枕崎観光ホテル岩戸を出発したら枕崎市内の観光です。
最初に到着したのは火の神公園です、ここへは前回も訪れていますがここだけはどうしても外せなかったので再訪問です。前回と同じ画像もありますが過去の記事の ここ もクリックして下さいね。
火の神公園は東シナ海に突き出した岬に広がる公園でキャンプ場やプールなどの設備もある雄大な景色が楽しめる公園です。
さっそくお散歩を始めたりゅう君はお宿の部屋からも見えていた立神岩を目指して歩いて行きます。
岩場を歩いて波打ち際まで来ると立神岩がこんなに間近に見えます、でもお宿から見えた立神岩のほうがもっとスリムに見えてきれいでした。
ここからは薩摩富士といわれる開聞岳も見えますがこの日は残念ながら霞んでうっすらとしか見えませんでした、でも開聞岳の山姿は富士山にそっくりで美しいですね。
この日は前日の雨模様のどんよりとした天気とは打って変わって快晴でポカポカ陽気だったのでりゅう君はお散歩の途中で立ったままウトウトしています(笑)
さらにお散歩を続けていると真新しい遊歩道がありました、前回ここを訪れた時には無かったので最近出来たんでしょうね?
ここには方位を示したこんなものがありました、『枕崎は東シナ海のメインステージである』 ってフレーズがいい感じですね。
立神岩の周辺でりゅう君のお散歩を済ませたら車で岬の先端部へ移動して戦艦大和を含めて6隻の艦船が沖縄への海上特攻の途中で攻撃を受けて沈んだ海域が見渡せる平和祈念展望台へ行きました。
平和祈念展望台は東シナ海が見渡せる高台にあるので駐車場に車を停めたらりゅう君と一緒に歩いて展望台へ行きます。
車から降りたりゅう君は石燈籠が並んできれいに整備された坂道を喜んで駆けて行きました、この景色を見ると昨日訪れた知覧平和公園とよく似ていますね。
坂道の両側にたくさん並んだ石燈籠には献燈した人の言葉が刻まれていました、この石灯篭の言葉は海上特攻で生き延びた人からでしょうか?
こちらは海上特攻で亡くなった人の遺族からのようですね。
坂道を登り切ったら平和を願う女神像と殉難鎮魂之碑があります。
鎮魂之碑には 『戦艦大和などの御霊に捧ぐ』 の文字と戦艦大和のレリーフが刻まれていました。
平和祈念展望台から東シナ海を眺めるりゅうママとりゅう君です、この遥か200kmほど先には沖縄へ向けて海上特攻を行う途中で米軍の攻撃によって沈んだ戦艦大和などの第二艦隊の6隻の軍艦が沈んでいます。
ここには歌詞の刻まれた石碑がたくさんありましたが、この石碑には 『巡洋艦 矢矧乗組』 の文字が刻まれていたので、この時の海上特攻で生き残った乗組員が詠んだ詩なんでしょうね。
ここから見えた東シナ海は島影ひとつない穏やかで真っ青な海でしたが70年ほど前にはこの遥か沖合ではし烈な戦闘が繰り広げられていたんですね。
そして少し右に目をやると白い灯台のある岬が見えます、ここは坊ノ岬といいますがここも大和などが沈んだ場所に近いことからこの時の激戦は坊ノ岬沖海戦と言われています。
海上特攻で沖縄へ向かっていた戦艦大和を中心とする第二艦隊の軌跡です、右下に描かれている陸地が鹿児島県の大隅半島と薩摩半島で、ここが戦艦大和の沈んだ海域に最も近い九州本土になります、沖縄海上特攻には10隻の艦船が出撃しましたが大和を含めて6隻が撃沈され4隻が作戦中止により帰投しています。
『歴史に残る第二艦隊』 と書かれた写真パネルです、写真が小さくて見づらいですが左上の写真がこの時の激戦で沈没した戦艦・大和、右上が軽巡洋艦・矢矧、中段が駆逐艦・磯風そして下段左から駆逐艦・朝霜、浜風、霞、そして大破し多くの戦死者を出しながらも佐世保へ帰投した駆逐艦・涼月です。
平和祈念展望台の見学が終わったら駐車場へ戻りますが前回も今回もここを訪れる人には全く会いませんでした、坊ノ岬沖海戦(沖縄海上特攻)での戦死者は3700人と、昨日訪れた知覧を含めた陸軍航空隊の特攻での戦死者の約千人よりもはるかに多い犠牲者が出ているんですよね。
平和祈念展望台のある火の神公園を出発したら東シナ海沿いの国道226号線を走って指宿市へ寄ってからお家を目指します。
最初に到着したのは火の神公園です、ここへは前回も訪れていますがここだけはどうしても外せなかったので再訪問です。前回と同じ画像もありますが過去の記事の ここ もクリックして下さいね。
火の神公園は東シナ海に突き出した岬に広がる公園でキャンプ場やプールなどの設備もある雄大な景色が楽しめる公園です。
さっそくお散歩を始めたりゅう君はお宿の部屋からも見えていた立神岩を目指して歩いて行きます。
岩場を歩いて波打ち際まで来ると立神岩がこんなに間近に見えます、でもお宿から見えた立神岩のほうがもっとスリムに見えてきれいでした。
ここからは薩摩富士といわれる開聞岳も見えますがこの日は残念ながら霞んでうっすらとしか見えませんでした、でも開聞岳の山姿は富士山にそっくりで美しいですね。
この日は前日の雨模様のどんよりとした天気とは打って変わって快晴でポカポカ陽気だったのでりゅう君はお散歩の途中で立ったままウトウトしています(笑)
さらにお散歩を続けていると真新しい遊歩道がありました、前回ここを訪れた時には無かったので最近出来たんでしょうね?
