輿止日女神社を出発したら佐賀市街地へと向かいました。
輿止日女神社も佐賀市内にあるので、20分も走ると佐賀市街地へ入ってこの様な標識が見えてきました。この辺りは合同庁舎や博物館、美術館もある佐賀市の中心部で、これから向かうのは佐賀城跡です。
ここが佐賀城跡の無料駐車場です。ここには普通車が20台ほど停められるようでしたが、看板には第一駐車場と書かれていたので、他にも駐車場があるんでしょうね?
駐車場に車を停めたら、さっそく佐賀城跡の見物へ向かいました。奥のほうには石垣が見えていて、この石垣の向こう側が城内のようでしたが、手前は広場のように整備されていたので、ここにはかつては堀が巡らされていたんでしょうね?
よく整備された広場にはこの様な大きな銅像がありました。この像は幕末の肥前佐賀藩10代当主の鍋島直正公で、佐賀藩の財政、軍政改革に取り組み明治維新の原動力となった薩長土肥の一角を担う肥後佐賀藩を作り上げた藩主です。
駐車場に車を停めたらさっそく城内へと向かいました。ここは初めて訪れるところで何も分からなかったので、まずは看板に書かれていた重要文化財「佐賀城 鯱の門 続櫓(しゃちのもん つづきやぐら)」へと向かいました。
ここにはもうひとつこの様な説明板もあって、鯱の門には明治7年に起った明治政府に対する士族の反乱の「佐賀の乱」による激戦による弾痕が残っていると書かれていました。
これが鯱の門です。鯱の門は本丸の表門になりますが、それに続くように建てられている櫓が続櫓です。
鯱の門の前まで行ってみると門扉には数え切れないほどの弾痕が残っていました。ここではかなり激しい戦闘が行われたんですね。
そしてこれが肥前佐賀藩36万石にふさわしいといわれる青銅製の鯱(しゃちほこ)です。見事な造りの風格ある鯱ですね。
鯱の門を潜って城内へ入ると、復元された佐賀城本丸御殿が建てられていて、内部の見学などもできるようでしたが、この時は団体の学生(小学生?)が見学をしていたので、館内の見学はパスしました。
城内には復元された24ポンドカノン砲もありました。これは10代藩主の鍋島直正が築地に反射炉を築いて日本で初めて造られた鉄製の大砲だそうです。
鯱の門などを見学したら天守台跡へと向かいました。お城の天守台(天守閣)といえば高い石垣の上にそびえ立つ天守閣を想像しますが、佐賀城の天守台は西門の奥に見える低い石垣の上なんですよね。
ここが天守台への登り口です。前日に訪れた名護屋城や、これまでに何度も訪れている熊本城に比べると石垣もかなり低いですね。
そして石段を登るとその上にもう一段低い石垣があってここが天守台になります。
天守台から眺めた佐賀市街地です。画像の右側に見えている大きな建物は合同庁舎で、左側には佐賀テレビや博物館、美術館名などがありました。
そして城内の方向を眺めると高さはありませんが長い石垣が見えました。かつてはこの石垣の上に防御のための土塀が立てられていたんでしょうね?
天守台を降りたら少しだけ佐賀城跡の周囲を歩きましたが、お城の周囲は佐賀市民の憩いの場って感じで緑がいっぱいでした。そしてとても大きなお堀もありました。
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輿止日女神社も佐賀市内にあるので、20分も走ると佐賀市街地へ入ってこの様な標識が見えてきました。この辺りは合同庁舎や博物館、美術館もある佐賀市の中心部で、これから向かうのは佐賀城跡です。
ここが佐賀城跡の無料駐車場です。ここには普通車が20台ほど停められるようでしたが、看板には第一駐車場と書かれていたので、他にも駐車場があるんでしょうね?
駐車場に車を停めたら、さっそく佐賀城跡の見物へ向かいました。奥のほうには石垣が見えていて、この石垣の向こう側が城内のようでしたが、手前は広場のように整備されていたので、ここにはかつては堀が巡らされていたんでしょうね?
よく整備された広場にはこの様な大きな銅像がありました。この像は幕末の肥前佐賀藩10代当主の鍋島直正公で、佐賀藩の財政、軍政改革に取り組み明治維新の原動力となった薩長土肥の一角を担う肥後佐賀藩を作り上げた藩主です。
駐車場に車を停めたらさっそく城内へと向かいました。ここは初めて訪れるところで何も分からなかったので、まずは看板に書かれていた重要文化財「佐賀城 鯱の門 続櫓(しゃちのもん つづきやぐら)」へと向かいました。
ここにはもうひとつこの様な説明板もあって、鯱の門には明治7年に起った明治政府に対する士族の反乱の「佐賀の乱」による激戦による弾痕が残っていると書かれていました。
これが鯱の門です。鯱の門は本丸の表門になりますが、それに続くように建てられている櫓が続櫓です。
鯱の門の前まで行ってみると門扉には数え切れないほどの弾痕が残っていました。ここではかなり激しい戦闘が行われたんですね。
そしてこれが肥前佐賀藩36万石にふさわしいといわれる青銅製の鯱(しゃちほこ)です。見事な造りの風格ある鯱ですね。
鯱の門を潜って城内へ入ると、復元された佐賀城本丸御殿が建てられていて、内部の見学などもできるようでしたが、この時は団体の学生(小学生?)が見学をしていたので、館内の見学はパスしました。
城内には復元された24ポンドカノン砲もありました。これは10代藩主の鍋島直正が築地に反射炉を築いて日本で初めて造られた鉄製の大砲だそうです。
鯱の門などを見学したら天守台跡へと向かいました。お城の天守台(天守閣)といえば高い石垣の上にそびえ立つ天守閣を想像しますが、佐賀城の天守台は西門の奥に見える低い石垣の上なんですよね。
ここが天守台への登り口です。前日に訪れた名護屋城や、これまでに何度も訪れている熊本城に比べると石垣もかなり低いですね。
そして石段を登るとその上にもう一段低い石垣があってここが天守台になります。
天守台から眺めた佐賀市街地です。画像の右側に見えている大きな建物は合同庁舎で、左側には佐賀テレビや博物館、美術館名などがありました。
そして城内の方向を眺めると高さはありませんが長い石垣が見えました。かつてはこの石垣の上に防御のための土塀が立てられていたんでしょうね?
天守台を降りたら少しだけ佐賀城跡の周囲を歩きましたが、お城の周囲は佐賀市民の憩いの場って感じで緑がいっぱいでした。そしてとても大きなお堀もありました。
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