かえる寺を出発したら、この日ランチをいただくお店がある方向に向かって、県道88号を南下しました。
県道88号を4kmほど走って、途中から左折すると「七夕神社」と書かれた大きな看板が見えてきました。そしてグーグルマップにはここへ来るまでの県道88号には「七夕通り」と表記されていました。
ここが「七夕神社」です。普通の神社には一対の狛犬が置かれていますが、ここでは鳥居の前に七夕伝説に登場する、天の川の西岸に住む機織り名手の織姫と、天の川の東岸に住む働き者の牛飼いの牽牛(けんぎゅう)の像が建っていました。
向かって左に建っているのが機織り名手の織姫(おりひめ)の像です。
そして右側が働き者の牛飼いの牽牛(けんぎゅう)の像です。こんな神社は一度も見たことがありませんが、全国でここだけなんでしょうか?
七夕神社は正式には「媛社神社(ひめこそじんじゃ)」といって、ご祭神は織女神だそうですが、この神社の裏手には宝満川(ほうまんがわ)が流れていて、この川を挟んだ対岸には牽牛を祀る神社があることからいつしか「七夕神社」と地元で呼ばれるようになったそうです。
ここが七夕神社(媛社神社)の拝殿です。画像には写っていませんが、石灯籠と拝殿の間には一対の狛犬も置かれていました。
横から見た拝殿と本殿です。七夕神社と呼ばれる素敵な名前の神社の割には社殿は意外と質素な感じですね。
拝殿の前には織姫、牽牛の顔ハメパネルもありました。
そしてここは七夕伝説(織女・牽牛伝説)にちなんで、恋人の聖地にもなっていました。
七夕神社の裏手を東南方向へ300mほど歩いたところには、天の川に見立てられている宝満川が流れています。これからこの橋を渡って牽牛が祀られている神社へと行ってみます。
七夕神社から700mほど歩くと小さな神社があって、ここが牽牛神社だそうですが、随分と小さくて質素な神社ですね。
鳥居の前に立てられていた説明板によると、牽牛神社は正式には「老松神社」というそうで、説明書きには牽牛と織女が天の川(宝満川)を挟んで、年に一度だけ会う七夕伝説にちなんで、西暦1200~1300年頃に創建されたと書かれていました。
七夕神社を出発したら、りゅうママが何年も前から行きたいと願っていたフレンチレストランへと向かいます。
ランキングに参加しています。ポチッとお願いします。
にほんブログ村 にほんブログ村
県道88号を4kmほど走って、途中から左折すると「七夕神社」と書かれた大きな看板が見えてきました。そしてグーグルマップにはここへ来るまでの県道88号には「七夕通り」と表記されていました。
ここが「七夕神社」です。普通の神社には一対の狛犬が置かれていますが、ここでは鳥居の前に七夕伝説に登場する、天の川の西岸に住む機織り名手の織姫と、天の川の東岸に住む働き者の牛飼いの牽牛(けんぎゅう)の像が建っていました。
向かって左に建っているのが機織り名手の織姫(おりひめ)の像です。
そして右側が働き者の牛飼いの牽牛(けんぎゅう)の像です。こんな神社は一度も見たことがありませんが、全国でここだけなんでしょうか?
七夕神社は正式には「媛社神社(ひめこそじんじゃ)」といって、ご祭神は織女神だそうですが、この神社の裏手には宝満川(ほうまんがわ)が流れていて、この川を挟んだ対岸には牽牛を祀る神社があることからいつしか「七夕神社」と地元で呼ばれるようになったそうです。
ここが七夕神社(媛社神社)の拝殿です。画像には写っていませんが、石灯籠と拝殿の間には一対の狛犬も置かれていました。
横から見た拝殿と本殿です。七夕神社と呼ばれる素敵な名前の神社の割には社殿は意外と質素な感じですね。
拝殿の前には織姫、牽牛の顔ハメパネルもありました。
そしてここは七夕伝説(織女・牽牛伝説)にちなんで、恋人の聖地にもなっていました。
七夕神社の裏手を東南方向へ300mほど歩いたところには、天の川に見立てられている宝満川が流れています。これからこの橋を渡って牽牛が祀られている神社へと行ってみます。
七夕神社から700mほど歩くと小さな神社があって、ここが牽牛神社だそうですが、随分と小さくて質素な神社ですね。
鳥居の前に立てられていた説明板によると、牽牛神社は正式には「老松神社」というそうで、説明書きには牽牛と織女が天の川(宝満川)を挟んで、年に一度だけ会う七夕伝説にちなんで、西暦1200~1300年頃に創建されたと書かれていました。
七夕神社を出発したら、りゅうママが何年も前から行きたいと願っていたフレンチレストランへと向かいます。
ランキングに参加しています。ポチッとお願いします。
にほんブログ村 にほんブログ村
PR
Comment
Trackback
Comment form