天門橋展望所を出発したら天草を後にしてお家へと向かいます。
これから天草五橋の1号橋の天門橋を渡って大矢野島から宇土半島へと向かいます。画像の左側には新1号橋の天城橋の巨大なアーチも見えています。
天門橋を渡ったら五橋入口交差点を左折して宇土半島の北側の海岸沿いを走る国道57号線を通って熊本市経由で阿蘇方面へと進みます。この道路は宇土半島の南側を通る国道266号線に劣らず景色のいい道で、この日は長崎県の島原半島にある雲仙普賢岳がこんなにきれいに見えました。
国道57号線は海沿いの道から宇土半島の付け根が近づくと、田園が広がる中を走る道へとなります。この辺りまで来たら対向車線はこんなに車が連なって渋滞していました。これらの車も天草方面へ向かっているんでしょうか?
国道57号線をさらに先へ進むと宇土半島の付け根から内陸部へと入って、国道3号線への分岐まで来ました。ここから先は行きにも通った国道3号線へと左折して熊本市へ向かいます。
国道3号線を北上して熊本市へ入ったら再び国道57号線を走って、途中から熊本空港方面への県道を進んで菊池郡菊陽町までやって来ると、 『鼻ぐり井手公園』 と書かれた標識が見えてきました。
ここが 『鼻ぐり井手公園』 です。ここは子供用遊具や管理棟などもあるとっても広い公園ですが、私たちは今回初めて訪れました。
鼻ぐり井手公園の案内図の一部です。私たちが車を停めたのは現在地ではなくて画像の右上に展望所と書かれているところです。案内図には犬の散歩時は・・・と書かれていたのでルールを守ればワンコのお散歩もできるようです。
鼻ぐり井手公園は広い芝生公園ですが、公園の名前の由来となった加藤清正が造った用水路の ゛鼻ぐり井手 ゛ が見られるのは道路を渡ったこの狭い公園のほうです。
これが公園から眺めた鼻ぐり井手です。岩を削って人工的に造られた用水路(井手)ですが、数メートルおきに仕切り板のように岩を残して、その仕切られた岩の水中部分に穴が開いて水が通るようになっているそうです。
鼻ぐり井手は加藤清正の時代に造られたそうですが、鼻ぐり井手へと水を引いている白川は阿蘇山の火山灰で土砂が堆積しやすいので、この様に複雑な構造にして穴を通過した水が次の仕切りの岩に当たって巻き上がって土砂が堆積しないようにしているそうです。
この画像は白川に架かる県道209号線の橋の上から撮影しました。画像の右側が車を停めた公園ですが、鼻ぐり井手の全景が真下に見えるように公園を造っているんですね。
鼻ぐり井手の上流側は仕切りの岩が崩れているのか?普通の水路のようになっていますが、この部分は水の流れが緩やかでこの状態だと土砂も堆積し易そうですよね。
それに対して仕切りが残っている部分は水中にある穴から流れて出る水が流速を増して次の仕切りの岩に勢いよく当たるので、この様に渦巻いて土砂を巻き上げるようになっています。
橋の上には鼻ぐり井手(馬場楠井出の鼻ぐり)の説明板もありました。先人の知恵ってすごいですね。
そして公園には鼻ぐり井手の実物大の模型もありました。鼻ぐり井手の仕切りの岩にはこの様な穴が左右互い違いに開いているそうです。そしてこの穴が牛の鼻に通す鼻環(鼻ぐり)に似ていることから鼻ぐり井手と呼ばれるようになったそうです。
鼻ぐり井手公園を出発したら、今まで一度も通ったことの無い県道207号線を通って阿蘇方面へと進みます。
この道路は国道57号線と並行するように走る道路で正面には阿蘇山が、そして右側には行きに見た俵山展望所の発電用風車も見えています。
県道207号線は一部狭い箇所もありますが、ほとんどが片側一車線の真っ直ぐな道路で、しばらく阿蘇山を目指して走っていると大きな橋のアーチが見えてきました。そして左側の一段高くなっているところは国道57号線です。
橋を過ぎると道路はこのすぐ先で阿蘇口交差点へ出て国道57線と合流します。この道は初めて通りましたが、国道57号線と並行していて大津町の市街地を通らないので渋滞時の抜け道として便利そうですね。
国道57号線へ合流したら行きと同じように阿蘇長陽大橋を渡りましたが、ここも橋の入口辺りから渋滞していました。お盆はどこへ出かけても渋滞だらけなので県道207号線を通ったのは正解だったようですね。
そのおかげで?新阿蘇大橋の工事現場の写真をゆっくりと撮影することができました。
阿蘇長陽大橋を渡ってしばらくすると再び国道57号線へ合流して途中で休憩をしながらお家へと向かいました。
今回のお出かけで買った品物です。左から道の駅・竜北で買った吉野梨と藍のあまくさ村で買った焼酎・天草とおつまみです。
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これから天草五橋の1号橋の天門橋を渡って大矢野島から宇土半島へと向かいます。画像の左側には新1号橋の天城橋の巨大なアーチも見えています。
天門橋を渡ったら五橋入口交差点を左折して宇土半島の北側の海岸沿いを走る国道57号線を通って熊本市経由で阿蘇方面へと進みます。この道路は宇土半島の南側を通る国道266号線に劣らず景色のいい道で、この日は長崎県の島原半島にある雲仙普賢岳がこんなにきれいに見えました。
国道57号線は海沿いの道から宇土半島の付け根が近づくと、田園が広がる中を走る道へとなります。この辺りまで来たら対向車線はこんなに車が連なって渋滞していました。これらの車も天草方面へ向かっているんでしょうか?