ここには方位を示したこんなものがありました、『枕崎は東シナ海のメインステージである』 ってフレーズがいい感じですね。
立神岩の周辺でりゅう君のお散歩を済ませたら車で岬の先端部へ移動して戦艦大和を含めて6隻の艦船が沖縄への海上特攻の途中で攻撃を受けて沈んだ海域が見渡せる平和祈念展望台へ行きました。
平和祈念展望台は東シナ海が見渡せる高台にあるので駐車場に車を停めたらりゅう君と一緒に歩いて展望台へ行きます。
車から降りたりゅう君は石燈籠が並んできれいに整備された坂道を喜んで駆けて行きました、この景色を見ると昨日訪れた知覧平和公園とよく似ていますね。
坂道の両側にたくさん並んだ石燈籠には献燈した人の言葉が刻まれていました、この石灯篭の言葉は海上特攻で生き延びた人からでしょうか?
こちらは海上特攻で亡くなった人の遺族からのようですね。
坂道を登り切ったら平和を願う女神像と殉難鎮魂之碑があります。
鎮魂之碑には 『戦艦大和などの御霊に捧ぐ』 の文字と戦艦大和のレリーフが刻まれていました。
平和祈念展望台から東シナ海を眺めるりゅうママとりゅう君です、この遥か200kmほど先には沖縄へ向けて海上特攻を行う途中で米軍の攻撃によって沈んだ戦艦大和などの第二艦隊の6隻の軍艦が沈んでいます。
ここには歌詞の刻まれた石碑がたくさんありましたが、この石碑には 『巡洋艦 矢矧乗組』 の文字が刻まれていたので、この時の海上特攻で生き残った乗組員が詠んだ詩なんでしょうね。
ここから見えた東シナ海は島影ひとつない穏やかで真っ青な海でしたが70年ほど前にはこの遥か沖合ではし烈な戦闘が繰り広げられていたんですね。
そして少し右に目をやると白い灯台のある岬が見えます、ここは坊ノ岬といいますがここも大和などが沈んだ場所に近いことからこの時の激戦は坊ノ岬沖海戦と言われています。
海上特攻で沖縄へ向かっていた戦艦大和を中心とする第二艦隊の軌跡です、右下に描かれている陸地が鹿児島県の大隅半島と薩摩半島で、ここが戦艦大和の沈んだ海域に最も近い九州本土になります、沖縄海上特攻には10隻の艦船が出撃しましたが大和を含めて6隻が撃沈され4隻が作戦中止により帰投しています。
『歴史に残る第二艦隊』 と書かれた写真パネルです、写真が小さくて見づらいですが左上の写真がこの時の激戦で沈没した戦艦・大和、右上が軽巡洋艦・矢矧、中段が駆逐艦・磯風そして下段左から駆逐艦・朝霜、浜風、霞、そして大破し多くの戦死者を出しながらも佐世保へ帰投した駆逐艦・涼月です。
平和祈念展望台の見学が終わったら駐車場へ戻りますが前回も今回もここを訪れる人には全く会いませんでした、坊ノ岬沖海戦(沖縄海上特攻)での戦死者は3700人と、昨日訪れた知覧を含めた陸軍航空隊の特攻での戦死者の約千人よりもはるかに多い犠牲者が出ているんですよね。
平和祈念展望台のある火の神公園を出発したら東シナ海沿いの国道226号線を走って指宿市へ寄ってからお家を目指します。
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