墓を目指して歩き始めると、河内王の妻といわれる手持女王(たもちのひめみこ)が詠んだ、万葉集にも収められている挽歌(死者をいたむ歌)が記された看板が見えてきます。万葉集には手持女王が河内王を偲ぶ歌が全部で3首ありますが、すべて悲しい歌ばかりです。




ここが河内王の墓(御陵墓)といわれる勾金(まがりかね)陵墓参考地です。陵墓参考地とは、伝承や出土品などから皇族の墳墓と思われるが、被葬者が特定できない古墳のことで、全国に46ヶ所あるそうです。そして勾金とはかつてここにあった村の名前だそうです。




勾金陵墓参考地の見物が終わったら、この急な石段を登ります。石段を登り始めて最初のうちは段数を数えていましたが、150段を過ぎた辺りから息が切れてきて、数えるのを止めてしまいました(笑) りゅう君だったら大喜びで段数も数えずに一気に駆け上がったでしょうね。




石段を登った先にはコンクリート造の立派なお社がありました。鏡山大神社の御祭神は河内王の時代よりも遡って、神話の時代に近い頃の神功皇后と夫の仲哀天皇だそうです。神功皇后は仲哀天皇が亡くなった後の、新羅への出兵(三韓征伐)の際に、ここで必勝祈願をしたといわれています。
 
 
 
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