国道57号線をさらに先へ進むと宇土半島の付け根から内陸部へと入って、国道3号線への分岐まで来ました。ここから先は行きにも通った国道3号線へと左折して熊本市へ向かいます。
国道3号線を北上して熊本市へ入ったら再び国道57号線を走って、途中から熊本空港方面への県道を進んで菊池郡菊陽町までやって来ると、 『鼻ぐり井手公園』 と書かれた標識が見えてきました。
ここが 『鼻ぐり井手公園』 です。ここは子供用遊具や管理棟などもあるとっても広い公園ですが、私たちは今回初めて訪れました。
鼻ぐり井手公園の案内図の一部です。私たちが車を停めたのは現在地ではなくて画像の右上に展望所と書かれているところです。案内図には犬の散歩時は・・・と書かれていたのでルールを守ればワンコのお散歩もできるようです。
鼻ぐり井手公園は広い芝生公園ですが、公園の名前の由来となった加藤清正が造った用水路の ゛鼻ぐり井手 ゛ が見られるのは道路を渡ったこの狭い公園のほうです。
これが公園から眺めた鼻ぐり井手です。岩を削って人工的に造られた用水路(井手)ですが、数メートルおきに仕切り板のように岩を残して、その仕切られた岩の水中部分に穴が開いて水が通るようになっているそうです。
鼻ぐり井手は加藤清正の時代に造られたそうですが、鼻ぐり井手へと水を引いている白川は阿蘇山の火山灰で土砂が堆積しやすいので、この様に複雑な構造にして穴を通過した水が次の仕切りの岩に当たって巻き上がって土砂が堆積しないようにしているそうです。
この画像は白川に架かる県道209号線の橋の上から撮影しました。画像の右側が車を停めた公園ですが、鼻ぐり井手の全景が真下に見えるように公園を造っているんですね。
鼻ぐり井手の上流側は仕切りの岩が崩れているのか?普通の水路のようになっていますが、この部分は水の流れが緩やかでこの状態だと土砂も堆積し易そうですよね。
それに対して仕切りが残っている部分は水中にある穴から流れて出る水が流速を増して次の仕切りの岩に勢いよく当たるので、この様に渦巻いて土砂を巻き上げるようになっています。
橋の上には鼻ぐり井手(馬場楠井出の鼻ぐり)の説明板もありました。先人の知恵ってすごいですね。
そして公園には鼻ぐり井手の実物大の模型もありました。鼻ぐり井手の仕切りの岩にはこの様な穴が左右互い違いに開いているそうです。そしてこの穴が牛の鼻に通す鼻環(鼻ぐり)に似ていることから鼻ぐり井手と呼ばれるようになったそうです。
鼻ぐり井手公園を出発したら、今まで一度も通ったことの無い県道207号線を通って阿蘇方面へと進みます。
この道路は国道57号線と並行するように走る道路で正面には阿蘇山が、そして右側には行きに見た俵山展望所の発電用風車も見えています。
県道207号線は一部狭い箇所もありますが、ほとんどが片側一車線の真っ直ぐな道路で、しばらく阿蘇山を目指して走っていると大きな橋のアーチが見えてきました。そして左側の一段高くなっているところは国道57号線です。
橋を過ぎると道路はこのすぐ先で阿蘇口交差点へ出て国道57線と合流します。この道は初めて通りましたが、国道57号線と並行していて大津町の市街地を通らないので渋滞時の抜け道として便利そうですね。
国道57号線へ合流したら行きと同じように阿蘇長陽大橋を渡りましたが、ここも橋の入口辺りから渋滞していました。お盆はどこへ出かけても渋滞だらけなので県道207号線を通ったのは正解だったようですね。
そのおかげで?新阿蘇大橋の工事現場の写真をゆっくりと撮影することができました。
阿蘇長陽大橋を渡ってしばらくすると再び国道57号線へ合流して途中で休憩をしながらお家へと向かいました。
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